小田原線の新百合ヶ丘駅から分岐し、唐木田までの10.6kmを結んでいる多摩線。
小田急の中で最も新しく、最も短い路線ですが、多摩ニュータウン内に乗り入れる路線として、今日まで発展を続けてきました。
沿線の発展に合わせ、現在は主に6両や10両で運転される多摩線ですが、開業当時の利用者が少ない時代には、2両編成が走っていた時期もあります。
そんな多摩線が2両から4両に増強されたのは、いつのことだったのでしょうか。
翌年には小田急多摩センターまで延伸して一旦は動きが止まりますが、その後1990年に唐木田駅が開業したことで、現在の状態となっています。
開業日の多摩線では、当時最新鋭の9000形を使用した開業記念列車が運行され、他には1700形や4000形が使われましたが、それ自体はその日の特別な状況でした。
翌日以降は、一部の列車を除いてABF車と呼ばれる旧型車両での運行となり、1700形、1900形、2100形の4両編成が基本となります。
4両編成で運行を開始したものの、未開発の地を走る多摩線の利用者は、小田急の想定以上に少ないものでした。
完全に空気を運ぶ列車となってしまったため、少しして2両編成への減車が行われ、当時の小田急では最小単位の編成で運行されるようになってしまいました。
減車後は1900形の2両が定番となり、開業して間もない頃の多摩線の写真では、おなじみの車両となっています。
1900形が4000形に機器を譲って廃車となったことから、それ以降は2200形での運行が基本となり、両数自体は2両のままながら、車両自体は少し若返ったことになります。
利用者の少なさに悩まされた多摩線でしたが、多摩ニュータウンや沿線の人口は徐々に増加し、やがて2両から4両に増車される日を迎えました。
増車というよりは、開業当時の両数に戻されたという表現のほうが適切かもしれません。
多摩線が4両化されたのは1979年のことで、ダイヤ改正以降は2両編成が見られなくなりました。
4両編成に増車された多摩線でしたが、車両自体は基本的に古いままの状態が続き、2200系列や2400形といった非冷房の中型車での運行が続きます。
しかし、それらの車両にも引退の日は訪れ、最終的には5000形や8000形といった大型車の4両編成に切り替えられましたが、数年で6両化が行われたため、そのような時期はかなり短期間で終わりました。
その後は6両を基本にした運行としつつ、優等列車や運用の都合に合わせて8両や10両の編成が走り、開業時からは想像もできない路線へと変化しています。
近年は輸送力の適正化が進められましたが、今後はどのような運行スタイルとなっていくのか、未来の動きも気になるところですね。
小田急の中で最も新しく、最も短い路線ですが、多摩ニュータウン内に乗り入れる路線として、今日まで発展を続けてきました。
沿線の発展に合わせ、現在は主に6両や10両で運転される多摩線ですが、開業当時の利用者が少ない時代には、2両編成が走っていた時期もあります。
そんな多摩線が2両から4両に増強されたのは、いつのことだったのでしょうか。
2両に減車されてしまった多摩線
新百合ヶ丘から分岐する多摩線は、小田急永山までが1974年に先行して開業しました。翌年には小田急多摩センターまで延伸して一旦は動きが止まりますが、その後1990年に唐木田駅が開業したことで、現在の状態となっています。
開業日の多摩線では、当時最新鋭の9000形を使用した開業記念列車が運行され、他には1700形や4000形が使われましたが、それ自体はその日の特別な状況でした。
翌日以降は、一部の列車を除いてABF車と呼ばれる旧型車両での運行となり、1700形、1900形、2100形の4両編成が基本となります。
4両編成で運行を開始したものの、未開発の地を走る多摩線の利用者は、小田急の想定以上に少ないものでした。
完全に空気を運ぶ列車となってしまったため、少しして2両編成への減車が行われ、当時の小田急では最小単位の編成で運行されるようになってしまいました。
減車後は1900形の2両が定番となり、開業して間もない頃の多摩線の写真では、おなじみの車両となっています。
利用者の増加に伴う多摩線の4両化
2両編成となってしまった多摩線でしたが、使用する車両については少し変化がありました。1900形が4000形に機器を譲って廃車となったことから、それ以降は2200形での運行が基本となり、両数自体は2両のままながら、車両自体は少し若返ったことになります。
利用者の少なさに悩まされた多摩線でしたが、多摩ニュータウンや沿線の人口は徐々に増加し、やがて2両から4両に増車される日を迎えました。
増車というよりは、開業当時の両数に戻されたという表現のほうが適切かもしれません。
多摩線が4両化されたのは1979年のことで、ダイヤ改正以降は2両編成が見られなくなりました。
4両編成に増車された多摩線でしたが、車両自体は基本的に古いままの状態が続き、2200系列や2400形といった非冷房の中型車での運行が続きます。
しかし、それらの車両にも引退の日は訪れ、最終的には5000形や8000形といった大型車の4両編成に切り替えられましたが、数年で6両化が行われたため、そのような時期はかなり短期間で終わりました。
その後は6両を基本にした運行としつつ、優等列車や運用の都合に合わせて8両や10両の編成が走り、開業時からは想像もできない路線へと変化しています。
おわりに
4両から2両に減車され、後に4両での運行に戻された小田急の多摩線。近年は輸送力の適正化が進められましたが、今後はどのような運行スタイルとなっていくのか、未来の動きも気になるところですね。
コメント
コメント一覧 (19)
言えば、昭和60年代、2400形が充当されて
いた頃を 思い出します。独特の短い クハ、
両端の 2人掛け座席、等・・・。当時 中学生
だった僕にとっては、とても乗ってみたい電車で
した。多摩線という 短距離路線の主( あるじ )
と なっていて、乗りやすいのが 幸いでした!
