ネコ等と呼ばれて親しまれ、全16両が在籍していた小田急2200形の2枚窓車。
最終編成の2217Fを除いた8編成が該当し、他の車両とは異なる非貫通の前面が最大の特徴でした。

晩年は2220形等の間に挟まった6両編成ばかりとなり、なかなか先頭に出る機会がありませんでしたが、2211Fと2213Fだけが例外として4両を組み、多摩線を中心に活躍していました。
状況によっては多摩線以外も走行し、急行等の先頭に立つこともありましたが、それはどんな時だったのでしょうか。

予備車的な立ち位置だった2200形の2編成

小田急でトップナンバーのデハ2201が保存されている2200形ですが、2220形、2300形、2320形を加えた4形式を指すことが多く、ABFM系列等と呼ばれていました。
その中でも、2200形の8編成は前面の2枚窓が特徴的で、鉄道ファンの人気も高かったようです。

全ての編成が最終的に2両に揃えられた2200系列は、他形式の増結用として活用されたほか、2両を複数編成繋いで走ることも少なくありませんでしたが、列車の長編成化が進むにつれて、増結用としての役割はなくなっていきます。
最終的には2200系列のみで編成を組み、運用上は6両として扱われるようになりますが、近年の小田急でもそうであるように、組む編成の基本は決まっていました。
先頭に電気連結器を持たない編成が多い関係で、2200形の2枚窓車は6両の中間に位置することになり、晩年は先頭に立つ機会が激減してしまうこととなります。

そんな2枚窓車の中で、電気連結器を装備した車両が3両だけ存在し、デハ2211、デハ2214、デハ2215が該当します。
2215Fは2320形に挟まれていましたが、2211Fと2213Fだけは2編成で4両を組む予備車的な存在で、2400形と共通の運用で多摩線を中心に使われていました。



毎回のご紹介となり恐縮ですが、保存に向けてクラウドファンディングを行っている車両が、今回の記事で主役となる2211Fの生き残りです。
ご興味がある方は、是非ご支援をお願いできますと幸いです。

さて、2枚窓車の話題に戻りますが、2211Fと2213Fで組んだ編成は、完全に2400形と同じように使われていたわけではなく、独立した運用が組まれていました。
箱根登山線にも頻繁に乗り入れ、急行で走り回っていた2400形ですが、それと完全に同じ使い方となると走行距離がのびてしまうため、やや都合が悪かったのかもしれません。

多摩線以外で2枚窓車が先頭に立つ姿

他の編成とは異なる使い方をされた2211Fと2213Fですが、この2編成には重要な役目がありました。
新宿方のデハ2211と、小田原方のデハ2214に電気連結器があり、2編成は6両を組む場合にどの位置にでも入れる存在だったため、とても使い勝手がよい編成だったのです。

2両で1編成となる2200系列は、6両で半固定的に使われながらも、検査時は別々に入場することが可能です。
そこで活躍するのが2211Fと2213Fで、6両を組む編成の新宿方が入場する際は2211Fを、小田原方の場合は2213Fを繋げばよく、中間の場合はどちらでも問題ありませんでした。

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写真提供:まにまに会長様

ピンチヒッターとして活躍する場合は、このような姿を見せることとなりますが、2200系列は編成数が多いため、2211Fと2213Fで組んでいない時もそれなりにあったと思われます。
多摩線を走ることが多い編成が、急行の先頭に立って活躍する姿は、晩年になるほど貴重な時間でした。

この写真の場合は、手前から2211F、2213F、2323Fだったそうで、2編成が外れた位置にそのまま入れたような組成です。
2211Fの廃車が近い時期の撮影なので、もしかしたらそれに備えた編成替えかもしれませんが、2枚窓車が急行で活躍する貴重な姿といえます。

2211Fと2213Fのペアは、そのまま多摩線から飛び出すことも運用上はあったようで、その場合には2200系列だけで10両編成を組む、ブツ10と呼ばれる状態になることもあったと聞いています。
代走についても、両端の編成が運用から外れた際に、2200形の2枚窓車だけで6両を組むケースがあったりと、様々な姿を見せてくれたようです。

おわりに

様々な経緯で4形式が生まれながら、最終的には全編成が2両のグループにまとまった2200系列。
豊富なエピソードを持つ形式でもあるため、クラウドファンディングを応援しつつ、色々とまとめていきたいと思います。