最終的には同一形式として扱われ、全46両が在籍していた小田急のABFM車。
晩年は2両を複数繋いだ4両や6両で使われましたが、とにかく形態差が多い形式群でした。
細部の違いが色々とあるABFM車ですが、様々な方が研究しているのが車両ごとに異なっていたドアです。
大別すると3種類のドアが使われていましたが、なぜこんなことになったのかを考えてみたいと思います。
各形式の出自は様々ですが、最終的には片側3扉の2両編成に揃えられ、複数の編成を繋いだ状態で使用されるようになります。
基本的な構成は揃えられたものの、各形式にはそれぞれの特徴があったほか、同一形式内においても様々な差異が存在しました。
その中でも、車両単位での差異が目立っていたのがドアの種類で、同一編成内でも異なっているケースがある等、かなり不思議な状態で晩年を迎えることとなります。
写真提供:まにまに会長様
ここからは、実際にどんなドアがあったのかを見ていきたいと思います。
いきなり編成内でドアが混在するケースとなりますが、先頭の車両は窪みが目立つプレスドアなのに対して、2両目は異なるドアとなっています。
2両目のドアは窓が大きく、これは便宜上ここでは大窓と呼びたいと思います。
写真提供:まにまに会長様
3種類目のドアはこちらのようになっており、先ほどの大窓と似ていますが、窓が小さくなっていることが特徴で、こちらは小窓と呼ぶことにします。
これ以外にもドアレールの有無といった付加要素があり、その他の差異との組み合わせも踏まえると、同じ形態の車両は存在したのだろうかといった状態になっていました。
一つだけいえることは、車両が造られた段階から異なるドアだったわけではなく、後発的にこのような違いが生まれていることで、写真の撮影日等から謎を解こうとする動きがありました。
WEBサイトであれば海洋紀行さんの調査が有名で、他にもグリーンマックスのキットに付属する説明書等で各車両の状態が確認できます。
諸先輩方の調査結果や、実際の写真等を見つつ調べた結果は以下となり、いずれの結果も同様になることから、晩年においての状態としては間違いないのだと思います。
各車両のドアは以下のとおりで、補足事項がある車両は括弧書きを加えました。
デハ2201:プレス
デハ2202:プレス
デハ2203:プレス
デハ2204:プレス
デハ2205:プレス
デハ2206:プレス
デハ2207:プレス
デハ2208:プレス
デハ2209:プレス
デハ2210:プレス
デハ2211:プレス
デハ2212:プレス
デハ2213:プレス
デハ2214:プレス
デハ2215:プレス
デハ2216:プレス
デハ2217:プレス
デハ2218:大窓
デハ2221:プレス
デハ2222:大窓
デハ2223:プレス
デハ2224:大窓
デハ2225:プレス
デハ2226:プレス
デハ2227:大窓(先頭部寄りの両側が小窓)
デハ2228:大窓
デハ2229:小窓
デハ2230:小窓
デハ2231:大窓
デハ2232:大窓
デハ2233:小窓
デハ2234:小窓
デハ2235:大窓(先頭部寄りの海側だけ小窓)
デハ2236:大窓
デハ2301:小窓
デハ2302:小窓
デハ2303:小窓
デハ2304:小窓
デハ2321:小窓
デハ2322:小窓
デハ2323:小窓
デハ2324:小窓
デハ2325:小窓
デハ2326:小窓
デハ2327:小窓
デハ2328:小窓
結果はこのようになっており、2200形の2217Fと2220形以外は、ドアの形態が揃えられていたことが分かります。
しかし、ドアが不揃いの車両だけを見ていけばよいのかというと、そう簡単でもありません。
まず、製造された時点において、2200形の2201Fから2211Fまでは異なるドアが使われていました。
このドアについては比較的早期に交換が行われ、全ての車両がプレスドアへと変わっています。
2213Fから2217Fはどうだったのかというと、登場時は大窓のドアを使っていました。
これは2220形も同様で、2200形の前期編成は後年見られなくなったドア、その後は大窓というのが登場時の形態です。
2300形と2320形はどうだったのかというと、格下げ時に3扉化が行われており、当然のことながらこの段階で全てのドアが新しくされ、小窓で揃えられていました。
ここまでの情報を整理すると、大窓が最も古く、小窓が新しいように感じるのですが、これだけでも説明がつかないのです。
そもそもドアが交換された理由自体が不明ですが、現代においても3000形のリニューアルで一部の編成のみドアの交換が行われており、予防保全の一環だった可能性が高いと考えています。
3000形についても、取り外したドアを他の編成に転用していることが確認されており、ABFM車においても基本的にはこの対応が行われていた可能性が高いのではないでしょうか。
