長年に渡って工事が行われてきた複々線が2018年に完成し、輸送力の増強が図られた小田急。
速達系の列車を中心に、混雑が抜本的に解消されたとまではいえないものの、朝ラッシュ時の速達性は格段に向上しました。

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今となっては、新宿までがほぼ複線の状態で、昔は朝のラッシュ時をさばいていたのが信じられませんが、小田急は限られた設備の中でどのように輸送力増強を行ってきたのでしょうか。

運行本数の増加と車両の大型化

箱根への観光輸送に力を入れて成長してきた小田急ですが、沿線人口の増加が進んだことで、1950年代の後半から利用者が増加するペースが上がりました。
ラッシュ時の混雑は激化し、輸送力の増加が急務となりますが、車両を増やすことやホームを長くすることは、今日明日でできることではなく、小田急はひたすら輸送力増強に追われることとなります。

既存の設備でできることとして、1954年に小田急初の高性能車である2200形が導入され、加減速性能の向上により、輸送密度を高める対応が行われました。
2200形や派生形式は、輸送の質を改善することに寄与しましたが、全ての車両が電動車だったため、様々なコストが増大するという問題を抱えることとなります。

このような状況の中で、電動車と付随車の比率を1:1とし、経済性を重視した2400形の導入へと移行し、大量増備のうえで朝のラッシュ時に集中投入されました。
当時は通勤急行や通勤準急といった列車も運行されており、限られた設備や車両で輸送効率を上げる対応が進められます。
しかし、早々に朝ラッシュ時の輸送力は限界に到達し、1963年にはやむを得ず平行ダイヤが導入され、所要時間が増大することとなりますが、ピーク時の運行本数は1時間に30本まで増加しました。

続いての対策として、1964年からは2600形の導入による車両の大型化が行われ、ここからの小田急は20m級の大型車体が基本となっていきます。
1966年には準急の8両化が行われ、2600形の導入によって余裕が生まれた中型車が、その役目を担いました。

収容力の最大化による輸送効率向上

輸送力の増強を進めたものの、利用者はそれを上回るペースで増加が続きます。
運行本数は既に限界へと達していたため、輸送力の増強は編成両数の増加と車両の大型化に頼ることとなり、収容力を増やして輸送効率を上げる対策が進められました。

編成両数の増加により、1972年にはピーク時の運行本数が29本となってしまいましたが、最終的に20m級の10両まで編成は増強され、これが編成あたりの最大収容力となります。
急行と準急は最終的に10両へと増強されますが、各駅停車だけは6両の状態が続き、列車による輸送力の差はしばらく残ることとなりました。

複々線化前の段階における最大両数となったのは、1988年に各駅停車の8両化が行われたタイミングで、1993年には朝ラッシュ時間帯の全ての各駅停車が8両となり、これが複線における収容力の最大値といえるでしょう。
時間が前後しますが、車両自体の工夫も随時行われ、1991年には1000形のワイドドア車を導入したほか、8両や10両では固定編成化により中間に入る先頭車をなくし、少しでも収容力を高めようとする涙ぐましい努力が行われました。
抜本的な対策が複々線の完成という状況の中で、なんとかして輸送効率を高めようとしていたのが、この時代の小田急の姿でした。

おわりに

利用者が増え続ける時代は終わりを告げ、今後は人口の減少と向き合っていくこととなります。
複々線というインフラをどう活かし、沿線人口の維持や増加に繋げていくか、次なる試練が小田急には待ち受けているといえそうです。