小田急初の高性能車として、直角カルダン駆動方式や電磁直通ブレーキを採用して登場した2200形。
前面2枚窓の愛嬌のあるデザインは、ネコと呼ばれて親しまれ、現在は2201Fのデハ2201が海老名検車区内で保存されています。

そんな2200形ですが、小田急で保存されている車両以外にも、富士急行(現在の富士山麓電気鉄道)に譲渡された編成が残っており、山梨県内の民間企業で保存されてきました。
幸運にも残った2両でしたが、残念ながら今後解体が予定されているようで、救出に向けたクラウドファンディングの動きもあるようです。

貴重な車両を後世に残すことを応援すべく、小田急の2211Fとして生まれ、富士急行で5707Fとして活躍した編成の歩みを、本日の記事では振り返りたいと思います。

小田急線内における2211Fの活躍

1954年に登場した2200形は、派生形式である2300形のデビューを挟みつつ、1959年まで増備されました。
2211Fは1956年に登場した2次車で、この編成までサッシに木材を使用した半鋼製車ですが、2213F以降はアルミサッシが採用され、後に他の編成も交換されています。

登場当時の段階では、前面に列車種別や行先の表示はなく、前照灯も1灯というスタイルでしたが、後に改良が行われました。
側面に目を移すと、2211Fは乗務員扉の両脇にある手すりに特徴がありましたが、こちらも後に他編成と統一されています。

旧塗装で登場しましたが、ケープアイボリーにロイヤルブルーの帯を巻く姿へと変わり、引退まで細かな改良を行いつつ活躍します。
2両という特性を活かし、増結用としても重宝されましたが、2211Fは2200形の中では珍しく電気連結器が装備されたことから、最終的には2213Fと組んだ4両が基本となりました。

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写真提供:まにまに会長様

4両での運行が基本となってからは、2400形のように多摩線で活躍することが多くなり、2200形の他編成が6両の中間に挟まってなかなか顔を見せない中、特徴的な2枚窓が先頭に立つ貴重な編成となります。
一方で、他の編成が検査等で離脱する際の予備車でもあり、小田原線等で急行の先頭に立つ姿も見られました。

最後まで先頭に立つ機会が多かった2211Fですが、2200系列の先陣を切って1982年に2300形と合わせて廃車となり、富士急行へと譲渡されることとなります。
富士急行のカラーとなった後には、小田急線内で試運転が行われるという珍事があり、色々とエピソードが豊富な編成でした。

富士急行で5707Fとして再起

幸運にも富士急行に譲渡された2211Fは、2200系列をまとめた形式である5700形を名乗り、その中の5707Fとなりました。
小田急時代とは番号の奇数と偶数が逆になっており、デハ2212がモハ5707、デハ2211がモハ5708となっています。

富士急行への譲渡にあたっては、寒冷地対策等が行われているものの、カラーリング以外はほぼ原形を保っていました。
カラーリングについては、上部の塗り分け位置が後に変更されており、ブルーの面積が狭くされています。

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移籍した段階では、台車や主電動機がそのままの状態でしたが、1984年に小田急の2220形か2320形の廃車発生品に交換され、5700形全体で足回りの統一が図られています。
屋根上にも後に変化があり、腐食を防止するためかベンチレーターが撤去され、妙にすっきりした外見が特徴的な姿となりました。

他の編成と組んだ4両も見られ、富士急行の主力車両として活躍しましたが、非冷房で老朽化が進んだことから、元京王の車両である1000形と交代し、1996年に引退しました。
廃車後は山梨県内の民間企業に引き取られ、小田急時代の旧塗装に戻されて保存されています。

元2211Fはついに解体の危機へ

登場から68年、小田急での引退から42年、富士急行での引退から28年、奇跡的に残ってきた2211Fですが、残念なことに解体が決まってしまいました。
しかし、この貴重な車両をなんとかして残したいと思う方々が力を合わせ、クラウドファンディングを実施する方向で進んでいるようです。

詳細は今後発表されるようなので、今の段階では続報を待つしかありませんが、私自身も小田急ファンの1人として、微力ながらサポートができたらと思っています。
なお、本件に関して車両を所有する企業に問い合わせることは、ご迷惑になるので絶対にしないで下さい。
続報が分かり次第、2200系列の記事と融合させつつ、お知らせする予定です。

おわりに

幸運にも解体を免れ、現在も懐かしい姿を見ることができる2200形の2211F。
解体の危機からこの貴重な車両を救い、なんとかして後世に残していけたらと思っています。