写真提供:まにまに会長様
予防保全や老朽化がドアを交換した理由だと仮定した場合、ヒントは同じ車両内で違う種類のドアが混在するケースにあるように思います。
このことからも、最後まで残った3種類のドアにおいて、最も古いのは大窓で、次がプレスドア、新しいのが小窓だという仮説が成り立ちます。
しかし、プレスドアに交換されたタイミングが、2300形や2320形の改造後というケースがあり、まだ矛盾が生じてしまうのです。
そこで私が考えたのは、時系列で並べた場合の仮説です。
まず、2200形の前期編成が使っていたドアは、何らかの理由で早期の交換が必要になったものと思われます。
その流れで2213F以降の編成も含めてプレスドアに交換され、2200形の2枚窓車についてはドアの形態が統一されました。
2200形の前期車が使っていたドアは廃棄されたとして、2213Fから2215Fまでの大窓のドアについては、予備品として残されたことが考えられます。
また、この時点で交換対象以上のプレスドアを製造し、予備品としていた可能性もあるかもしれません。
ここまでの流れをまとめると、2200形の2枚窓車をプレスドアにまとめつつ、大窓とプレスドアの予備品が確保された状態となります。
2300形と2320形の改造時においては、小窓のドアが使われました。
この時期には小窓が標準になったとしたいのですが、その後も2220形で小窓以外への交換が発生しています。
2200形の2217Fは2220形として扱っていたとすると、2220形だけがドアの統一がされていない状態になり、これが謎を解く鍵になるように思いました。
ドアの交換において、予備品を活用する車両を2220形に集約したと仮定すると、辻褄が合う部分が多くなります。
よく見ると、プレスドアは前半の編成に集中し、小窓は後半の編成に集中するのです。
2221Fと2223Fについては、プレスドアに交換をする際、同一編成内でドアの振り替えを行い、状態がよい大窓のドアを偶数車に残したと考えられます。
プレスドアに統一された2225Fは、ドアを一気に交換したと考えられ、その際に状態がよかった大窓のドアを2227Fに使用します。
2229F以降はこの流れを続けますが、プレスドアの在庫が足りなくなり、新たに小窓のドアを使ったと考えれば辻褄が合うように思うのです。
外された大窓のドアは、一部を予備品としてストックしていたかもしれませんが、2227Fと2235Fの一部だけが小窓の編成については、大窓のドアが足りなくなり、仕方なく小窓のドアを使ったとすれば、先頭部寄りにだけ使われたことも説明ができます。
様々な写真と見比べると新たな矛盾が生じるかもしれませんが、時間がある時に確認してみたいと思いました。
解体の危機にあった2211Fについては、クラウドファンディングで沢山の支援が集まっている状況です。
2両が揃って残ることができる金額を超えましたが、修繕費用等についてはまだまだ足りないようですので、ご興味がある方は引き続きご支援をお願いできますと幸いです。
当時のことを知る社内の方以外、この謎を解くことは難しいのでしょうが、いつか解明される日が訪れることを願うばかりです。
晩年は2両を複数繋いだ4両や6両で使われましたが、とにかく形態差が多い形式群でした。
細部の違いが色々とあるABFM車ですが、様々な方が研究しているのが車両ごとに異なっていたドアです。
大別すると3種類のドアが使われていましたが、なぜこんなことになったのかを考えてみたいと思います。
ABFM車で使われた3種類のドア
2200形、2220形、2300形、2320形の4形式を総称し、小田急ではABFM車等と呼んでいました。各形式の出自は様々ですが、最終的には片側3扉の2両編成に揃えられ、複数の編成を繋いだ状態で使用されるようになります。
基本的な構成は揃えられたものの、各形式にはそれぞれの特徴があったほか、同一形式内においても様々な差異が存在しました。
その中でも、車両単位での差異が目立っていたのがドアの種類で、同一編成内でも異なっているケースがある等、かなり不思議な状態で晩年を迎えることとなります。
写真提供:まにまに会長様
ここからは、実際にどんなドアがあったのかを見ていきたいと思います。
いきなり編成内でドアが混在するケースとなりますが、先頭の車両は窪みが目立つプレスドアなのに対して、2両目は異なるドアとなっています。
2両目のドアは窓が大きく、これは便宜上ここでは大窓と呼びたいと思います。
写真提供:まにまに会長様
3種類目のドアはこちらのようになっており、先ほどの大窓と似ていますが、窓が小さくなっていることが特徴で、こちらは小窓と呼ぶことにします。
これ以外にもドアレールの有無といった付加要素があり、その他の差異との組み合わせも踏まえると、同じ形態の車両は存在したのだろうかといった状態になっていました。
