ホームよりも上の階に改札を設け、各方面からの出入りに要する距離を最適化しつつ、立体化も図れる橋上駅舎。
現在は2019年に橋上駅舎化された代々木八幡駅が最も新しい状況ですが、鶴川駅や藤沢駅がそれに続くこととなり、ペースはゆるやかながら今後も増加することが見込まれます。

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今日まで増加を続けてきた小田急の橋上駅舎ですが、誕生した順番はどのようなものだったのでしょうか。

小田急の橋上駅舎が誕生した順番

上下の移動は発生してしまいますが、線路を渡らずにホームへと入れることや、自由通路の設置が容易なこと等から、小田急には橋上駅舎となっている駅が多く存在します。
改良によって橋上駅舎化された駅もあれば、建設時からそうだった駅もあり、誕生の経緯は様々です。

早速ですが、小田急の橋上駅舎が誕生した順番について、駅ごとに並べてみたいと思います。
多くは誕生した年が判明していますが、一部不明な駅があるほか、厳密な順番が分からない駅もありました。

1.成城学園前(戦前から)
2.下北沢
3.相模大野(1964年)
4.小田急相模原(1966年)
5.梅ヶ丘(1967年)
5.伊勢原(1967年)
5.長後(1967年)
8.善行(1970年)
9.相武台前(1970年)
9.玉川学園前(1970年)
11.南林間(1972年)
12.海老名(1973年)
13.新百合ヶ丘(1974年)
13.五月台(1974年)
13.栗平(1974年)
13.黒川(1974年)
17.湘南台(1974年)
18.桜ヶ丘(1978年)
19.座間(1978年)
20.鶴間(1980年)
21.百合ヶ丘(1981年)
22.東林間(1982年)
23.生田(1983年)
24.開成(1985年)
25.東海大学前(1987年)
26.愛甲石田(1987年)
27.唐木田(1990年)
28.渋沢(1993年)
29.六会日大前(1995年)
30.秦野(1996年)
31.小田原(2003年)
32.代々木八幡(2019年)

結果はこのようになり、1960年代から橋上駅舎化が次々に進められていったことが分かります。
地下化等によって、橋上駅舎ではなくなってしまった駅もありますが、今も多くはそのまま使われている状況です。

消えた橋上駅舎や今後の動き

橋上駅舎が誕生した順番を眺めてみると、色々と興味深い点も見えてきます。
簡単ではありますが、それらの駅について触れつつ、今後の動きについても確認することとしましょう。

橋上駅舎となりながら、その後そうではなくなってしまった駅としては、下北沢、梅ヶ丘、成城学園前、湘南台の4駅があります。
小田原線の3駅はいずれも複々線化に伴うもので、高架化と地下化によって駅舎の形態が変化しました。
湘南台は相鉄と横浜市営地下鉄の乗り入れが理由で、改札を地下へと移しています。

善行は戦後の1960年に開業しましたが、1970年には早くも橋上駅舎化が行われており、最初の駅舎はかなり短命だったことになります。
1990年代以降は橋上駅舎化される駅が少なくなってきますが、その分大規模な改良となるケースが多くなっており、当時の広報誌等でも頻繁に取り上げられていました。

今後の予定としては、鶴川駅と藤沢駅が改良によって橋上駅舎化される予定で、33番目と34番目になるものと思われます。
まだ事業化はされていませんが、新松田駅にも橋上駅舎化の計画があり、こちらの動向についても気になるところです。

おわりに

増えるペースは落ち着いたものの、今後も改良によって増加が見込まれる小田急の橋上駅舎。
新松田や藤沢が橋上駅舎になる頃には、向ヶ丘遊園がとても貴重な存在となってきそうですね。