快速急行等が登場しておらず、列車種別がとてもシンプルな構成だった2000年頃の小田急。
車内に掲出されている路線図も結果的にシンプルなものとなり、停車駅が分かりやすいという面ではメリットがありました。

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そんな2000年頃の路線図には、新宿を起点とした所要時間の目安が書かれていました。
現代のような速達種別がない中、所要時間はどれぐらいだったのでしょうか。

路線図に書かれていた所要時間

特急を除けば、各駅停車、準急、急行の3種別しかなかった2000年頃は、路線図の内容もシンプルなものでした。
3種別しかないため、各路線に引かれている線も最大で3本しかなく、支線は準急の設定がなかったことから、今とは情報量も大きく異なります。

2000年頃の特徴としては、路線図に急行の所要時間が書かれており、停車駅ごとに新宿からどれぐらいかかるかが分かるようになっていました。
各駅に書かれていた所要時間の目安は、以下のとおりとなります。

新宿:0分
代々木上原:5分
下北沢:7分
成城学園前:15分
登戸:19分
向ヶ丘遊園:21分
新百合ヶ丘:27分
町田:35分
相模大野:38分
海老名:47分
本厚木:52分
愛甲石田:55分
伊勢原:59分
鶴巻温泉:63分
東海大学前:65分
秦野:70分
渋沢:75分
新松田:82分
小田原:90分
箱根板橋:94分
風祭:98分
入生田:101分
箱根湯本:106分
中央林間:42分
南林間:44分
大和:48分
長後:53分
湘南台:56分
藤沢:63分
本鵠沼:70分
鵠沼海岸:72分
片瀬江ノ島:74分

路線図にはこのように書かれており、多摩線にも急行の設定自体はあったものの、下り列車がなかったためか、小田原線と江ノ島線のみの記載となっていました。
停車駅が現代とは異なることや、箱根登山線内の駅にも書かれているのが面白く、それだけ箱根湯本行きの急行が当たり前だったことが分かります。

現代の所要時間との比較

快速急行の設定がなかった当時ですが、現代の所要時間と差はあるのでしょうか。
全ての列車を平均するのは難しいため、ラッシュ時の影響を受けてなさそうな列車の所要時間を中心に見てみたいと思います。

まず、小田原線の急行で見た場合ですが、新宿から小田原までは100分前後かかるようです。
2000年頃と比較した場合、10分ぐらい増えていることになりますが、駅での停車時間に余裕を持たせていることや、停車駅の増加、待避等もあったりするため、こういう結果になるのでしょう。
快速急行が90分を切るぐらいとなりますが、昔の急行と同じぐらいということになり、これは意外な結果かもしれません。

江ノ島線については、新宿から片瀬江ノ島行きの急行が設定されていないため、早朝にある片瀬江ノ島発の新宿行きを確認すると、所要時間は71分となっていました。
本鵠沼と鵠沼海岸を通過することや、分割併合がなくなっていることから、早朝ということもあり昔より速く走れるのでしょう。

下りの急行については、新宿から藤沢までの所要時間で比較してみたいと思いますが、65分から70分程度となっており、昔より遅くなっていることが分かります。
快速急行だと55分程度になってくるため、昔の急行と比較してもかなり所要時間が短くなっていることから、江ノ島線の快速急行を中心に据えたダイヤが組まれているともいえそうです。

おわりに

列車種別の数は少なかったものの、その分急行が頑張っていたともいえる2000年頃の小田急。
ホームドアの設置等により、当時のような走りは不可能になっていますが、シンプルだからこそのメリットもあったのかもしれませんね。