電気指令式ブレーキを採用しながらも、ブレーキ読み替え装置を搭載することで、従来車と繋いで運転することを可能にした小田急の3000形。
電磁直通ブレーキを搭載する車両がなくなり、ブレーキ読み替え装置そのものが過去のこととなりつつありますが、車両を入れ替える過渡期に果たした役割は大きなものでした。

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そんな3000形のブレーキ読み替え装置ですが、登場から10年も経たずに通勤型車両の分割併合がほぼ廃止され、頻繁に併結相手が変わることがなくなりました。
上手く対応すれば、ブレーキ読み替え装置を搭載せずに車両の置き換えができたようにも思いますが、なぜそのようにしなかったのでしょうか。

ブレーキ読み替え装置を搭載しない選択肢

様々な面で衝撃を与えた3000形は、2002年2月10日に営業運転を開始しました。
当時の小田急は複々線化の工事を進めている最中でしたが、ダイヤの工夫によってサービスの向上を図りつつある頃で、3月には湘南急行や多摩急行が登場することとなります。

湘南急行は、江ノ島線内の停車駅を減らし、相模大野での分割併合もなくすことで、スピードアップを図りました。
江ノ島線内も10両で走ることが特徴でしたが、小田原線の急行と運用が混ざっていたため、10両固定編成の充当は基本的にできませんでした。

当時の小田急は今以上に車両の運用が複雑でしたが、湘南急行を独立した運用にしたり、併結に対応しない6両を造って限定運用にすれば、ブレーキ読み替え装置を搭載しない選択肢はあったかもしれません。
過渡期においては、運用の工夫で異なるブレーキ方式を混在させ、車両を入れ替えていくという方法です。

現代においては、複数の編成を繋ぐこと自体が減っていますが、当時の小田急も固定編成化自体には熱心で、それは4両を2編成廃車として、8両固定編成で置き換えていく対応に表れていました。
一方で、それによって捻出した8000形や1000形を10両の運用に回したことで、結果的に3000形との併結が発生した面もあり、3000形の10両固定編成で4両と6両を置き換える方向性も、検討はできたように思います。

結果論ではありますが、3000形の登場から僅か6年ほどで分割併合がほぼなくなり、連結相手を固定できる状況になったことを踏まえると、ブレーキ読み替え装置を搭載してまで実現させた従来車との併結は、やや謎の残る展開でもありました。

分割併合の廃止が後から決まった可能性

車両の過渡期とはいえ、分割併合の廃止をセットにして、ブレーキ読み替え装置を搭載しない選択肢はなかったのでしょうか。
運用を組むうえでの制限を嫌ったというのはあるのでしょうが、結局分割併合を廃止していることを踏まえると、不思議に感じる部分もあるのです。

前提として、3000形が登場した当時は、小田原駅の構造が今とは異なります。
今の11番ホームはなく、箱根登山線の専用ホームとして11番ホームと12番ホームがあり、日中以外は箱根登山鉄道の車両が小田原駅まで顔を出していました。
見方を変えれば、小田急の車両が箱根登山線方面に折り返す専用ホームはなく、今のようなダイヤは組みにくい配線だったことになります。

この時点で分割併合を廃止するとなれば、新松田から箱根湯本までを完全に一体化し、各駅停車で運行するのが最善策に思いますが、その選択肢にはなりませんでした。
3000形の登場後に起きたことは、2002年に湘南急行が登場し、それが2004年には快速急行へと発展、2006年に箱根登山鉄道鉄道の車両が小田原に乗り入れなくなり、それをもって小田原駅の配線を改良することで、2008年に分割併合の大幅な廃止へと至っています。

約6年でこのような変化があったわけですが、ブレーキ読み替え装置を2000形に搭載しての試験が1999年に行われており、3000形を開発する段階においては、分割併合の廃止までが計画されていなかったことが、不思議な展開となった理由なのではないでしょうか。
3000形の登場と前後して、分割併合の廃止に向けた動きが具体化したことで、結果的にブレーキ読み替え装置が活躍するシーンは限られ、今となっては不思議な展開になってしまったのだと思います。

おわりに

分割併合の廃止後は、極力同一形式で10両を組むようになり、ブレーキ読み替え装置の活躍シーンが減ってしまいました。
様々な計画を組み合わせ、最適解へと導いていくことは難しく、どうしてもこのような展開が発生してしまうものなのでしょうね。