小田急小田原線の支線として、1974年6月1日に開業した多摩線。
多摩線内にある魅力的な駅の数々について、小田急多摩線全駅ガイドでは、駅ごとの特徴やデータをまとめています。
翌年には小田急多摩センター駅まで延伸されたため、終点だった期間は1年にも満たないものでした。
部分開業時には新宿方に渡り線があり、列車の折り返しが行われていました。
隣には京王相模原線の京王永山駅がありますが、駅名の頭にはそれぞれの会社名が付けられています。
どちらも新宿までを結ぶ路線であることから、誤乗車や不正乗車等を防止するための対応ですが、実際には一つの永山駅として扱われているといえるでしょう。
開業時から10両分のホームがありましたが、短期的な長編成の乗り入れは想定されていなかったのか、上屋は短いものでした。
駅のリニューアルを行った際に上屋の延長が行われ、現在は全体が覆われた構造になっています。
多摩ニュータウンとしては早期に開発された地域で、開業当初は小田急多摩センターよりも利用者が多い時代がありました。
永山という駅名が示すとおり、周辺は起伏に富んだ地形であり、それを活かした歩車分離の交通環境が整備されています。
駅名の読み方:おだきゅうながやま
副駅名:-
旧駅名:-
駅番号:OT05
開業日:1974年6月1日
所在地:東京都多摩市永山一丁目18番地23
キロ程:6.8km
停車する列車種別:快速急行・通勤急行・急行・各駅停車
改札口の数:1
ホームの形態:2面2線
ホームの長さ:10両分
番線数:2
上屋の配置:全体
駅の分類:停留場
引き上げ線の有無:なし
留置線の有無:なし
折り返しの可否:不可
多摩線内にある魅力的な駅の数々について、小田急多摩線全駅ガイドでは、駅ごとの特徴やデータをまとめています。
小田急永山駅の概要
多摩線の開業時に設置され、部分開業時の終点とされたのが小田急永山駅です。翌年には小田急多摩センター駅まで延伸されたため、終点だった期間は1年にも満たないものでした。
部分開業時には新宿方に渡り線があり、列車の折り返しが行われていました。
隣には京王相模原線の京王永山駅がありますが、駅名の頭にはそれぞれの会社名が付けられています。
どちらも新宿までを結ぶ路線であることから、誤乗車や不正乗車等を防止するための対応ですが、実際には一つの永山駅として扱われているといえるでしょう。
開業時から10両分のホームがありましたが、短期的な長編成の乗り入れは想定されていなかったのか、上屋は短いものでした。
駅のリニューアルを行った際に上屋の延長が行われ、現在は全体が覆われた構造になっています。
多摩ニュータウンとしては早期に開発された地域で、開業当初は小田急多摩センターよりも利用者が多い時代がありました。
永山という駅名が示すとおり、周辺は起伏に富んだ地形であり、それを活かした歩車分離の交通環境が整備されています。
小田急永山駅のデータ
駅名:小田急永山駅名の読み方:おだきゅうながやま
副駅名:-
旧駅名:-
駅番号:OT05
開業日:1974年6月1日
所在地:東京都多摩市永山一丁目18番地23
キロ程:6.8km
停車する列車種別:快速急行・通勤急行・急行・各駅停車
小田急永山駅の構造
駅舎のタイプ:高架駅改札口の数:1
ホームの形態:2面2線
ホームの長さ:10両分
番線数:2
上屋の配置:全体
駅の分類:停留場
引き上げ線の有無:なし
留置線の有無:なし
折り返しの可否:不可
コメント
コメント一覧 (8)
小田急も橋本まで京王と並走させる案もありましたが、旅客需要が見込めず唐木田駅と車庫が設けられました。
多摩境駅は橋本延伸時には設置されず、ニュータウン鉄道補助金のため後付けになりました(当時は多摩境駅近辺はニュータウン外で、橋本延伸と同時に多摩境駅を開業させると多摩境~橋本の建設費に補助金が出なくなってしまう)。
ワタシダ
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現在の多摩センターで小田急と別れるのではなく、堀之内から別れる予定だったものの名残だと言われています。
(予定通り開業していれば、小田急永山、小田急多摩センターのように「小田急堀之内」となるはずでした)
ワタシダ
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?
ニュータウンに最初に乗り入れたという実績がほしかったのでしょうか?
ワタシダ
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昨夕、京王バスのレア系統「永81」に西国分寺から乗車し、西空の宵の金星とアトラス彗星を眺めながら永山駅まで乗車したばかりだったので
一応バスは急行扱いなのですが急行運転なのは中河原〜永山駅の間だけですね
永山駅付近がまだ夜7時前なのに真っ暗で意外でしたね
ワタシダ
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