スイッチバックの形態を持ち、かつては1日を通じて多くの列車が進行方向を変えつつ、複雑なダイヤで運行していた小田急の藤沢駅。
現在も少しだけ直通運転が残っていますが、基本的には藤沢駅で系統を分離し、それぞれで折り返し運転を行うようになっています。

運行上のネックとなっていたスイッチバックは、系統分離という手段によって解消されましたが、そもそも駅の改良等で解消する手段はなかったのでしょうか。
完全に素人の夢物語となりますが、考えてみたいと思います。
開業した頃は列車の本数が少なく、スイッチバック自体に運行上の制約はそれほどなかったものと思われますが、沿線の発展により利用者が増加すると、藤沢駅の構造は江ノ島線のボトルネックとなっていきます。
ダイヤの工夫により列車をさばく日々が続きましたが、ダイヤが乱れた際にはスイッチバックが回復の妨げとなるほか、ダイヤを組むにあたっても制約があるためか、最終的には系統分離が行われて現在の状態になりました。
スイッチバックさえなければ、藤沢駅での折り返しはほぼ行われず、片瀬江ノ島まで走るのが日常だったことでしょう。
駅の位置を変えずに、藤沢駅のスイッチバックを解消しようとした場合、西寄りを通る線路を、JR東日本のホーム付近を走るルートに変更する必要があります。
地図でイメージするとしたら、藤沢本町駅を出た先で東寄りに進み、JR東日本の駅と直角に交差しつつ、その先で西寄りに進路を向ける必要がありそうです。
このようなルートとするには、高架か地下で立体交差する必要がありますが、地下化のほうがまだ現実味がありそうです。
藤沢本町から藤沢にかけては、市道の藤沢駅町田線が通っており、トンネルが掘れそうな気もします。
問題は藤沢駅を出た後ですが、江ノ電の線路下を進みつつ、なんとかして本鵠沼駅に向かうことになるのでしょうが、急曲線や急勾配は避けられないものと思われます。
市街化が進む前ならまだしも、建物が増えてからの立体交差化は現実的ではないと思われ、その目的がスイッチバックの解消となれば、実現の可能性はまずないといえそうです。
藤沢本町駅を出た後、東海道線を跨ぐ直前で分岐し、藤沢2号踏切付近に結ぶルートであれば、急曲線と急カーブは避けられないものの、単線であればなんとか線路を繋ぐことができそうです。
問題はそれをする意味ですが、下り列車の場合には2回も上り線と平面交差をする必要があり、そもそもダイヤ上の制約が多いという状態が解消しません。
平面交差を避けるため、立体交差をさせようとすれば、結局高架化や地下化の難しさと同じ状況に陥ります。
藤沢駅を通過することについても、デメリットしかありません。
江ノ島線内で最も利用者が多い藤沢駅を通過する理由はどこにもなく、そもそもバイパス線を設けてまで、スイッチバックを避ける理由はないでしょう。
江の島という観光地がありながら、そこに電車がほとんど直通しないのは寂しいともいえますが、このような線形となってしまった以上、仕方がないのかもしれませんね。
現在も少しだけ直通運転が残っていますが、基本的には藤沢駅で系統を分離し、それぞれで折り返し運転を行うようになっています。

運行上のネックとなっていたスイッチバックは、系統分離という手段によって解消されましたが、そもそも駅の改良等で解消する手段はなかったのでしょうか。
完全に素人の夢物語となりますが、考えてみたいと思います。
スイッチバックの解消手段
東海道線の藤沢駅を経由しつつ、江ノ電と路線が並行することを避ける必要から、小田急の駅はスイッチバックの形態となりました。開業した頃は列車の本数が少なく、スイッチバック自体に運行上の制約はそれほどなかったものと思われますが、沿線の発展により利用者が増加すると、藤沢駅の構造は江ノ島線のボトルネックとなっていきます。
ダイヤの工夫により列車をさばく日々が続きましたが、ダイヤが乱れた際にはスイッチバックが回復の妨げとなるほか、ダイヤを組むにあたっても制約があるためか、最終的には系統分離が行われて現在の状態になりました。
スイッチバックさえなければ、藤沢駅での折り返しはほぼ行われず、片瀬江ノ島まで走るのが日常だったことでしょう。
駅の位置を変えずに、藤沢駅のスイッチバックを解消しようとした場合、西寄りを通る線路を、JR東日本のホーム付近を走るルートに変更する必要があります。
地図でイメージするとしたら、藤沢本町駅を出た先で東寄りに進み、JR東日本の駅と直角に交差しつつ、その先で西寄りに進路を向ける必要がありそうです。
このようなルートとするには、高架か地下で立体交差する必要がありますが、地下化のほうがまだ現実味がありそうです。
藤沢本町から藤沢にかけては、市道の藤沢駅町田線が通っており、トンネルが掘れそうな気もします。
問題は藤沢駅を出た後ですが、江ノ電の線路下を進みつつ、なんとかして本鵠沼駅に向かうことになるのでしょうが、急曲線や急勾配は避けられないものと思われます。
市街化が進む前ならまだしも、建物が増えてからの立体交差化は現実的ではないと思われ、その目的がスイッチバックの解消となれば、実現の可能性はまずないといえそうです。
バイパス線による直通運転