時系列で考えるドアが混在した理由
異なるドアが使われるようになった理由は判明しておらず、これまでにも様々な方が研究を行っています。一つだけいえることは、車両が造られた段階から異なるドアだったわけではなく、後発的にこのような違いが生まれていることで、写真の撮影日等から謎を解こうとする動きがありました。
WEBサイトであれば海洋紀行さんの調査が有名で、他にもグリーンマックスのキットに付属する説明書等で各車両の状態が確認できます。
諸先輩方の調査結果や、実際の写真等を見つつ調べた結果は以下となり、いずれの結果も同様になることから、晩年においての状態としては間違いないのだと思います。
各車両のドアは以下のとおりで、補足事項がある車両は括弧書きを加えました。
デハ2201:プレス
デハ2202:プレス
デハ2203:プレス
デハ2204:プレス
デハ2205:プレス
デハ2206:プレス
デハ2207:プレス
デハ2208:プレス
デハ2209:プレス
デハ2210:プレス
デハ2211:プレス
デハ2212:プレス
デハ2213:プレス
デハ2214:プレス
デハ2215:プレス
デハ2216:プレス
デハ2217:プレス
デハ2218:大窓
デハ2221:プレス
デハ2222:大窓
デハ2223:プレス
デハ2224:大窓
デハ2225:プレス
デハ2226:プレス
デハ2227:大窓(先頭部寄りの両側が小窓)
デハ2228:大窓
デハ2229:小窓
デハ2230:小窓
デハ2231:大窓
デハ2232:大窓
デハ2233:小窓
デハ2234:小窓
デハ2235:大窓(先頭部寄りの海側だけ小窓)
デハ2236:大窓
デハ2301:小窓
デハ2302:小窓
デハ2303:小窓
デハ2304:小窓
デハ2321:小窓
デハ2322:小窓
デハ2323:小窓
デハ2324:小窓
デハ2325:小窓
デハ2326:小窓
デハ2327:小窓
デハ2328:小窓
結果はこのようになっており、2200形の2217Fと2220形以外は、ドアの形態が揃えられていたことが分かります。
しかし、ドアが不揃いの車両だけを見ていけばよいのかというと、そう簡単でもありません。
まず、製造された時点において、2200形の2201Fから2211Fまでは異なるドアが使われていました。
このドアについては比較的早期に交換が行われ、全ての車両がプレスドアへと変わっています。
2213Fから2217Fはどうだったのかというと、登場時は大窓のドアを使っていました。
これは2220形も同様で、2200形の前期編成は後年見られなくなったドア、その後は大窓というのが登場時の形態です。
2300形と2320形はどうだったのかというと、格下げ時に3扉化が行われており、当然のことながらこの段階で全てのドアが新しくされ、小窓で揃えられていました。
ここまでの情報を整理すると、大窓が最も古く、小窓が新しいように感じるのですが、これだけでも説明がつかないのです。
そもそもドアが交換された理由自体が不明ですが、現代においても3000形のリニューアルで一部の編成のみドアの交換が行われており、予防保全の一環だった可能性が高いと考えています。
3000形についても、取り外したドアを他の編成に転用していることが確認されており、ABFM車においても基本的にはこの対応が行われていた可能性が高いのではないでしょうか。
写真提供:まにまに会長様
予防保全や老朽化がドアを交換した理由だと仮定した場合、ヒントは同じ車両内で違う種類のドアが混在するケースにあるように思います。
このことからも、最後まで残った3種類のドアにおいて、最も古いのは大窓で、次がプレスドア、新しいのが小窓だという仮説が成り立ちます。
しかし、プレスドアに交換されたタイミングが、2300形や2320形の改造後というケースがあり、まだ矛盾が生じてしまうのです。
そこで私が考えたのは、時系列で並べた場合の仮説です。
まず、2200形の前期編成が使っていたドアは、何らかの理由で早期の交換が必要になったものと思われます。
その流れで2213F以降の編成も含めてプレスドアに交換され、2200形の2枚窓車についてはドアの形態が統一されました。
2200形の前期車が使っていたドアは廃棄されたとして、2213Fから2215Fまでの大窓のドアについては、予備品として残されたことが考えられます。
また、この時点で交換対象以上のプレスドアを製造し、予備品としていた可能性もあるかもしれません。
ここまでの流れをまとめると、2200形の2枚窓車をプレスドアにまとめつつ、大窓とプレスドアの予備品が確保された状態となります。
2300形と2320形の改造時においては、小窓のドアが使われました。
この時期には小窓が標準になったとしたいのですが、その後も2220形で小窓以外への交換が発生しています。
