出自は異なりながらも、最終的には全ての編成が3扉の2両編成となり、同一形式として扱われることになった2200系列。
小田急の通勤型車両としては最後の2両編成でしたが、晩年は実質的に固定編成として扱われ、4両や6両の運用で使われることとなります。

そんな2200系列の中に、他とは仕様が異なる2217Fという編成が存在しました。
4形式をまとめても46両という少数世帯の中で、1編成だけに見られた仕様はどのようなものだったのでしょうか。

2217Fが誕生した経緯

小田急初の高性能車である2200形は、1954年に登場しました。
初期の高性能車らしく直角カルダン駆動方式を採用しており、1955年には3000形(SE)が登場するまでの繋ぎとして、2200形を特急用の仕様とした2300形が登場することとなります。

1956年と1957年には2200形が増備され、2215Fまでの8編成が出揃いました。
現代と比べた場合、2300形と合わせても20両の増備であり、沿線が大きく発展する前夜という状況だったことが分かります。



この時期に増備された車両の中には、現在解体の危機に瀕している2211Fが含まれていました。
保存を実現するためのクラウドファンディングが行われていますので、ご興味がある方は、是非ご支援をお願いできますと幸いです。

さて、翌年の1958年には、2200形を4両編成として、WN駆動方式を採用した2220形が登場します。
4両になっただけではなく、前面が貫通式へと変更されており、16両が一気に増備されました。

2200系列が増備された最後の年で、同年には2400形も登場する1959年には、準特急用として2320形が登場します。
そして、2200形についても追加の増備が行われ、2217Fという2両が1本だけ造られました。

今回の主役である2217Fは、2220形の登場後に造られた2200形ということになります。
時系列を見れば分かるとおり、1958年以降の車両はWN駆動方式を採用し、前面は貫通型とするのが基本スタイルとなっていました。

20240714_01
写真提供:まにまに会長様

2両の編成が必要だったものの、今更保守に手間がかかる仕様とするわけにもいかず、2220形の編成を短縮した車両として登場したのが、2217Fだったことになります。
2217Fは2220形の性能を持つ2200形ですが、2両ということを考慮して、2200形の増備編成という扱いになったものです。

他の編成にはない2217Fの特徴

2両だから2200形となった2217Fでしたが、後に2220形の2両化が行われたことから、その存在自体がややこしいことになってしまいました。
ほぼ2220形と同一の車両でありながら、2217Fだけは2200形という状態になってしまったわけですが、引退まで改番等は行われていません。

ややこしい状態にはなったものの、2217Fならではの特徴もいくつかありました。
元々2両で登場した経緯から、2217Fには先頭車化した車両が含まれず、編成の両側が出っ張った行先表示器のスタイルでした。
晩年はあまり顔を出しませんでしたが、2220形等の先頭車化した車両は2400形と同じ前面であり、ここに出自の違いに由来する差異があったことになります。

20240714_02
写真提供:まにまに会長様

晩年はほとんど先頭に立つ機会がなかったデハ2217でしたが、2200系列の廃車後に顔を出す機会がありました。
行先幕が抜かれていたのか、サボを掲出しての運行となっていますが、後に幕が入れられたようです。

デハ2217をよく見ると、電気連結器がないことが分かります。
これが晩年は中間に入ることになった理由ですが、2220形と異なり列車無線が両方の先頭車に搭載されていたことから、このような芸当が可能でした。

20240714_03
写真提供:まにまに会長様

2217Fにはもう一つ大きな特徴があり、他の車両とは異なるFS321という台車を履いていました。
外見からも分かるとおり空気ばねを使用した台車で、コイルばねの他編成とは乗り心地も異なります。

後に登場する2400形はコイルばねの台車を採用し、空気ばねの台車を本格的に採用するのは3100形(NSE)からでした。
2両だけに採用されたFS321は、あくまでも試用ということだったのでしょうね。

おわりに

2220形の登場後に増備され、2両という編成を理由に2200形の仲間とされた2217F。
台車に試験的な要素を含んでいたことから、車両自体が試験車としての役割を兼ねていたのかもしれませんね。