車両のステンレス車体化が進み、ケイプアイボリーにロイヤルブルーの帯を巻いた姿は、8000形でしか見ることができなくなりました。
小田急の標準塗装として長く使われてきましたが、8000形が今後引退の日を迎えれば、その姿は過去のものとなる見込みです。
1969年に登場した現行のカラーリングは、どのようにして全車へと広がっていったのでしょうか。
新形式が初採用したように思われがちですが、最初の編成は塗装変更で登場しており、2600形の2655Fから新塗装の歴史がスタートすることとなります。
2655Fの塗装変更は、5000形の登場を見越してのものであり、現車で最終確認をすることが目的でした。
当時は鉄道車両のカラーリングを変更する世の流れがあり、多くは暗めの色から明るい色へと変えるものでした。
小田急も同様の流れでしたが、太い帯を巻くというのは比較的珍しく、ロマンスカーと並んで路線のイメージとして定着していくこととなります。
最初から新塗装を纏った5000形以降の形式は、8000形まで同様のカラーリングを採用しました。
従来車については塗装変更により新塗装化が進められ、1800形、1900形、1700形、2100形、2200形、2300形、2220形、2320形、2400形、2600形、4000形の各形式が順次塗り替えられていきます。
1970年までに廃車となった1600形については、新塗装化されることなく全車が廃車されました。
ロマンスカーを除くと、440両が通勤型車両だったことになりますが、これらの車両は急速に塗り替えられていくこととなります。
塗装変更の対象となった車両の中で、1900形と1700形だけは車体にシルとヘッダーがありました。
当初はシルにロイヤルブルーの帯がかかっていましたが、後にかからないように変更されており、その際に帯の幅が若干狭くなっています。
複数の編成を繋ぐ機会が多かった小田急では、塗装変更の過程で混色編成も見られました。
塗装変更が急速に進んでいるため、異なるカラーリングの車両がバランスよく存在した期間は短く、貴重な時間だったといえるでしょう。
各種書籍の写真を見る限り、1970年の9月を最後に旧塗装の写真は見つけられず、この頃に塗装変更は完了しているものと思われます。
1971年に旧塗装車が走っていた実績があるのか、そのあたりについても気になるところです。
ステンレスの車体に帯を巻く姿は今後も長く見られますが、ケイプアイボリーとロイヤルブルーの組み合わせについては、あと何年見ることができるのでしょうか。
小田急の標準塗装として長く使われてきましたが、8000形が今後引退の日を迎えれば、その姿は過去のものとなる見込みです。
1969年に登場した現行のカラーリングは、どのようにして全車へと広がっていったのでしょうか。
明るいイメージの新塗装車
1982年に登場する8000形までが纏うカラーリングは、1969年の4月にお目見えしました。新形式が初採用したように思われがちですが、最初の編成は塗装変更で登場しており、2600形の2655Fから新塗装の歴史がスタートすることとなります。
2655Fの塗装変更は、5000形の登場を見越してのものであり、現車で最終確認をすることが目的でした。
当時は鉄道車両のカラーリングを変更する世の流れがあり、多くは暗めの色から明るい色へと変えるものでした。
小田急も同様の流れでしたが、太い帯を巻くというのは比較的珍しく、ロマンスカーと並んで路線のイメージとして定着していくこととなります。
最初から新塗装を纏った5000形以降の形式は、8000形まで同様のカラーリングを採用しました。
従来車については塗装変更により新塗装化が進められ、1800形、1900形、1700形、2100形、2200形、2300形、2220形、2320形、2400形、2600形、4000形の各形式が順次塗り替えられていきます。
1970年までに廃車となった1600形については、新塗装化されることなく全車が廃車されました。
急速に進んだ従来車の塗装変更
塗装変更が間近に迫った1968年度末の時点で、小田急には547両の車両が在籍していました。ロマンスカーを除くと、440両が通勤型車両だったことになりますが、これらの車両は急速に塗り替えられていくこととなります。
塗装変更の対象となった車両の中で、1900形と1700形だけは車体にシルとヘッダーがありました。
当初はシルにロイヤルブルーの帯がかかっていましたが、後にかからないように変更されており、その際に帯の幅が若干狭くなっています。
複数の編成を繋ぐ機会が多かった小田急では、塗装変更の過程で混色編成も見られました。
塗装変更が急速に進んでいるため、異なるカラーリングの車両がバランスよく存在した期間は短く、貴重な時間だったといえるでしょう。
各種書籍の写真を見る限り、1970年の9月を最後に旧塗装の写真は見つけられず、この頃に塗装変更は完了しているものと思われます。
1971年に旧塗装車が走っていた実績があるのか、そのあたりについても気になるところです。
おわりに
1969年に登場した現行のカラーリングは、既に55年に渡って存在していることになります。ステンレスの車体に帯を巻く姿は今後も長く見られますが、ケイプアイボリーとロイヤルブルーの組み合わせについては、あと何年見ることができるのでしょうか。
コメント
コメント一覧 (9)
西武鉄道では、8000系になると発表されました。
デザインもほぼ公開されました。
50mm角のドットを市松模様にし、それにグラデーションをかけた色になってます。車体ベースは白。今のところ、元のアイボリーのままですが、もう少し白くなるかもしれないみたいですね。
車端部の4人掛けシートは、3人掛けシートに変更されました。あと、小田急車両と東急車両の銘板は、残りましたが、小田急電鉄の銘板は外されました。
車両番号とOERも外されました。
来春デビューのようです。
ワタシダ
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・汚れや錆が目立ちにくい
・不人気の色は価格が安い
保守上 都合が良く、車両も工業製品のひとつであまり修繕費をかけたくないという考えがあったのかもしれません
(これらは勝手な憶測です)
ワタシダ
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まったくの余談ですが、半蔵門線と新玉川線の相互乗り入れに際し、営団が東急にも紫帯の車両を要請したが、東急が拒否したという記事を、その頃の鉄道誌で読んだ記憶があります。
ワタシダ
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さらに太さは当初案はもっと細くて、当時の社長が「いっそもっと太くしたら?」と提案したので、最終的に300ミリ幅の青帯と決まった経緯があるようです。
幼児の頃に南新宿まで「お教室」(笑)に通っていたので、昭和44年から新塗装に切り替わり始めたのは幼児でもわかりました。あの時代は検査回帰も早かったためか、旧塗装はやや急速に無くなっていった印象でした。
ワタシダ
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1980年前後に、小田急沿線がテレビドラマに登場することも多かったせいか、白地に青い帯=イメージのいい電車と思われていた時代があり、さらにこの色を採用するとその路線のイメージまで良くなると信仰のようになってた雰囲気もありました。
ローズピンクだった常磐線が、つくば万博を機に白地に青帯になったり、沿線にネガティブなイメージの強かった東武までもが新色を白地に青帯にしたのを見て、ここまで来るとまさに信仰の域だなと思ってしまいました。
ワタシダ
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既存車両から新塗装を採用する事例は私の地元でも多く、例えば京阪は7200系、南海は7100系からそれぞれ現在の塗装を採用しました。また小田急でいう1600形同様、新塗装化されないまま引退した形式もあり(相鉄旧7000系や東武2000系などこちらは関東大手私鉄にもいくつか該当例があります)、残る形式とそうでない形式で塗装変更の明暗が分かれたのも面白いところです。
小田急が100周年を迎える頃にはステンレス車両でケープアイボリーの塗装車体を再現したり、8000形が引退する折には歴代の小田急カラーを塗装で再現したりとリバイバルカラーを是非とも実施して頂きたいですね。
ワタシダ
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ワタシダ
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