1969年に営業運転を開始し、4両と6両の編成が登場した小田急5000形。
小田急5000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
3次車からの変更点がいくつかあり、5000形の6両では標準仕様となっていきます。
最も目立つ変更点としては、側面の表示装置が種別と行先を表示するタイプとなったことで、小田急の新造車としては初の採用となっています。
このスタイルは小田急における標準仕様となり、他の車両も更新時等に変更が行われ、分割併合が多かった時代の案内に役立っていました。
屋根の仕上げも変更され、絶縁塗料を使用するようになっています。
1996年度にはリニューアルが行われ、5000形の6両としては3本目となりました。
補助電源装置がMGのまま出場した最後の編成であり、その後のリニューアルではSIVへの交換が基本となっていきます。
優等列車を中心に活躍し、箱根登山線にも頻繁に乗り入れましたが、各駅停車でも運用されました。
4両化されなかった初期車としては、比較的廃車が遅かったものの、在籍年数は30年に満たないものでした。
※左側が新宿方
デハ5204:3次車
デハ5304:3次車
デハ5404:3次車
デハ5504:3次車
クハ5554:3次車
デハ5204:川崎重工業
デハ5304:川崎重工業
デハ5404:東急車輛製造
デハ5504:東急車輛製造
クハ5504:東急車輛製造
デハ5204:1978年12月9日
デハ5304:1978年12月9日
デハ5404:1978年12月9日
デハ5504:1978年12月9日
クハ5554:1978年12月9日
デハ5204:1997年3月24日
デハ5304:1997年3月24日
デハ5404:1997年3月24日
デハ5504:1997年3月24日
クハ5554:1997年3月24日
デハ5204:2007年11月20日
デハ5304:2007年11月20日
デハ5404:2007年11月20日
デハ5504:2007年11月20日
クハ5554:2007年11月20日
小田急5000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
5254Fの概要
同時期に製造された1次車と2次車の登場から1年ほどが経過した頃、3次車として5254Fが増備されました。3次車からの変更点がいくつかあり、5000形の6両では標準仕様となっていきます。
最も目立つ変更点としては、側面の表示装置が種別と行先を表示するタイプとなったことで、小田急の新造車としては初の採用となっています。
このスタイルは小田急における標準仕様となり、他の車両も更新時等に変更が行われ、分割併合が多かった時代の案内に役立っていました。
屋根の仕上げも変更され、絶縁塗料を使用するようになっています。
1996年度にはリニューアルが行われ、5000形の6両としては3本目となりました。
補助電源装置がMGのまま出場した最後の編成であり、その後のリニューアルではSIVへの交換が基本となっていきます。
優等列車を中心に活躍し、箱根登山線にも頻繁に乗り入れましたが、各駅停車でも運用されました。
4両化されなかった初期車としては、比較的廃車が遅かったものの、在籍年数は30年に満たないものでした。
編成表
クハ5254-デハ5204-デハ5304-デハ5404-デハ5504-クハ5554※左側が新宿方
製造区分
クハ5254:3次車デハ5204:3次車
デハ5304:3次車
デハ5404:3次車
デハ5504:3次車
クハ5554:3次車
製造所
クハ5254:東急車輛製造デハ5204:川崎重工業
デハ5304:川崎重工業
デハ5404:東急車輛製造
デハ5504:東急車輛製造
クハ5504:東急車輛製造
竣功日
クハ5254:1978年12月9日デハ5204:1978年12月9日
デハ5304:1978年12月9日
デハ5404:1978年12月9日
デハ5504:1978年12月9日
クハ5554:1978年12月9日
車体修理竣功日
クハ5254:1997年3月24日デハ5204:1997年3月24日
デハ5304:1997年3月24日
デハ5404:1997年3月24日
デハ5504:1997年3月24日
クハ5554:1997年3月24日
廃車日
クハ5254:2007年11月20日デハ5204:2007年11月20日
デハ5304:2007年11月20日
デハ5404:2007年11月20日
デハ5504:2007年11月20日
クハ5554:2007年11月20日
5254Fの写真

コメント
コメント一覧 (9)
なぜでしょうか?引き込まれ対策?
どのようにHゴムから押さえ金に変更したのでしょうね
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
「湯本急行」にも使われ走行距離が伸びていたせいなのか、D-ATS-Pの車上子の設置に難があったのか、4両編成の5000形より先に引退となりました(一部編成を除く)が、小田急顔を引き継ぐレトロな前面と9000形譲りの近代的な印象のある一段下降窓の側面のミスマッチが面白い車両でした。
ワタシダ
が
しました
側面は分割表示(箱根湯本・江ノ島など)から始まり、正面は新宿から始まることになってしまっています。
ワタシダ
が
しました
下北沢の地下化を待たずに、Hi-SE・RSCと共に姿を消しました。
ワタシダ
が
しました