現在は全ての踏切に警報機と遮断機が設置され、一定の安全確保がなされている小田急。
整備が完了したのは1982年11月8日のことで、1998年3月21日には全ての遮断機が自動化され、踏切保安掛も姿を消しました。
そんな小田急の踏切ですが、1960年度の時点で警報機と遮断機がない踏切が359ヶ所もあり、その後急速に設置が進められましたが、どのようなペースで踏切の保安設備を増やしていったのでしょうか。
全ての踏切に遮断機がある状態になったのは1982年のことですが、見方を変えれば40年ほど前まではそんな踏切が存在していたわけです。
鉄道の踏切は設置される保安設備によって種類が分けられており、現在の小田急は第1種甲に統一されています。
全ての踏切に警報機と遮断機があり、動作が自動化されている状態を示していますが、昔は警報機しかない第3種や、標識程度しか設置されていない第4種も沢山ありました。
安全性の面で劣る第3種や第4種の踏切ですが、小田急ではどのように減ってきたのでしょうか。
年度単位の増減データが残っていますので、まずはそれを確認してみたいと思います。
【第3種踏切】
1960年:55
1961年:63
1962年:72
1963年:89
1964年:101
1965年:113
1966年:110
1967年:111
1968年:99
1969年:112
1970年:113
1971年:67
1972年:90
1973年:79
1974年:74
1975年:68
1976年:63
1977年:60
1978年:54
1979年:45
1980年:28
1981年:7
1982年:0
【第4種踏切】
1960年:359
1961年:329
1962年:296
1963年:257
1964年:228
1965年:202
1966年:195
1967年:167
1968年:139
1969年:97
1970年:64
1971年:48
1972年:3
1973年:0
基本的には減っていく流れとなっていますが、第3種と第4種で傾向は異なり、第4種については1973年に消滅しています。
一方で、第3種については1960年代に増加しつつ、減ったり増えたりをしながら、最終的に減少傾向となっていきました。
その後に主流となる第1種の存在が関係しており、こちらも確認してみましょう。
以下は第1種の年度ごとの数を示し、括弧内は第1種乙のみを意味します。
1960年:50(37)
1961年:67(30)
1962年:76(25)
1963年:86(22)
1964年:99(22)
1965年:105(17)
1966年:112(16)
1967年:118(15)
1968年:137(13)
1969年:149(10)
1970年:162(5)
1971年:214(5)
1972年:224(5)
1973年:231(5)
1974年:229(5)
1975年:227(5)
1976年:228(4)
1977年:229(4)
1978年:235(4)
1979年:243(4)
1980年:260(4)
1981年:276(4)
1982年:281(4)
結果はこのようになっており、1960年代の段階では僅かに50ヶ所しかなく、しかも乙が大半という状況だったことが分かります。
基本的には右肩上がりで第1種は増加を続けますが、1970年代には一時的に減少している時期があります。
この時期は高架化等が盛んだったため、それによって第1種が廃止されたケースがあると推測され、結果として増加ペースが鈍化し、減ってしまう年度もあったものと思われます。
第3種の増減については、第1種の増加とも関係しており、第3種に遮断機を設置すれば第1種となるため、警報機を優先して設置しつつ、遮断機を追設するケースがあったということなのでしょう。
踏切の総数自体もかなり減少したため、第4種の一部はそのまま廃止として、全体の保安度を高めていったものと思われます。
利用者の急増によって既存設備での対応は困難となり、様々な面で設備投資が必要な状況が発生し、当時の苦労は相当なものだったのでしょうね。
整備が完了したのは1982年11月8日のことで、1998年3月21日には全ての遮断機が自動化され、踏切保安掛も姿を消しました。
そんな小田急の踏切ですが、1960年度の時点で警報機と遮断機がない踏切が359ヶ所もあり、その後急速に設置が進められましたが、どのようなペースで踏切の保安設備を増やしていったのでしょうか。
減り続けた保安設備が少ない踏切
