1972年に営業運転を開始した小田急9000形。
小田急9000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
4両は10本が造られましたが、9010Fが中間車を追加増備して6両化されたため、結果的に9009Fが4両のラストナンバーとなりました。
編成の仕様としては他の2次車と同様で、側面の表示装置に電動の幕式を採用し、前面の種別幕は種別ごとに文字の色が異なるものへと変わっています。
乗務員室の扉はステンレス製に変更されたため、無塗装の仕上げとされました。
登場からしばらくの間は小田急線内用の車両として使われ、後に営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線に乗り入れるための改造が行われています。
正面の手すりは前後で同じ形状でしたが、乗務員室内に貫通路を構成するための改造が1978年度に行われ、合わせてデハ9309の手すりが交換されました。
車体修理は1992年度に行われ、9009Fをもって4両については全編成の更新が完了しています。
晩年は他の4両と組んだ8両で使われ、相方を多く務めたのは9008Fでした。
3000形の8両へと置き換えられたことで、2005年度に廃車となりました。
※左側が新宿方
デハ9109:2次車
デハ9209:2次車
デハ9309:2次車
デハ9109:東急車輛製造
デハ9209:東急車輛製造
デハ9309:東急車輛製造
デハ9109:1972年12月1日
デハ9209:1972年12月1日
デハ9309:1972年12月1日
デハ9109:調査中
デハ9209:調査中
デハ9309:調査中
デハ9109:2005年12月12日
デハ9209:2005年12月12日
デハ9309:2005年12月12日
小田急9000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
9009Fの概要
9000形の2次車として、1972年の終わりに登場した4両編成です。4両は10本が造られましたが、9010Fが中間車を追加増備して6両化されたため、結果的に9009Fが4両のラストナンバーとなりました。
編成の仕様としては他の2次車と同様で、側面の表示装置に電動の幕式を採用し、前面の種別幕は種別ごとに文字の色が異なるものへと変わっています。
乗務員室の扉はステンレス製に変更されたため、無塗装の仕上げとされました。
登場からしばらくの間は小田急線内用の車両として使われ、後に営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線に乗り入れるための改造が行われています。
正面の手すりは前後で同じ形状でしたが、乗務員室内に貫通路を構成するための改造が1978年度に行われ、合わせてデハ9309の手すりが交換されました。
車体修理は1992年度に行われ、9009Fをもって4両については全編成の更新が完了しています。
晩年は他の4両と組んだ8両で使われ、相方を多く務めたのは9008Fでした。
3000形の8両へと置き換えられたことで、2005年度に廃車となりました。
編成表
デハ9009-デハ9109-デハ9209-デハ9309※左側が新宿方
製造区分
デハ9009:2次車デハ9109:2次車
デハ9209:2次車
デハ9309:2次車
製造所
デハ9009:東急車輛製造デハ9109:東急車輛製造
デハ9209:東急車輛製造
デハ9309:東急車輛製造
竣功日
デハ9009:1972年12月1日デハ9109:1972年12月1日
デハ9209:1972年12月1日
デハ9309:1972年12月1日
車体修理竣功日
デハ9009:調査中デハ9109:調査中
デハ9209:調査中
デハ9309:調査中
廃車日
デハ9009:2005年12月12日デハ9109:2005年12月12日
デハ9209:2005年12月12日
デハ9309:2005年12月12日
コメント
コメント一覧 (4)
9007Fを単独で浮かせて9008F+9009Fで組んでいた理由は、デッドマン装置のないマスコンを搭載した車両を急行運用に就かせたくなかったのかもしれません。
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当初はデヤ9000になるための休車ではないかとか、いくつかのウワサが飛び交いました。
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