登場から現在まで、組み替えや増結等を一切行わず、8両固定編成のまま使用されてきた小田急の2000形。
両数の関係で充当できる列車が限られるため、小田原線の各駅停車を中心とした活躍が続いてきました。

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そんな2000形ですが、10両化することで東京メトロの千代田線に乗り入れができる設計となっており、現在もそれらの名残を見ることができます。
実現することはありませんでしたが、直通仕様はどういった部分にあるのでしょうか。

10両化が想定されている2000形の設計

小田原線の各駅停車にまだ6両が多数走っていた頃、そんな時期に2000形という車両が登場します。
当時の小田急は各駅停車の8両化を進めていましたが、1000形を中心に4両を2編成繋いでいるのが基本で、中間に先頭車が2両も入ってしまうことから、デッドスペースが生まれるという難点がありました。

車両の収容力を高めるべく、8両についても固定編成化の流れが生まれ、1000形で1081Fという8両固定編成を新造したほか、2600形を組み替えて8両化する動きが始まります。
8両化の流れの中で2000形もデビューし、早速各駅停車や準急で活躍するようになりました。

このような背景で登場した2000形ですが、8両専用形式として登場したわけではなく、基本設計は10両となっており、営団地下鉄(現在の東京メトロ)の千代田線に乗り入れができる造りとなっています。
10両とする場合は、新宿方から6両目にM3、7両目にT3を入れる構成となっており、M3にはパンタグラフが載る想定がされていました。
現在もデハ2200とサハ2350が抜けているため、10両の姿を思い浮かべることができます。

2000形に残る直通仕様だった証

結果的に10両化されることはなかった2000形ですが、8両の各駅停車用としてというよりは、千代田線に乗り入れることを前提に設計されたように見えます。
なぜならば、当時の小田急は優等列車での分割併合が基本であり、10両固定編成は千代田線直通運用でしか使えないような車両だったからです。
基本の設計が10両だったこと自体が、直通仕様だった証ともいえるでしょう。

車体については、9000形や1000形と同じく幅が若干狭くなっており、全幅は2,860mmとされました。
そもそも設計のベース自体が1000形であり、開発費を抑える目的を感じつつも、乗り入れる際の調整をしやすくしようとした意図が感じられます。

直通仕様を強く感じるのは、その後に登場する3000形とは大きく異なる運転台です。
ロマンスカーにおいては、電気指令式ブレーキの車両ではワンハンドルマスコンが採用されながら、2000形は2ハンドルとされており、かつマスコンの開始位置が9000形や1000形と同じ手前からとされました。
可動する範囲も110度とされており、これは当時の直通規格に合わせたものです。

速度計についても車内信号に対応したもので、周囲に制限速度が表示できるタイプとなりました。
1000形と同様に運転席背後に窓はなく、ATC等の機器を設置する考慮がされています。
配線等の準備もされているようで、先頭車の屋根上にはJR東日本の無線アンテナを搭載する台座も設けられました。

車両の性能自体も、千代田線に乗り入れられるものとなっており、先頭車には列車番号を表示するスペースが設けられている等、随所に直通仕様が見られます。
後期に登場した編成は、最初から10両化の想定はされていなかったと思いますが、大きな設計変更はなく、直通仕様は残ったままとなりました。

おわりに

2000形が千代田線に乗り入れることはありませんでしたが、これは1.6mとしたドアの幅が理由だといわれています。
そもそも乗り入れの規格にドアは1.3mという指定があったため、どこまで事前に調整をしていたのか等、2000形の登場には謎が多いともいえそうです。