沿線が発展し、田園風景が少なくなった現在の姿を見ていると、小田急の踏切に警報機や遮断機がない時代があったことは想像しにくくなっています。全ての踏切に遮断機がある状態になったのは1982年のことですが、見方を変えれば40年ほど前まではそんな踏切が存在していたわけです。
鉄道の踏切は設置される保安設備によって種類が分けられており、現在の小田急は第1種甲に統一されています。
全ての踏切に警報機と遮断機があり、動作が自動化されている状態を示していますが、昔は警報機しかない第3種や、標識程度しか設置されていない第4種も沢山ありました。
安全性の面で劣る第3種や第4種の踏切ですが、小田急ではどのように減ってきたのでしょうか。
年度単位の増減データが残っていますので、まずはそれを確認してみたいと思います。
【第3種踏切】
1960年:55
1961年:63
1962年:72
1963年:89
1964年:101
1965年:113
1966年:110
1967年:111
1968年:99
1969年:112
1970年:113
1971年:67
1972年:90
1973年:79
1974年:74
1975年:68
1976年:63
1977年:60
1978年:54
1979年:45
1980年:28
1981年:7
1982年:0
【第4種踏切】
1960年:359
1961年:329
1962年:296
1963年:257
1964年:228
1965年:202
1966年:195
1967年:167
1968年:139
1969年:97
1970年:64
1971年:48
1972年:3
1973年:0
基本的には減っていく流れとなっていますが、第3種と第4種で傾向は異なり、第4種については1973年に消滅しています。
一方で、第3種については1960年代に増加しつつ、減ったり増えたりをしながら、最終的に減少傾向となっていきました。
第1種踏切はどのように増えたのか
増えたり減ったりと、第3種は興味深い動きをしていましたが、それには当然理由がありました。その後に主流となる第1種の存在が関係しており、こちらも確認してみましょう。
以下は第1種の年度ごとの数を示し、括弧内は第1種乙のみを意味します。
1960年:50(37)
1961年:67(30)
1962年:76(25)
1963年:86(22)
1964年:99(22)
1965年:105(17)
1966年:112(16)
1967年:118(15)
1968年:137(13)
1969年:149(10)
1970年:162(5)
1971年:214(5)
1972年:224(5)
1973年:231(5)
1974年:229(5)
1975年:227(5)
1976年:228(4)
1977年:229(4)
1978年:235(4)
1979年:243(4)
1980年:260(4)
1981年:276(4)
1982年:281(4)
結果はこのようになっており、1960年代の段階では僅かに50ヶ所しかなく、しかも乙が大半という状況だったことが分かります。
基本的には右肩上がりで第1種は増加を続けますが、1970年代には一時的に減少している時期があります。
この時期は高架化等が盛んだったため、それによって第1種が廃止されたケースがあると推測され、結果として増加ペースが鈍化し、減ってしまう年度もあったものと思われます。
第3種の増減については、第1種の増加とも関係しており、第3種に遮断機を設置すれば第1種となるため、警報機を優先して設置しつつ、遮断機を追設するケースがあったということなのでしょう。
踏切の総数自体もかなり減少したため、第4種の一部はそのまま廃止として、全体の保安度を高めていったものと思われます。
おわりに
輸送力の増強と並行して、踏切の改良もハイペースで進めていた小田急。利用者の急増によって既存設備での対応は困難となり、様々な面で設備投資が必要な状況が発生し、当時の苦労は相当なものだったのでしょうね。
コメント
コメント一覧 (1)
一番良いのは踏切ゼロですが、立体交差化するか踏切を無理やり無くすかの2択しかありません。
現在だと、代々木上原~新宿間の踏切を無くすことが出来れば、新宿~登戸間は踏切ゼロとなります。
コレに加えてホームドアも全駅に設置されれば、飛び込み事故はほぼ無くせるのですがね。
現在のホームドア設置の進め方だと、ホームで飛び込まれなくても踏切で飛び込まれてしまえば、それで終わりなものですから。
ワタシダ
がしました