地上と地下にホームが分かれ、現在は超高層ビルへの建て替えに関係して、各所で工事が行われる小田急の新宿駅。
東側にJR東日本、西側には京王の駅があり、小田急はそれらに挟まれる状態となっています。

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そんな新宿駅ですが、現在の二層に分かれた構造へと改良される前の段階において、小田急と京王で二層とする案が存在しました。
実現することがなかった二層案は、どのようなものだったのでしょうか。

戦後間もない頃から存在した新宿駅の改良案

小田急の起点として開業時から賑わっていた新宿駅ですが、1950年代の後半からは利用者が激増し始めました。
編成両数の増加に合わせて、ホームの延長や増設が行われたものの、将来的な需要には対応できないことが明らかであり、新宿駅は大規模な改良工事を行うこととなります。

改良により、地上と地下にホームを分け、現在のような姿へと新宿駅は変化しましたが、需要の予測を誤ってしまい、完成してから10年も経たずに2度目の改良工事を行ったのは、あまりにも有名なエピソードとなっています。
現在の改良工事は3度目ということになりますが、最終的にどのような姿となるのでしょうか。

最初の改良工事が始まったのは1960年のことでしたが、実際には戦後間もない頃から新宿駅には改良の計画が存在します。
戦後間もない頃といえば、小田急が大東急に合併していた時期でもありました。

小田急と京王の二層案が存在した新宿駅

大東急時代に存在した新宿駅の改良案は、現在と同じ二層式が想定されていましたが、内容は大きく異なっていました。
それは小田急を地上と地下に分けるのではなく、地上のホームに小田急、地下のホームに京王を配置するというもので、当時は大東急という同じ会社だったことを踏まえれば、違和感のない内容です。

地上に配置される小田急は5線、地下の京王は3線が想定されており、実現していたらどのような姿になっていたのでしょうか。
小田急のホームは、幅が6mから13m、長さは120mで計画されていたようなので、6両編成に対応する予定だったことになります。

計画自体はあったものの、大東急はその後解体されてしまったほか、新宿西口の都市計画も絡んでしまい、小田急と京王の二層案は具体化せずに時は流れていきました。
分離独立後も、小田急は新宿駅の改良が必要と判断し、国鉄や京王と協議を行っていましたが、大東急時代の案を踏襲した二層案を提案する小田急に対して、京王側が同意することはなく、最終的には各社が独自に改良を進めることとなりました。

おわりに

小田急と京王の二層案が実現せず、それぞれが狭い用地で改良を行った新宿駅。
仮に当初の案が実現していたら、将来的な拡張をどのように進めたのか、そんなことも気になりますね。