1969年に営業運転を開始し、4両と6両の編成が登場した小田急5000形。
小田急5000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
5054Fは5053Fと同じ日本車輌製造で造られ、竣功日も同日であることから、両編成は双子の兄弟のような存在でした。
小田急の通勤型車両としては、初の量産冷房車となった5000形ですが、2次車までは非冷房での登場となっており、5054Fもその中に含まれています。
3次車の登場後には早々に冷房化が行われますが、細部の仕様は異なるものとなりました。
1991年度には車体修理が行われ、黒地の方向幕への変更により外見のイメージがかなり変わっています。
内装も寒色系ながら柄の入った化粧板へと変わり、乗車時の印象は変化しました。
車体修理とは別に側窓の改造が後に行われ、2006年以降は箱根登山線内にも入線するようになっています。
優等列車の付属編成を中心に使われながら、支線や末端区間の各駅停車でも重宝されましたが、2010年に廃車となりました。
2次車までの編成としては最後の廃車となり、活躍期間は約41年にも及ぶ長寿の車両となっています。
※左側が新宿方
デハ5004:1次車
デハ5104:1次車
クハ5154:1次車
デハ5004:日本車輌製造
デハ5104:日本車輌製造
クハ5154:日本車輌製造
デハ5004:1969年11月10日
デハ5104:1969年11月10日
クハ5154:1969年11月10日
デハ5004:1992年1月13日
デハ5104:1992年1月13日
クハ5154:1992年1月13日
デハ5004:2010年12月6日
デハ5104:2010年12月6日
クハ5154:2010年12月6日
小田急5000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
5054Fの概要
5000形の1次車として登場した編成で、4本が増備された中の4編成目となっています。5054Fは5053Fと同じ日本車輌製造で造られ、竣功日も同日であることから、両編成は双子の兄弟のような存在でした。
小田急の通勤型車両としては、初の量産冷房車となった5000形ですが、2次車までは非冷房での登場となっており、5054Fもその中に含まれています。
3次車の登場後には早々に冷房化が行われますが、細部の仕様は異なるものとなりました。
1991年度には車体修理が行われ、黒地の方向幕への変更により外見のイメージがかなり変わっています。
内装も寒色系ながら柄の入った化粧板へと変わり、乗車時の印象は変化しました。
車体修理とは別に側窓の改造が後に行われ、2006年以降は箱根登山線内にも入線するようになっています。
優等列車の付属編成を中心に使われながら、支線や末端区間の各駅停車でも重宝されましたが、2010年に廃車となりました。
2次車までの編成としては最後の廃車となり、活躍期間は約41年にも及ぶ長寿の車両となっています。
編成表
クハ5054-デハ5004-デハ5104-クハ5154※左側が新宿方
製造区分
クハ5054:1次車デハ5004:1次車
デハ5104:1次車
クハ5154:1次車
製造所
クハ5054:日本車輌製造デハ5004:日本車輌製造
デハ5104:日本車輌製造
クハ5154:日本車輌製造
竣功日
クハ5054:1969年11月10日デハ5004:1969年11月10日
デハ5104:1969年11月10日
クハ5154:1969年11月10日
車体修理竣功日
クハ5054:1992年1月13日デハ5004:1992年1月13日
デハ5104:1992年1月13日
クハ5154:1992年1月13日
廃車日
クハ5054:2010年12月6日デハ5004:2010年12月6日
デハ5104:2010年12月6日
クハ5154:2010年12月6日
コメント
コメント一覧 (6)
ワタシダ
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晩年は一部の編成に雨漏りがあったようで、数編成が5200形のうちパンタが3基残っていた編成を短縮し、これで応急的に置き換えていましたね。
ワタシダ
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2010年の時点で小田急全体で5053Fと54Fが60年代に製造された編成でした。2000年代後半以降は新宿界隈でも車両の置き換えが進んだ時期でもあり、1960年代に製造された車両といえばこの2編成が最も長生きしたとも言えます。ちなみに40年を超えて廃車になった5000形は53(実働40年10カ月)、54(実働41年1カ月).56F(実働40年ちょうど)の3編成であり、全て2010年度に廃車されました。
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