全電動車方式を踏襲しつつも、4両固定編成として登場した小田急の2220形。
比較的早い段階で中間車を先頭車に改造したため、晩年に見られた2両ばかりのイメージが強い形式です。

他のABFM車と組み合わせ、晩年は主に6両で走っていた2220形ですが、その中に手すりの色が他の編成と異なる異端車が存在しました。
16両が在籍した2220形の中で、たった2両だけが該当する仕様でしたが、なぜそうなっていたのかは現在も謎のままです。

登場時は無塗装だった2220形の手すり

小田急初の高性能車となった2200形の後を受け、中間車を組み込んだ4両編成で2220形は登場しました。
形式の刻み方からも分かるとおり、2200形の細部を変更した実質的な増備形式ですが、前面は従来車と同じ貫通型へと戻っています。

2220形は全編成が1958年に竣功し、合計16両が造られました。
登場時は旧塗装でしたが、ケイプアイボリーにロイヤルブルーの帯を巻くのが標準色となったため、後に塗り替えが行われています。

貫通型の前面に戻った背景には、清掃時の通り抜けを容易にしたいという社内の要望があったようで、複数の編成を繋いで走る機会が多い、小田急ならではの事情だったといえそうです。
小田急の車両では、貫通扉脇に手すりを設ける伝統がありましたが、2220形についても同様のものが設置されていました。

登場当時は手すりが塗装されておらず、クロムメッキの輝くものだったようですが、後に車体色と同様に塗装されるようになります。
なぜ塗装されるようになったのかは定かではありませんが、塗り分ける手間を避けたかったのか、それともコストの問題なのか、何らかの事情があったのでしょう。

無塗装のまま残った2223Fの手すり

車体色と同様に塗られるようになった手すりですが、不思議なことに最後まで無塗装だった編成が存在します。
2220形の2223Fがその編成に該当し、新塗装となってからもそのままだったばかりか、廃車となるその日まで見ることができました。

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写真提供:まにまに会長様

ケイプアイボリーにロイヤルブルーの帯を巻く姿になっても、手すりはこのように塗装されていません。
他の小田急顔の形式も含め、このような姿となった車両はいないと思われ、なんとも違和感のある姿です。

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写真提供:まにまに会長様

晩年は試運転の時ぐらいしか顔を出さなかったデハ2223についても、手すりは無塗装のままでした。
行先表示器が埋め込まれているため、手すりの違和感がさらに強調されているようにも思います。

不思議なのは、なぜ2223Fの2両だけが塗装されずに残ったのかという点で、理由を考えてみてもよく分かりません。
現代においても、2000形の2059Fがロイヤルブルーの帯で残っている等、不思議な事象はいつの世も存在するものですが、2223Fの手すりはいったいなぜ無塗装で残ったのでしょうか。



2223Fの手すりには続きがあり、廃車後に富士急行へと譲渡された際には、他の編成と同様に手すりが塗装されました。
富士急行では他のABFM車と一緒に活躍し、1997年の形式消滅時まで在籍していました。

かつて富士急行で活躍した仲間も全車引退済ですが、2200形の2211Fだけが現在も残っています。
しかし、現在は解体の危機にある状況で、救い出して保存を継続するためのクラウドファンディングが行われています。

第一目標の金額を突破し、現在は次の目標を目指しており、達成時には2両が揃って今後も残ることができます。
なんとか2両を揃って残すべく、ご興味がある方は是非ご支援をお願いできますと幸いです。

おわりに

なぜか2両だけが無塗装の手すりで残り、新塗装との組み合わせも見られた2223F。
ABFM車の手すりには他にも謎があり、近日中にそちらも紹介したいと思いますので、ご存知の方はコメント欄での会話を控えていただけると助かります。