1927年に小田原線を一気に開業し、その後江ノ島線や多摩線が加わった小田急。
開業時の社名は小田原急行鉄道でしたが、略称として小田急が使われ、後に正式な社名として採用された経緯がありました。

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小田原急行を略して小田急と呼ぶようになるのはなんとなく分かりますが、いつ頃から小田急と呼ばれるようになったのでしょうか。
今回の記事では、小田急の名を世に広めた「東京行進曲」について紹介したいと思います。

小田原急行鉄道から小田急電鉄へ

後に小田原線や江ノ島線を開通させることになる法人は、1923年に小田原急行鉄道株式会社として設立されました。
会社名が示すとおり、1927年には新宿から小田原を目指す小田原線を開業し、沿線地域の発展に貢献していくこととなります。

小田原線が開業してから僅か2年後の1929年には、片瀬江ノ島までを結ぶ江ノ島線が開業し、多摩線を除く現在の路線網は、この段階でほぼ完成した状態となりました。
しかし、開業後に発生した昭和恐慌等の影響により、昭和初期の経営は大変苦しい状況が続き、そのような時代を耐えて現在の小田急が形成されていきます。

戦時の色が濃くなった1941年には、非常体制が進む中で親会社の鬼怒川水力電気株式会社が電力事業を失ったため、合併と社名の変更が行われました。
存続会社となった鬼怒川水力電気は、この際に社名を小田急電鉄株式会社と改め、略称として使われていた小田急が正式社名となっています。

「東京行進曲」の歌詞に登場する小田急

略称が最終的には社名となったわけですが、そもそも小田急と呼ばれるようになったのはいつからなのでしょうか。
その具体的な時期は断定できませんが、開業から間もない1929年の時点で、「東京行進曲」という曲の歌詞に小田急という表現が登場します。

東京行進曲は、1929年に公開された映画作品で、その主題歌として同名の曲がつくられました。
作詞は西條八十氏、作曲は中山晋平氏、歌唱は佐藤千夜子氏で、当時としては驚異的な25万枚を売り上げることとなります。

これが小田急とどういう関係があるのかというと、歌詞の一節に「いっそ小田急で 逃げましょか」という部分があり、小田急という略称が1929年の段階で見られています。
人々が小田急と呼んでいたから歌詞になったのか、歌詞になったから小田急と呼ばれるようになったのか、ここがいまいち分からないところではありますが、開業から2年後の段階で小田急という略称は存在したことになります。

曲の大ヒットは結果的に宣伝にも一役買ったことになりますが、小田急から頼んで入れてもらったものではないばかりか、駆け落ち電車のように表現されたことに対し、重役が立腹したというエピソードが残っています。
結果的に東京行進曲は小田急の名を世に広めることになり、西條八十氏には後に終身有効の優待乗車証が贈られたそうです。

おわりに

早くから歌詞に登場し、後に正式社名にもなった略称の小田急。
東急や京急等、同じような略し方をする鉄道会社は多くありますが、比較的早期に正式社名に採用されたのは興味深いところですね。