従来の車両とは異なり、数々の最新技術を採用して世間を驚かせた東京メトロの6000系。
左右非対称の前面スタイルは、その後に登場する車両にも大きな影響を与えました。
千代田線で使われた6000系は、他社との相互直通運転にも長く充当され、小田急線内でもおなじみの存在でした。
長年に渡って全編成が揃って活躍してきましたが、廃車の開始により数を減らす中で、晩年の小田急との関わりはどうなっていったのでしょうか。
一時期は千代田線用の車両が全て6000系だった時期もあり、平成に入って06系が1編成だけ加わりつつも、圧倒的な多数派として長く君臨し続けることとなります。
6000系は2018年に運用から外れましたが、営業運転の開始から50年に迫るほどの活躍をし、小田急線にも長く乗り入れを行いました。
小田急への乗り入れは1978年から始まり、9000形、1000形、4000形と小田急の車両は交代しますが、6000系は交代せずに活躍を続けることとなります。
長きに渡って全編成が現役を続けた6000系は、2010年から廃車が開始されました。
当時の相互直通運転は多摩急行の全盛期で、ラッシュ時等に急行に充当される機会はあるものの、基本的には多摩線内を起終点とする運用で使われ、小田原線の新百合ヶ丘以西には入線しない状態でした。
準急の運用は小田急の車両に限られていたため、代走等を除いて充当されることは基本的になく、活躍の場自体は限定されていました。
6000系の廃車は16000系の登場で始まり、チョッパ制御車が次々に引退しますが、置き換えが始まると早いもので、2012年までにほぼ半減という状態に至ります。
ここで一旦廃車はストップし、しばらくは6000系と16000系が共存する状態となりました。
廃車の対象はVVVFインバーター制御化された編成で、いよいよ6000系にとっての最終章がスタートしました。

いよいよ先が見えてきた6000系でしたが、意外にも2016年からは小田急線内における活躍の幅が広がります。
2016年のダイヤ改正以降、小田急では日中を中心に運行パターンが大きく変わり、急行で活躍するシーンが増加しました。
興味深い変化としては、ラッシュ時に準急に充当される運用が生まれ、日常的に小田原線の新百合ヶ丘以西にも入線するようになります。
日によっては、新百合ヶ丘駅において、1番ホームと2番ホームで6000系が並ぶこともあり、なんとも珍しいシーンが展開されました。
活躍の場は広がりつつも、残念ながら6000系の廃車はどんどん進んでいったため、このようなシーンは長く続きませんでした。
小田急線内でデジタル無線の使用が開始されたことに伴い、2017年の5月に乗り入れ運用からは外れ、6000系はひっそりと姿を消しました。
16000系がその役割を引き継ぎましたが、同一形式でバリエーションが豊富だった6000系に比べると、かなり整理されたと感じますね。
左右非対称の前面スタイルは、その後に登場する車両にも大きな影響を与えました。
千代田線で使われた6000系は、他社との相互直通運転にも長く充当され、小田急線内でもおなじみの存在でした。
長年に渡って全編成が揃って活躍してきましたが、廃車の開始により数を減らす中で、晩年の小田急との関わりはどうなっていったのでしょうか。
2010年から廃車が開始された6000系
1968年に試作車が登場し、1971年から営業運転に投入された6000系は、最終的に353両の大所帯となりました。一時期は千代田線用の車両が全て6000系だった時期もあり、平成に入って06系が1編成だけ加わりつつも、圧倒的な多数派として長く君臨し続けることとなります。
6000系は2018年に運用から外れましたが、営業運転の開始から50年に迫るほどの活躍をし、小田急線にも長く乗り入れを行いました。
小田急への乗り入れは1978年から始まり、9000形、1000形、4000形と小田急の車両は交代しますが、6000系は交代せずに活躍を続けることとなります。
長きに渡って全編成が現役を続けた6000系は、2010年から廃車が開始されました。
当時の相互直通運転は多摩急行の全盛期で、ラッシュ時等に急行に充当される機会はあるものの、基本的には多摩線内を起終点とする運用で使われ、小田原線の新百合ヶ丘以西には入線しない状態でした。
準急の運用は小田急の車両に限られていたため、代走等を除いて充当されることは基本的になく、活躍の場自体は限定されていました。
6000系の廃車は16000系の登場で始まり、チョッパ制御車が次々に引退しますが、置き換えが始まると早いもので、2012年までにほぼ半減という状態に至ります。
ここで一旦廃車はストップし、しばらくは6000系と16000系が共存する状態となりました。
晩年に広がった活躍の場
編成数を大きく減らしつつも、安定した状態になっていた6000系でしたが、16000系の追加増備により2015年から廃車が再開されます。廃車の対象はVVVFインバーター制御化された編成で、いよいよ6000系にとっての最終章がスタートしました。

いよいよ先が見えてきた6000系でしたが、意外にも2016年からは小田急線内における活躍の幅が広がります。
2016年のダイヤ改正以降、小田急では日中を中心に運行パターンが大きく変わり、急行で活躍するシーンが増加しました。
興味深い変化としては、ラッシュ時に準急に充当される運用が生まれ、日常的に小田原線の新百合ヶ丘以西にも入線するようになります。
日によっては、新百合ヶ丘駅において、1番ホームと2番ホームで6000系が並ぶこともあり、なんとも珍しいシーンが展開されました。
活躍の場は広がりつつも、残念ながら6000系の廃車はどんどん進んでいったため、このようなシーンは長く続きませんでした。
小田急線内でデジタル無線の使用が開始されたことに伴い、2017年の5月に乗り入れ運用からは外れ、6000系はひっそりと姿を消しました。
おわりに
長く小田急線内に乗り入れ、おなじみの存在でもあった6000系。16000系がその役割を引き継ぎましたが、同一形式でバリエーションが豊富だった6000系に比べると、かなり整理されたと感じますね。
コメント
コメント一覧 (6)
ワタシダ
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・大江健三郎先生と息子の光さん
・薬師丸ひろ子さん(大学の一応後輩)
薬師丸さんの時は、フィルムカメラを持っていたので、撮影が不可能というわけではありませんでしたが、プライベート時だし、何しろ大学の先輩が「写真撮らせて」というわけにもいかず、画像は撮っていません。かわりに?旧4000とかが写っている(笑)。
余談。経堂のOXストアで見かけた有名人
・長門裕之さん(HOKUOでパンを買っていらした)
・九重佑三子さん(初代コメットさんですね)
ワタシダ
が
しました
9000形だと代々木上原までは冷房を使ってくれたので、代ゼミの夏期講習に行くときには9000形が快適でした。
営団6000系の発車時のプーンみたいな音が印象的でした。
ワタシダ
が
しました
その9000形が引退した時、唐木田車庫での撮影会で6027編成が並んで花を添えてくれました。
ワタシダ
が
しました
このように東京メトロの車両で長く活躍した形式は晩年まで第一線で活躍しており、後輩形式たちにその役割が受け継がれとることも感慨深いですね。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました