小田原線から多摩線が分岐し、周辺は綺麗に整備されている小田急の新百合ヶ丘駅。
横浜市営地下鉄の延伸が予定されているため、現在の風景は少しずつ変化することが予想されます。

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そんな新百合ヶ丘駅ですが、開業当時は周辺が山林ばかりで、後に整備された経緯がありました。
無秩序な開発が行われないようにすべく、周辺の整備は計画的に進められることとなります。

山林の中に誕生した新百合ヶ丘駅

小田急の新百合ヶ丘駅は、多摩線の開業と同日の1974年6月1日に設置されました。
開業時から線路の位置がほとんど変わらない小田急において、新百合ヶ丘付近はルートが大きく変更された珍しい場所となっています。

元々は津久井道に沿って線路が敷かれていましたが、大規模な山林を貫くようにルートを変更し、曲線区間の排除と新百合ヶ丘駅の設置が行われました。
駅が設置される前は、山林の中に農村があるといった風景でしたが、開業後には少し離れた位置に住宅が形成され、変化が始まっていきます。

大規模な駅が設置され、多摩線との乗り換えもできるとなれば、周辺が発展することは避けられないといえますが、成り行きに任せれば無秩序な開発が行われるのは目に見えており、新百合ヶ丘駅周辺では乱開発を防止する方針が立てられていました。
結果として、駅周辺の開発が少し遅れた面はあったのかもしれませんが、後の整備された街並みへと繋がっていくこととなります。

区画整理によって整備された駅の周辺

新百合ヶ丘駅の周辺は、「川崎都市計画新百合丘駅周辺特定土地区画整理事業」によって整備が行われました。
1969年には、小田急と地元の農家が協力して農住都市構想をまとめており、当初は小田急が主導して区画整理のための組合が設立される予定でした。
しかし、新都心としての位置付けに関係し、川崎市が主導して組合を設置することになり、小田急は一組合員として参加する立場となりました。

こうして1976年10月に都市計画が決定、1977年5月には「新百合丘駅周辺土地区画整理組合」が設立され、6月には起工と進んでいきます。
開発面積は約46.4haとなっており、道路やターミナル、デッキ等が整備されました。

川崎市内の駅を見ていくと、スプロール現象と呼ばれる無秩序な開発が行われた地域が多く、新百合ヶ丘周辺は慎重に開発が進められていくこととなります。
地域住民と行政が一体となり、そこに小田急も加わることで、新百合ヶ丘の街並みは形成されてきました。

発展が進むと、交通渋滞が慢性化するといった、当初は予測できなかったと思われる現象も発生しています。
良い面と悪い面があるようにも思われる新百合ヶ丘の街並みですが、落ち着いた雰囲気だからこその現象ともいえ、なんとも難しい問題といえそうです。

おわりに

横浜市営地下鉄の乗り入れが事業化すると、新百合ヶ丘周辺の発展はさらに加速することが予想されます。
道路事情に課題がある駅周辺ですが、そのあたりをどう解決していくのかも気になるところです。