小田原方面に向かって新百合ヶ丘駅を出発すると、長い下り勾配が続きます。
カーブをしながら下りきった場所には、比較的広い保線車両の基地が設けられており、夜中に活動する縁の下の力持ちといえる車両たちが休んでいます。
駅から離れた位置にある保線車両の基地ですが、なぜこのような場所にあるのでしょうか。
場所は両駅の中間地点といえるような場所となっており、どちらの駅からも離れているのは珍しいかもしれません。
基地は平坦な場所に設けられていますが、ポイント部を抜けた本線は比較的急な勾配区間となっているため、基地の横を電車が上ったり下ったりという構図になっています。
ポイントは横取装置と呼ばれる簡易的なものが使われているため、本線を走る営業列車は影響を受けずに通過することが可能です。
現地はこのようになっており、右側に見える盛土部分が本線で、奥に見える高架橋は多摩線となります。
この写真は敷地外から撮影したものですが、このようにかなり近くまで行けることも魅力の一つで、そういった面でも珍しいかもしれません。
場所は麻生川沿いとなっており、柿生駅からであれば道も分かりやすく、テニスコートがある辺りで近付くことができます。
昔のことをご存知の方には常識かもしれませんが、ここはかつて小田原線の本線が通っていた場所であり、その廃線跡を活用して保線車両の基地が設けられました。
元々の本線を柿生駅側から辿っていくと、保線車両の基地がある場所を直線で進み、古沢という交差点付近からカーブしつつ現在の本線に近付いていき、フィットネスクラブがある辺りで合流していました。
完全に並行はしていませんが、ほぼ津久井道に沿って線路が敷かれており、現在の道を見ればだいたいの位置関係も分かります。
廃線跡の多くは建物が建ってしまい、曲線部を中心にかつての痕跡を探すのは骨が折れる状況ですが、基地周辺からの直線区間が土地の形状として残っており、自転車の保管所や太陽光発電のパネルが設置されています。
比較的広い用地があったことから、それを保線車両の基地に活用したものと思われますが、不思議なのはこの周辺だけが未開発のまま残った点です。
基地の脇からその先にかけては、現在も市街化調整区域となっているようで、それが開発されない理由だとは思いますが、この一帯だけを残している理由も気になるところです。
静かに佇む保線車両の脇を電車が行き交い、旧線と新線の位置関係を今に伝えています。
カーブをしながら下りきった場所には、比較的広い保線車両の基地が設けられており、夜中に活動する縁の下の力持ちといえる車両たちが休んでいます。
駅から離れた位置にある保線車両の基地ですが、なぜこのような場所にあるのでしょうか。
本線の横にある広い保線車両の基地
新百合ヶ丘から柿生の間には、上り線側に保線車両の基地が設けられています。場所は両駅の中間地点といえるような場所となっており、どちらの駅からも離れているのは珍しいかもしれません。
基地は平坦な場所に設けられていますが、ポイント部を抜けた本線は比較的急な勾配区間となっているため、基地の横を電車が上ったり下ったりという構図になっています。
ポイントは横取装置と呼ばれる簡易的なものが使われているため、本線を走る営業列車は影響を受けずに通過することが可能です。
現地はこのようになっており、右側に見える盛土部分が本線で、奥に見える高架橋は多摩線となります。
この写真は敷地外から撮影したものですが、このようにかなり近くまで行けることも魅力の一つで、そういった面でも珍しいかもしれません。
場所は麻生川沿いとなっており、柿生駅からであれば道も分かりやすく、テニスコートがある辺りで近付くことができます。
廃線跡を活用して設けられた基地
やや不思議な位置にあり、必要以上に広いようにも感じられる基地ですが、ここに設けられたことには理由があります。昔のことをご存知の方には常識かもしれませんが、ここはかつて小田原線の本線が通っていた場所であり、その廃線跡を活用して保線車両の基地が設けられました。
元々の本線を柿生駅側から辿っていくと、保線車両の基地がある場所を直線で進み、古沢という交差点付近からカーブしつつ現在の本線に近付いていき、フィットネスクラブがある辺りで合流していました。
完全に並行はしていませんが、ほぼ津久井道に沿って線路が敷かれており、現在の道を見ればだいたいの位置関係も分かります。
廃線跡の多くは建物が建ってしまい、曲線部を中心にかつての痕跡を探すのは骨が折れる状況ですが、基地周辺からの直線区間が土地の形状として残っており、自転車の保管所や太陽光発電のパネルが設置されています。
比較的広い用地があったことから、それを保線車両の基地に活用したものと思われますが、不思議なのはこの周辺だけが未開発のまま残った点です。
基地の脇からその先にかけては、現在も市街化調整区域となっているようで、それが開発されない理由だとは思いますが、この一帯だけを残している理由も気になるところです。
おわりに
多くは既に分からなくなってしまったものの、保線車両の基地や土地の形状で分かる廃線跡。静かに佇む保線車両の脇を電車が行き交い、旧線と新線の位置関係を今に伝えています。
コメント
コメント一覧 (8)
開業当初はローカル線然とした多摩線も今日ではベッドタウンと都心をむすぶ重要な路線に成長しましたが、線路の移設などかなり大掛かりな工事を成し遂げての成果であり、当時作業に当たった関係者の方々には頭の下がる思いです。
ワタシダ
がしました
喜多見基地と同等の広さは無理でしょうが、一定の広さを確保して一定数の車両を停留できれば、朝のラッシュ時だけ新百合ヶ丘始発の電車を供給することもできそうなものですが。
近隣地域の人口、および小田急の乗客者数の減少傾向は長期的にみれば避けられませんが、それでも麻生区は2030年まで、宮前区は2035年までは人口の増加傾向が続きます。
「人口減少なので再開発は一切不要」といった主旨を主張される方もいますが、決してそのようには思えません。
将来世代のためにも、財源負担は最小限にした形で、拡張性あるインフラ整備は不可欠なはずです。
ワタシダ
がしました
その内に頃合いを見て自社で開発するか販売かする目論見も?
保線車用には横取りポイント が本線側の線路にクロッシング部に切れ目を作らないための定番だけど
空車だと大した重さもないトロッコのようなものが通って
脱線したりしないのですかね
低速でも上下の衝動がかなり大きそうだけど……
理想としては新幹線のようなノーズ可動分岐器だろうけど
設置や維持管理にコストはかかりそうだしな…
ワタシダ
がしました
ワタシダ
がしました
ワタシダ
がしました
新百合ヶ丘付近の保線基地も廃線跡を活用したものとありますが、下北沢周辺や成城学園前の地上線跡は地下複々線化とともに跡形もなく整備されてしまいました(東急目黒線の武蔵小山周辺の地上線跡は遊歩道として整備され、下北沢の駅前後も同様に遊歩道として整備された部分もあります)。
ワタシダ
がしました