小田原線から江ノ島線が分岐し、大野総合車両所も併設されている小田急の相模大野駅。
通過線を挟んだ2面4線のホーム配置が珍しく、小田急では唯一のパターンとなっています。

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そんな相模大野駅ですが、戦前から戦後にかけての時期において、今とは異なる珍しいホーム配置となっていました。

互い違いのホーム配置だった昔の相模大野駅

小田急の中では広々としたホーム配置の相模大野駅ですが、現在の姿は1990年代の改良工事によって生まれました。
元々は2面4線のホーム配置で、お世辞にも広いとはいえない状態でしたが、改良工事後はゆったりした使いやすい駅となっています。

相模大野駅は1938年に設置された駅ですが、当時のホーム配置は改良工事前とも異なっており、上下線で互い違いの配置になっているというものでした。
上下線のホームが少しずれているケースは、現代の小田急にもありますが、相模大野駅の場合は構内の横断場を挟んで完全に互い違いとなっていたのです。

具体的な配置としては、下り線のホームが小田原方に、上り線のホームが新宿方に寄るというもので、上下線を結ぶ渡り線も新宿方に設けられていました。
特徴的なホーム配置は1950年代に変更され、改良工事前の状態となったようです。

なぜ互い違いのホーム配置で開業したのか

小田急の中でも珍しい配置となった相模大野駅のホームですが、なぜこのような状態になったのかが気になります。
理由について書かれたものを目にした記憶がなく、写真等から分かる情報をベースに考えてみたいと思います。

まず、相模大野駅は小田原線の開業時には存在せず、江ノ島線が分岐するために大野信号所が設置されていました。
1938年に信号所が駅に昇格し、相模大野(当時の駅名は通信学校)駅になったというのが誕生の経緯です。
つまり、駅ができる前からポイントや信号が多数設置されていたことになるため、それに合わせてホームを配置したというのが考えられそうです。

そのように考えた理由として、かつては下り線の小田原方にポイントがなく、小田原線は3番ホームに、江ノ島線は4番ホームにしか入れなかった点があり、配線を変更せずにホームを置いた可能性が浮かびます。
新宿方にあるポイントや渡り線も気になる存在で、これらを移設しないでホームを配置しようとすると、互い違いになりそうにも見えるのです。

分割併合の都合や、運用しやすいといった理由も考えましたが、それであれば小田原方にポイントを設けるようにも思い、経営が苦しかった昭和初期の状況を踏まえれば、できるだけそのままの配線でホームを置いたというのは、ありえるように思いました。
実際のところはどうだったのかは分かりませんが、何かしらの理由があったのでしょうね。

おわりに

何度かの変更を通じて、現在の状態に落ち着いた相模大野駅。
将来的には大野総合車両所の移転が控えており、小田原方を中心に配線が変化することになりそうです。