2200形の2217Fは2220形として扱っていたとすると、2220形だけがドアの統一がされていない状態になり、これが謎を解く鍵になるように思いました。
ドアの交換において、予備品を活用する車両を2220形に集約したと仮定すると、辻褄が合う部分が多くなります。
よく見ると、プレスドアは前半の編成に集中し、小窓は後半の編成に集中するのです。
2221Fと2223Fについては、プレスドアに交換をする際、同一編成内でドアの振り替えを行い、状態がよい大窓のドアを偶数車に残したと考えられます。
プレスドアに統一された2225Fは、ドアを一気に交換したと考えられ、その際に状態がよかった大窓のドアを2227Fに使用します。
2229F以降はこの流れを続けますが、プレスドアの在庫が足りなくなり、新たに小窓のドアを使ったと考えれば辻褄が合うように思うのです。
外された大窓のドアは、一部を予備品としてストックしていたかもしれませんが、2227Fと2235Fの一部だけが小窓の編成については、大窓のドアが足りなくなり、仕方なく小窓のドアを使ったとすれば、先頭部寄りにだけ使われたことも説明ができます。
様々な写真と見比べると新たな矛盾が生じるかもしれませんが、時間がある時に確認してみたいと思いました。
解体の危機にあった2211Fについては、クラウドファンディングで沢山の支援が集まっている状況です。
2両が揃って残ることができる金額を超えましたが、修繕費用等についてはまだまだ足りないようですので、ご興味がある方は引き続きご支援をお願いできますと幸いです。
おわりに
あまりにも謎が多いABFM車のドアですが、皆さまはどのような仮説を考えますでしょうか。当時のことを知る社内の方以外、この謎を解くことは難しいのでしょうが、いつか解明される日が訪れることを願うばかりです。
コメント
コメント一覧 (7)
訂補ついでにいろいろ考えてもみたのですが、2輌編成なのに、上り側車輌と下り側車輌でドアが異なるというようなケースは、旧形国電くらいのものかと思います。1車で混在しているのも、例えばクモハ53007号とか連想しますね。
さて、理由として考えられるのは、風祭駅のドア扱いが関係しているのかも、ということでしょうか。あそこ、昔はエアを車掌さんが抜くと、乗務員室後ろ以外のドアは、乗客が勝手に開けていたように思うのですよね(あいまいな記憶)。そのためHE車の下り方2輌のステンレスドア+ドアエンジン交換ともども関係があるいはあるのではないか、とも考えます。比較的プレスドアの車輌を上り方に寄せてるように思えるからですが、2輌とも同じタイプで揃ってる編成もあり決定的な理由にはなり得ませんね。
旧塗装4連時代の2225-2226で、既に2226が大窓、2225は小窓だったりする(1980年代頃までには両車ともプレスに交換)ので、プレスドアを安く買って、その他のタイプを予備品化したとかくらいしか…。さっぱりわかりませんね~。
なお、2201から2212の各車、登場時のドアは木製の可能性があります。図面に「半鋼製」との記載があるからですが、さりとてHB車などのドアを転用出来たかと言われると、時期的に合わない気がします(昭和36年頃には交換済み)し、例えばABF車でも1600形はドア幅が1000ミリで合いません。1800も同様1000ミリです(あれもステンレスドアになっていた車輌がありましたよね)。それに2100形のドアも、当初は2200の半鋼製車と同一タイプドアでしたが、その後これは全車「大窓」になっていたように思います。あの系列はなんで揃っていたのか…。まるでわかりませんね(笑)。
ワタシダ
がしました
台車も色々と試していたようですね。現場は大変だったでしょうけど。
HE車にも1編成の中で客室ドアが塗りドアとステンレスドアが混ざっていた記憶があります。
ワタシダ
がしました
何となく正面方向幕の形、横窓の数、車両の幅、ドアの種類が違う、くらいしか知りませんでしたが、こんなにもバリエーションのある車両だとは思いませんでした。なかなか興味深いですね。
亡くなった祖父が小田急の社員だったので、聞いたら何か知っていたのかなー?と、ふと思ってしまいました。もっと小田急の話をしたかったな…
ワタシダ
がしました
本題ですが、本文を拝読した限り2220形に3種類ものドアが混在しとったことが分かりますね。富士急行譲渡時に形態を揃えるためにも交換されたのか気になります。2200形で多く採用されたプレスドアは旧型国電でも採用され、近代化改造車は(片開き式とはいえ)101系以降に準拠した構造のドアに交換されました。このようにドアの種類が多種多様やったのを見るとあたかも東京メトロ6000系や7000系、そして8000系でドア窓が大小混在した姿を思い浮かべるのは私だけでしょうか?
ワタシダ
がしました