小田急線上で最も急なカーブながら、その線路上に設けられている代々木八幡駅。
電車は車輪を軋ませながら通過し、各駅停車は慎重に安全確認を行ってから発車していきます。

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そんな代々木八幡駅ですが、開業時はもう少しカーブの半径が大きくとられており、後にさらに小さくなったという経緯があります。
ただでさえ急なカーブだったにもかかわらず、なぜ半径を小さくすることになったのでしょうか。

現在よりも大きかったカーブの半径

急カーブ上に位置する代々木八幡駅は、1927年に小田原線が開業した際に設けられました。
当時の地形や周辺の状況が影響し、やむを得ず急カーブができた場所ですが、今日に至るまで安全確保には神経を使っているようです。

現在のカーブは、下り線が半径207m、上り線が203mとなっており、通過する列車には45km/hの速度制限がかかることとなりました。
小田急線内では珍しい島式ホームとなっていますが、急カーブ上にある関係で車両とホームのすき間が大きくなるため、ホームドアに加えて可動ステップが設置されており、保安度の向上が図られています。

このように、現代においても扱いには苦労がある急カーブですが、昔は今よりも少しだけ半径が大きくとられていました。
代々木八幡駅を見ると、新宿方は上下線が隣接しているものの、小田原方に向かって離れていくことが分かります。
下り線の線路位置は変化していませんが、かつては上り線の小田原方も下り線に隣接していたため、今よりもカーブの半径は若干大きかったことになります。

なぜ上り線の半径を小さくしたのか

代々木八幡駅といえば、10両編成の停車に合わせてホームを延長した際、小田急では珍しい島式ホームに改良されたという経緯がありました。
これは上下線間が開いていたことから実現したものですが、その背景には何があったのでしょうか。

下り列車に乗り代々木八幡駅を出発すると、すぐに小田急の上下線間からは千代田線の線路が顔を出します。
相互直通運転の開始に向けて千代田線を延伸した際、代々木上原駅では小田急が千代田線の線路を挟むことになりましたが、その際に上り線の位置が変更され、結果的にカーブの半径がさらに小さくなりました。

ただでさえ急なカーブであり、もう少し手前で千代田線を潜らせることができれば、違う結果にできそうにも思いますが、用地の関係で難しかったものと思われます。
引き上げ線の関係等で、代々木上原駅の位置が変えられないとなれば、勾配を急にして早く地下に潜らせる必要がありますが、千代田線は35‰、小田急は27‰であり、既に限界に近い状態の設計だったことから、代々木八幡駅の上り線を移設することは、避けられないことだったといえそうです。

おわりに

新宿から代々木上原にかけては、複々線化の対象から外れてしまったこともあり、昔ながらの状態がほぼ維持されています。
私鉄らしい風景と表現もできますが、代々木八幡駅の急カーブもそれを象徴する存在なのかもしれませんね。