開業から100年という節目が近付く小田急において、2300形ほど短期間に改造を繰り返した車両は存在しません。
登場から10年以内に2回も大改造を行い、その度に大きく姿を変えた2300形は、大量輸送時代へと移行する混乱期に生まれた車両でした。
ロマンスカーとして登場しつつも、最終的には通勤型車両となった2300形は、どんな点が他のABFM車と異なっていたのでしょうか。
各形式の出自は異なり、車両の仕様も様々な状態でしたが、最終的に2両の3扉車に揃えられており、運用上も同一形式として扱われました。
そんなABFM車の中で、最も異質な経歴となっていたのが、今回紹介する2300形という車両です。
在籍した両数は4両と少なく、ABFM車の中で最も少ないグループでした。
他のABFM車とは異なり、2300形だけはロマンスカーとして登場しましたが、時代の変化に巻き込まれ、短期間で改造を繰り返すこととなります。
2300形の登場は1955年のことで、1954年に登場した2200形に続いてのデビューでした。
当時の小田急では、1700形という専用車両を用いた特急が好評であり、増える需要に車両増備で対応することになりましたが、既に3000形(SE)の登場に向けた計画が進んでいたため、将来的に格下げをする前提で新型特急車両が造られることになりました。
こうして登場したのが2300形で、2200形の足回りに1700形の流れを汲む車体を合わせ、2両を2本繋いだような構成の4両固定編成でデビューすることとなります。
格下げ前提の車両ながら、見た目はかなり洗練されたスタイルとなっており、SEまでの繋ぎのロマンスカーとして大切な役割を果たしました。
しかし、2300形がロマンスカーでいられた期間は極めて短く、1959年には2320形に合わせた2扉のセミクロスシートに改造され、準特急等で活躍することとなります。
2300形が不運だったのは、その時代さえ長く続かなかったことで、3100形(NSE)の増備により特急が増発され、準特急は廃止される運命を辿りました。
早くも1963年には2回目の格下げ改造が行われ、他のABFM車と同じ3扉の通勤型車両へと姿を変え、その状態で引退まで活躍を続けることとなります。
格下げこそ早期に行われましたが、ロマンスカーの風格は細部に残っており、ABFM車の中では異質な存在でした。
他のABFM車と組むことも多く、違いはそれなりに目立っており、それらの特徴を見ていきたいと思います。
写真提供:まにまに会長様
2300形の2304Fを先頭にした10両で、2209F、2303Fが続いています。
最後部は2400形のように思われますが、よく見ると2300形だけ車体の幅が広いことが分かります。
他のABFM車は車体幅が2,700mmなのに対して、2300形だけは2,800mmと広く、他の中型車と繋いだ場合は違いが目立っていました。
車体幅としては1800形と同じであり、晩年の中型車に取り付けられたドアのステップもなく、どこか横に伸びたような前面スタイルが特徴となっています。
写真提供:まにまに会長様
元々は前面を2枚窓とした湘南顔と呼ばれるスタイルでしたが、2回目の格下げ時に小田急顔へと大改造されました。
前面が改造された時期が遅かったため、全ての先頭車が2400形の流れを汲むスタイルとなっており、行先表示が埋め込まれた整ったスタイルとなっています。
写真提供:まにまに会長様
2300形がロマンスカーだった証は、側面を中心に見ることができました。
最大の特徴は扉間に窓が四つあることで、写真の奧に見える2200形がそうであるように、他のABFM車の三つとは異なっています。
これはクロスシートだった時代の名残で、シートピッチに合わせるために窓を小さくし、格下げ後もそれを活かしたことによるものです。
その他にも、屋根上のベンチレーターが特徴的であり、2200形と似たものを中央に寄せている関係で、他のABFM車よりもスマートに見えます。
ABFM車はパンタグラフを前面側とした前パンが基本ですが、2300形だけは連結面寄りとなっており、これも大きな特徴でした。
4両の時代は、中間車の先頭車寄りにパンタグラフを装備していましたが、2回目の格下げ時にデハ2301とデハ2302を方向転換して車号を交換しています。
これにより、デハ2301とデハ2302は他のABFM車と床下機器の配置が異なる状態となり、海側と山側が逆の状態となりました。
これに関連するものとして、窓やドアの位置が奇数車と偶数車で異なっており、前者は前面寄り、後者は連結面寄りというのも特徴でした。
小田急での引退後は富士急行に譲渡された2300形ですが、同時に譲渡された2211Fが現在も残っています。
しかし、現在は解体の危機にある状況で、救い出して保存を継続するためのクラウドファンディングが行われています。
多くの支援が集まりつつある状況ですが、2両を救い出すにはまだ足りないようですので、ご興味がある方は是非ご支援をお願いできますと幸いです。
悲運なロマンスカーだったといわれますが、富士急行にも譲渡されており、長生きできたという面では幸運だったのかもしれませんね。
登場から10年以内に2回も大改造を行い、その度に大きく姿を変えた2300形は、大量輸送時代へと移行する混乱期に生まれた車両でした。
ロマンスカーとして登場しつつも、最終的には通勤型車両となった2300形は、どんな点が他のABFM車と異なっていたのでしょうか。
短期間で繰り返された格下げ改造
2200形、2220形、2300形、2320形という4形式はABFM車と呼ばれ、全電動車方式の2両編成を総称したものです。各形式の出自は異なり、車両の仕様も様々な状態でしたが、最終的に2両の3扉車に揃えられており、運用上も同一形式として扱われました。
そんなABFM車の中で、最も異質な経歴となっていたのが、今回紹介する2300形という車両です。
在籍した両数は4両と少なく、ABFM車の中で最も少ないグループでした。
他のABFM車とは異なり、2300形だけはロマンスカーとして登場しましたが、時代の変化に巻き込まれ、短期間で改造を繰り返すこととなります。
2300形の登場は1955年のことで、1954年に登場した2200形に続いてのデビューでした。
