片側3扉の2両編成に揃えられ、晩年は複数編成を繋いだ4両や6両での活躍が目立ったABFM車。
長編成化が進んだ小田急では、ABFM車の引退以降2両の編成は在籍しておらず、最低単位が4両以上となりました。

全車両が先頭車という状況だったABFM車ですが、晩年は先頭に立つことがなかった先頭車も多く存在します。
先頭車化した車両が主に該当しましたが、なぜそのようなことになったのでしょうか。

扱いに違いがあった晩年の先頭車

小田急のABFM車は、2200形、2220形、2300形、2320形の各形式を総称したもので、2200形以外は4両編成で登場したものの、2400形と併結して6両を組むことを目的として、最終的には2両の編成に揃えられました。
このような経緯から、元々の先頭車と改造によって生まれた先頭車には違いがあり、後者は2400形とほぼ同様の姿となっています。

全編成を2両とはしたものの、やがてABFM車のみで4両や6両の基本編成を組むようになり、先頭に出ることがほとんどない車両もありました。
晩年は先頭にあまり立たなかった車両としては、2200形の2枚窓車が有名ですが、それ以上に先頭車化改造車は珍しく、2400形のような前面はほとんど見ることができませんでした。

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写真提供:まにまに会長様

2220形や2320形といえば、行先表示器が出っ張ったこの印象が強く、ABFM車の貫通型先頭車のイメージともいえます。
実際には2400形のような整った前面の先頭車もあったわけですが、その運転台が使われることはほとんどありませんでした。

先頭に立ちにくかった先頭車化改造車

晩年は基本編成内での位置がほぼ固定化されたABFM車ですが、検査で離脱する編成がある際等は、イレギュラーな編成が組まれました。
基本の編成がある程度決められた背景には、各先頭車の装備品に違いがあったことが関係し、主に二つの要素があげられます。

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写真提供:まにまに会長様

先ほど使用した写真において、2320形なのに2両で走っているのはおかしいなと感じた方は、ABFM車にかなり詳しいのではないでしょうか。
停車後の写真がこちらになっており、この先頭車には先頭に立てなかった理由が詰まっています。

一つ目は電気連結器や自動解結装置の有無であり、これらがない車両は途中駅での分割併合に支障があるため、中間に封じ込められることとなりました。
デハ2326は先頭車化改造車で、このような条件に該当していたため、晩年は相方のデハ2325が先頭に立つことになったのです。

もう一つの理由は、列車無線の搭載有無でした。
デハ2326の屋根上を見ると、小田急の車両では見慣れたアンテナがないことが分かります。
この写真が撮られたのは1979年3月21日で、多摩線の2両での運行が見られなくなる直前ですが、なぜかデハ2326が先頭に立っていたことになります。

分割併合がない2両の多摩線運用は、電気連結器の有無等は支障がなかったといえますが、列車無線となればそうもいきません。
この時にどのような対応がされていたのかは不明ですが、列車無線がない先頭車が先頭に立った場合には、可搬式のものを積むか、車掌が必ず乗務員室にいる状態を維持していたのではないかと思います。



晩年はほとんど先頭に立たなかった先頭車も、富士急行に譲渡後はその姿を見ることができるようになりました。
そんな富士急行時代を生き抜き、廃車後も2200形の2211Fが残っています。

クラウドファンディングで沢山の支援が集まり、解体の危機は脱していますが、永続的な保存のためにも修繕費の確保が今後課題となりそうです。
ご興味がある方は引き続きご支援をお願いできますと幸いです。

おわりに

列車無線が搭載されていなかったことで、晩年はほぼ先頭に立つことがなかった先頭車化改造車。
当時刊行された書籍を参照しても、ほとんど写っていないことから、なかなか見られない前面だったことが分かりますね。