楽しかったなぁ。
ワタシダ
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小田急で最も新しい路線と行っても、開業から50年たつんだね。早いね~。
その多摩線ですが、当初計画とは起点(喜多見)も終点(橋本方面城山)も変更されてしまいました。(終点は未定と言うべきか)
また、9号線の一部でありながら千代田線直通ができない状況だったのが、複々線の進展でやっと開始され、下北沢地区の完成で更に盛んになると思ったらナント止めてしまったのにはビックリ・ガッカリしました。
川崎縦貫鉄道との相互乗り入れの噂もあったり、なにかとその時の情勢と言うか、時代に翻弄されて続けた50年だったという印象が強いね。人口急増、オイルショック、ニュータウン高齢化、人口減少、はたまたコロナ禍……
50年後の多摩線はどうなっているかな。延伸は中止、多摩センター唐木田間は廃止、優等も本線直通も取り止め、新百合ヶ丘↔️多摩センターの4両各停のみに戻っていそうな気もする。
ワタシダ
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開通翌日に運用される9000の画像は、拙サイトに掲載しております。
9000が断続的に運用されたのは、記念乗車券や報道関係への写真掲載のためもあったのではと想像しています。
ワタシダ
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ワタシダ
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やはり朝ラッシュ時に通勤急行のみが新宿まで直通し、各停は新百合ヶ丘止まりなのが、大きいかな。
これは新百合ヶ丘まで複々線化しない限りは、向ヶ丘遊園~新百合ヶ丘間の線路容量が現在いっぱいなので、これ以上列車を走らせられないので、しょうがないのですけどね。
埼京線のATACSのような移動閉塞システムが小田急でも導入されれば、多摩線からの各停も新宿へ直通させられるかも?
でも小田急は長い年月かけて作ったD-ATS-Pをドブに捨てることになるので、移動閉塞システムの導入は当分なさそう。
ワタシダ
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ワタシダ
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今ではすっかり10連の走る多摩線ですが、2000年代初頭までは旧型車の割合が多く、2600形や4000形(初代)がひたすら往復している、という雰囲気がありました。新宿口はできるだけ比較的新しい車両を入れる傾向が強く、多摩線となると旧型車が走っている、というアンバランス的なところでした。その際は先頭車に乗って全線開通して間もない多摩モノレールに乗ったり、途中の多摩動物公園にある京王れーるランドへ行ったこともありました。これは現住所に転居する前の話です。多摩急行が登場する前は新百合ヶ丘で乗り換えると2600形や4000形が停まっていて、末期の2600形となると「各停 新百合ヶ丘⇔唐木田」の方向幕もありましたね。
複々線区間が今より短かった時代、多摩線直通はラッシュ時間帯に上下ともわずかながら設定されていたのが、今では終日に拡大されました。2000(平成12)年改正だったと思いますが、唐木田発急行綾瀬行きが設定され、これは2年後のダイヤ改正に登場する多摩急行(~2018年)を走らせる布石だったのではないかと今となってはそのように振り返って考えることもできます。
しかしながら、多摩線は新宿直通が多い京王相模原線と違いルートや運賃面、日中に優等列車を走らせても供給過多になってしまうという問題点が存在します。そのような事情を鑑み新宿直通の急行は多摩線内各駅停車、に置き換わりました。実際、全区間急行の場合所要時間は43分、多摩線内各駅停車を行う急行は45分とたった2分しか変わらないのです。その形態が理にかなっていると考えています。
延伸計画もなく、今後は沿線の少子高齢化、都心回帰に伴う大学の移転、閉学がある中で多摩線を取り巻く環境は変わることが予想されます。来月1日で多摩線が産声を上げて早50年、たった2両、4両編成の車両が線内往復していた多摩線もロマンスカー(ホームウェイ)や千代田線直通があったこともいつまでも記憶に中にとどめたいものです。
ワタシダ
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ワタシダ
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