小田急の小田原線とJR東日本の南武線が交差し、毎日多くの利用者が行き交う登戸駅。
開業時から現在の駅名だった南武線に対して、小田急は1958年の改称で登戸になり、後に統一された経緯となっています。

そんな登戸駅ですが、駅名にはどのような由来があるのでしょうか。
改称までの経緯にも簡単に触れつつ、確認してみたいと思います。
小田急が開業する数週間前には、現在の南武線である南武鉄道が開業していましたが、そちらの駅名は最初から登戸であり、異なる状態でのスタートとなっています。
駅名の変遷については以前詳しく書きましたが、小田急の駅は当初の計画になかったものであり、対岸の駅である和泉多摩川に合わせて、稲田多摩川になったのでしょう。
現在の向ヶ丘遊園が稲田登戸という駅名だったこともあり、南武線に合わせた登戸という駅名は採用しにくかったのだと思います。
戦後には駅名改称で稲田登戸が向ヶ丘遊園になったことから、「登戸」という名称が使いやすくなり、登戸多摩川を経て現在の駅名である登戸に変更され、小田急と南武線の駅名は統一されることとなりました。
駅の改良によって乗り換えも以前よりはしやすくなり、地域の中心的な役割も担いつつあります。
地名が駅名の直接的な由来ではあるものの、地名自体にも由来があることから、その点を確認してみたいと思います。
古い地名にはよくあることですが、登戸についても由来は諸説あるというのが実際のところです。
有力だといわれているのは、地形が関係しているというもので、低地から多摩丘陵に登っていく場所であることから、登戸という地名が生まれたとされています。
他にはアイヌ語に由来するという説もあり、「ヌプルット」が訛ったというものです。
濁った沼という意味になるようですが、やや強引な印象もあります。
加えて、近年は郷土史家の方が新説を唱えており、登るには川が干上がるといった意味もあるということから、多摩川の流路変遷により陸地になった場所として、登戸という地名が生まれたのではないかとしています。
決定的なことはタイムマシンでもなければ分からないのでしょうが、どれも多摩川や地形に関係している説であり、昔から多摩川によって発展してきた地域ならではといえそうです。
歴史ある地名を駅名とした駅ですが、近年は再開発により駅周辺の風景が大きく変わりつつあります。
開業時から現在の駅名だった南武線に対して、小田急は1958年の改称で登戸になり、後に統一された経緯となっています。

そんな登戸駅ですが、駅名にはどのような由来があるのでしょうか。
改称までの経緯にも簡単に触れつつ、確認してみたいと思います。
最終的に駅名が統一された登戸駅
小田原線が開業した1927年当時、登戸の駅名は稲田多摩川でした。小田急が開業する数週間前には、現在の南武線である南武鉄道が開業していましたが、そちらの駅名は最初から登戸であり、異なる状態でのスタートとなっています。
駅名の変遷については以前詳しく書きましたが、小田急の駅は当初の計画になかったものであり、対岸の駅である和泉多摩川に合わせて、稲田多摩川になったのでしょう。
現在の向ヶ丘遊園が稲田登戸という駅名だったこともあり、南武線に合わせた登戸という駅名は採用しにくかったのだと思います。
戦後には駅名改称で稲田登戸が向ヶ丘遊園になったことから、「登戸」という名称が使いやすくなり、登戸多摩川を経て現在の駅名である登戸に変更され、小田急と南武線の駅名は統一されることとなりました。
駅の改良によって乗り換えも以前よりはしやすくなり、地域の中心的な役割も担いつつあります。
登戸という地名の由来
最終的に統一された駅名になった登戸ですが、そもそも駅名の由来はどういったものなのでしょうか。地名が駅名の直接的な由来ではあるものの、地名自体にも由来があることから、その点を確認してみたいと思います。
古い地名にはよくあることですが、登戸についても由来は諸説あるというのが実際のところです。
有力だといわれているのは、地形が関係しているというもので、低地から多摩丘陵に登っていく場所であることから、登戸という地名が生まれたとされています。
他にはアイヌ語に由来するという説もあり、「ヌプルット」が訛ったというものです。
濁った沼という意味になるようですが、やや強引な印象もあります。
加えて、近年は郷土史家の方が新説を唱えており、登るには川が干上がるといった意味もあるということから、多摩川の流路変遷により陸地になった場所として、登戸という地名が生まれたのではないかとしています。
決定的なことはタイムマシンでもなければ分からないのでしょうが、どれも多摩川や地形に関係している説であり、昔から多摩川によって発展してきた地域ならではといえそうです。
おわりに
小田急と南武線の交差により、川崎市内の交通網における重要な役割を担う登戸駅。歴史ある地名を駅名とした駅ですが、近年は再開発により駅周辺の風景が大きく変わりつつあります。
コメント
コメント一覧 (11)
昭和50年代の当時の登戸駅は対向式ホーム2面2線、箱根そばは上りホームから階段を降りてすぐ左手にありました。
多摩川鉄橋と一体になったような構造の駅で、電車が通ると頭の上でガランガラガラと大きな音がしました。
ちょっと大人になったような気持ちでお金払っての外食、他愛ない話をしながら食べた冷やしたぬきうどんのあの味あの時間、懐かしいです。
私的な内容で失礼しました。
ワタシダ
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中央線の武蔵境・東小金井・武蔵小金井を連想してしまいます。
ワタシダ
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おおむねの認識としては、内地に住んでいたアイヌ人たちは、徐々に北へと追いやられ、各地に地名を残しながら最終的に北海道にたどり着いたというものではないかと思います。
伊豆から北関東へ抜けたというように考えれば、アイヌ語発祥説も考えられなくはないと思いますが、どうですかね。それより南武鉄道がなぜ登戸と名付けたか、地名由来ならばその地名はどういう経緯で付けられたのかを調べないと、よくわかりませんね。
かつて登戸駅の近くからは、いくつか梨園がひろがっており、梨もぎに行ったことがあります。梨園の前の道路から、登戸駅の高架部分が見え、電車が走っているのが見えました。その頃の梨の、標準的な品種は「長十郎」と「二十世紀」。それ以外はほとんど見かけませんでしたね。
ワタシダ
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さらに反れますが、埼玉のふじみ野市と富士見市は隣り合わせで、東武東上線の「ふじみ野駅」の住所が富士見市ふじみ野東1丁目にある為、駅を出て暫く歩くと「ふじみ野市」の市境看板が見えてくるので不思議な感じがしますね
ワタシダ
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ちなみに京成千葉線に西登戸という駅名がありますが、こちらは千葉市中央区の登戸地区の西側に由来しており小田急や南武線の登戸とのつながりはなく(むしろこちらの登戸が西側に位置しとります)、元々の駅名は千葉海岸でした。また、読みも「のぼりと」ではなく「のぶと」でありこれもまた駅周辺における地名の歴史的な経緯を窺わせるものがありますね。
ワタシダ
が
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ワタシダ
が
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ワタシダ
が
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ワタシダ
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