当時の小田急では、1700形という専用車両を用いた特急が好評であり、増える需要に車両増備で対応することになりましたが、既に3000形(SE)の登場に向けた計画が進んでいたため、将来的に格下げをする前提で新型特急車両が造られることになりました。
こうして登場したのが2300形で、2200形の足回りに1700形の流れを汲む車体を合わせ、2両を2本繋いだような構成の4両固定編成でデビューすることとなります。
格下げ前提の車両ながら、見た目はかなり洗練されたスタイルとなっており、SEまでの繋ぎのロマンスカーとして大切な役割を果たしました。
しかし、2300形がロマンスカーでいられた期間は極めて短く、1959年には2320形に合わせた2扉のセミクロスシートに改造され、準特急等で活躍することとなります。
2300形が不運だったのは、その時代さえ長く続かなかったことで、3100形(NSE)の増備により特急が増発され、準特急は廃止される運命を辿りました。
早くも1963年には2回目の格下げ改造が行われ、他のABFM車と同じ3扉の通勤型車両へと姿を変え、その状態で引退まで活躍を続けることとなります。
格下げこそ早期に行われましたが、ロマンスカーの風格は細部に残っており、ABFM車の中では異質な存在でした。
2300形に残っていた特徴
2回の格下げ改造により、引退まで通勤型車両として過ごすことになった2300形ですが、どのような特徴があったのでしょうか。他のABFM車と組むことも多く、違いはそれなりに目立っており、それらの特徴を見ていきたいと思います。
写真提供:まにまに会長様
2300形の2304Fを先頭にした10両で、2209F、2303Fが続いています。
最後部は2400形のように思われますが、よく見ると2300形だけ車体の幅が広いことが分かります。
他のABFM車は車体幅が2,700mmなのに対して、2300形だけは2,800mmと広く、他の中型車と繋いだ場合は違いが目立っていました。
車体幅としては1800形と同じであり、晩年の中型車に取り付けられたドアのステップもなく、どこか横に伸びたような前面スタイルが特徴となっています。
写真提供:まにまに会長様
元々は前面を2枚窓とした湘南顔と呼ばれるスタイルでしたが、2回目の格下げ時に小田急顔へと大改造されました。
前面が改造された時期が遅かったため、全ての先頭車が2400形の流れを汲むスタイルとなっており、行先表示が埋め込まれた整ったスタイルとなっています。
写真提供:まにまに会長様
2300形がロマンスカーだった証は、側面を中心に見ることができました。
最大の特徴は扉間に窓が四つあることで、写真の奧に見える2200形がそうであるように、他のABFM車の三つとは異なっています。
これはクロスシートだった時代の名残で、シートピッチに合わせるために窓を小さくし、格下げ後もそれを活かしたことによるものです。
その他にも、屋根上のベンチレーターが特徴的であり、2200形と似たものを中央に寄せている関係で、他のABFM車よりもスマートに見えます。
ABFM車はパンタグラフを前面側とした前パンが基本ですが、2300形だけは連結面寄りとなっており、これも大きな特徴でした。
4両の時代は、中間車の先頭車寄りにパンタグラフを装備していましたが、2回目の格下げ時にデハ2301とデハ2302を方向転換して車号を交換しています。
これにより、デハ2301とデハ2302は他のABFM車と床下機器の配置が異なる状態となり、海側と山側が逆の状態となりました。
これに関連するものとして、窓やドアの位置が奇数車と偶数車で異なっており、前者は前面寄り、後者は連結面寄りというのも特徴でした。
小田急での引退後は富士急行に譲渡された2300形ですが、同時に譲渡された2211Fが現在も残っています。
しかし、現在は解体の危機にある状況で、救い出して保存を継続するためのクラウドファンディングが行われています。
多くの支援が集まりつつある状況ですが、2両を救い出すにはまだ足りないようですので、ご興味がある方は是非ご支援をお願いできますと幸いです。
おわりに
たった4両の少数世帯ながら、結果的に全ての車両の仕様が異なる状態となった2300形。悲運なロマンスカーだったといわれますが、富士急行にも譲渡されており、長生きできたという面では幸運だったのかもしれませんね。
コメント
コメント一覧 (11)
編成美の観点で考えた場合、史実では2211F+2213Fが果たした役割を2301F+2303Fが果たしていればきれいだったのではないか、と思ってしまいます。
ワタシダ
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前パンでないことと、側面の窓の上の白塗装の部分が広かったことが、そんな雰囲気を醸し出していたように思います。
後に、元ロマンスカーだったことを知り、なるほどと府に落ちました。
ワタシダ
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ワタシダ
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疑問なのは、セミクロス化もロングシート化も、東急車輌(当時)で行われていますが、3ドアロング化時に、正面2枚窓のまま一度改造を終え、その後貫通化を追加して行っている様子(所蔵写真より)なことです。当初はM'c-Mc+Mc-M'cのまま3ドア化するつもりだったのかもしれません。
ワタシダ
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2300形は特に好きな車両でしたが、特急時代も、準特急時代も記憶にはありませんでした。
あとで車歴を知って、華々しい過去と時代に翻弄され、他のABFM車と同じ素振りでも、よく見ると違いがわかるエリート車両。
自動車の希望ナンバーが始まった時に23-01を付けていました。
準特急って乗ってみたかったなぁ。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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