ルート変更を伴う高架化や地下化が難しいとなれば、藤沢駅を通らないバイパス線を造ってみたらどうかと思い、またしても地図を眺めてみました。藤沢本町駅を出た後、東海道線を跨ぐ直前で分岐し、藤沢2号踏切付近に結ぶルートであれば、急曲線と急カーブは避けられないものの、単線であればなんとか線路を繋ぐことができそうです。
問題はそれをする意味ですが、下り列車の場合には2回も上り線と平面交差をする必要があり、そもそもダイヤ上の制約が多いという状態が解消しません。
平面交差を避けるため、立体交差をさせようとすれば、結局高架化や地下化の難しさと同じ状況に陥ります。
藤沢駅を通過することについても、デメリットしかありません。
江ノ島線内で最も利用者が多い藤沢駅を通過する理由はどこにもなく、そもそもバイパス線を設けてまで、スイッチバックを避ける理由はないでしょう。
おわりに
結局のところ、スイッチバックを大工事で解消する必要はなく、今日に至ったのだと思います。江の島という観光地がありながら、そこに電車がほとんど直通しないのは寂しいともいえますが、このような線形となってしまった以上、仕方がないのかもしれませんね。
コメント
コメント一覧 (17)
高架にすればもうちょい自由度上げられるはずだけど...
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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国鉄藤沢駅を小田急線高架鉄橋寄りに少しずらして小田急線江ノ島線はほぼ真っ直ぐに江ノ島へと繋げる構想でしたが駅舎建設を考えていた昔の藤沢自動車教習所が有った土地が地元の政治家が地主で土地の売却ができずに、今のスイッチバック式の駅舎になってしまった。
また、江ノ島藤沢駅舎との乗り換えが、かなり遠く離れる事もあって国鉄藤沢駅と小田急線藤沢駅と江ノ島藤沢駅舎を横並びに改札口を造り各社乗り換えの利便性も考慮されました。
藤沢市の歴史を調べると、もっと詳しい経緯が解ると思います!
ワタシダ
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もっとも、実際小田急側としては、江ノ島電気鉄道の新線計画は頓挫しそうだと見ていたようですが、そうだとすると、江ノ島島内に乗り入れることを小田急が考えなかったのかが疑問にもなってきます。
それには空中電鉄という「高架鉄道」で、現在の江ノ電江ノ島駅付近から稚児ヶ淵(延長時)までを結ぶ計画(江ノ島懸垂鉄道線として1928年7月免許)が別に存在していたので、小田急としては江ノ島島内への乗り入れは考えなかったようです。
仮に江ノ島電気鉄道の茅ヶ崎線が実現していた場合は、現在の片瀬江ノ島駅が線路用地にかかるので、もう少し片瀬東浜側に移転する予定だったようで、江ノ島電気鉄道の新線は一般的な地方鉄道の車輌を使う予定だったので、乗り入れの可能性もありました。
(参考文献「江ノ電の100年」、「小田急五十年史」など)
それで、現状をどうしたらいいかですが、小田急の藤沢-片瀬江ノ島間を現江ノ島電鉄に譲渡するか管理移管し、江ノ電が江ノ電江ノ島駅から片瀬江ノ島駅に接続し、そのまま電車は藤沢まで運行し、元からの自社線に戻る「涙滴形」運転にするとともに、小田急はロマンスカーの一部と、夏期臨時などのみ藤沢-片瀬江ノ島駅間へ乗り入れとすれば、よさそうに思えますが、費用対効果の問題と、藤沢-片瀬江ノ島間はホーム先端を江ノ電車輌に合わせることが難しい等、問題は多いので、やっぱり地下化しか無いんじゃないでしょうかね(元にもどっちゃった(笑))。
ワタシダ
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藤沢から江ノ電へ乗り入れる方法です。
結局、藤沢の江ノ電駅が高架化されたりで流れてしまいました。
確か8000形が登場するときに、江ノ電への乗り入れも真剣に考えられていた、という話は聞いたことがあります。
今となっては、その8000形が引退間際になってしまいましたがね。
ワタシダ
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藤沢本町駅の先で左カーブして東へ向かうのは同じで、その先は国道467号の下を通って藤沢橋交差点付近へ向かいます。ここで国道467号の下から離れて裏通りの地下を通り、トヨタレンタカーとかながわ信用金庫の間の道路下からJR線路下にかけて、藤沢駅の新ホームを建設します。その先は、緩いSカーブで現在の片瀬江ノ島方面の線路に合流します。
西武池袋線が、所沢駅を経由するために、前後で急カーブを描いているのと似たような感じになるかと思います。
ワタシダ
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ワタシダ
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夢物語は承知の上で大和に両渡り線、藤沢は4線あればかなり違ったと思います
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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