小田急が本格的に大型車へと移行するため、1964年に登場した2600形。
塗装変更や冷房化で大きく姿を変えながら、惜しまれつつ2004年に引退しました。
冷房化時に他形式と統一されましたが、非冷房時代の2600形は前面種別幕の天地寸法が短く、細長いという特徴がありました。
なぜ2600形の種別幕は小窓だったのか、時系列を踏まえて振り返りたいと思います。
在籍する車両のほとんどを占めていた時代もあり、小田急顔と呼ばれるようになるのも無理はありません。
そんな中で異彩を放っていたのが、2600形に見られた小窓の種別幕です。
横は4000形や5000形と同じ長さだったと思われるものの、縦の長さが異なっていたことから、見た目の印象は大きく異なるものでした。
一方で、4次車の2667F以降は登場当初から種別窓が大きく、小窓で製造されたのは16編成だったことになります。
そもそも、小田急の車両で本格的に種別窓を設置したのは、2600形が最初の事例といえることもあり、試行錯誤という面もあったのでしょう。
2600形の種別幕だけが小窓だったことについては、時系列で確認すると背景が見えてきます。
1964年9月に2600形が登場し、製造時から小窓の種別幕が設けられた姿となっていました。
2600形の種別窓が大きくなるのは、1967年5月の4次車からですが、1966年12月に登場した4000形は製造時から大きな種別窓となりました。
2600形の3次車は1966年11月までに登場していることから、4000形で種別窓の大きさを変更しつつ、それに合わせて2600形も仕様変更されたことになります。
従来車についてはどうだったのかというと、そもそも種別幕自体が設置されていませんでした。
種別窓を追設したのが1968年以降だったため、サイズ自体は大型車と異なるものの、結果的に大窓タイプとなっています。
このような時系列だったことから、2600形の2666Fまでが小窓の種別幕という状態になりました。
最後まで残ったのは2652Fで、1981年度の冷房化により小窓の種別幕は消滅しました。
塗装変更や冷房化で大きく姿を変えながら、惜しまれつつ2004年に引退しました。
冷房化時に他形式と統一されましたが、非冷房時代の2600形は前面種別幕の天地寸法が短く、細長いという特徴がありました。
なぜ2600形の種別幕は小窓だったのか、時系列を踏まえて振り返りたいと思います。
前面の種別窓が小さかった2600形
中央に設けた貫通扉に行先幕を設け、左の窓上に種別幕を設置したスタイルは、小田急顔として一時代を象徴するスタイルでした。在籍する車両のほとんどを占めていた時代もあり、小田急顔と呼ばれるようになるのも無理はありません。
そんな中で異彩を放っていたのが、2600形に見られた小窓の種別幕です。
横は4000形や5000形と同じ長さだったと思われるものの、縦の長さが異なっていたことから、見た目の印象は大きく異なるものでした。
一方で、4次車の2667F以降は登場当初から種別窓が大きく、小窓で製造されたのは16編成だったことになります。
なぜ2600形だけが小窓だったのか
結果的には2600形にだけ採用された小窓の種別幕ですが、増備の途中から天地が拡大されたことからも分かるとおり、もう少し大きくしたほうがよいと判断されたものと思われます。そもそも、小田急の車両で本格的に種別窓を設置したのは、2600形が最初の事例といえることもあり、試行錯誤という面もあったのでしょう。
2600形の種別幕だけが小窓だったことについては、時系列で確認すると背景が見えてきます。
1964年9月に2600形が登場し、製造時から小窓の種別幕が設けられた姿となっていました。
2600形の種別窓が大きくなるのは、1967年5月の4次車からですが、1966年12月に登場した4000形は製造時から大きな種別窓となりました。
2600形の3次車は1966年11月までに登場していることから、4000形で種別窓の大きさを変更しつつ、それに合わせて2600形も仕様変更されたことになります。
従来車についてはどうだったのかというと、そもそも種別幕自体が設置されていませんでした。
種別窓を追設したのが1968年以降だったため、サイズ自体は大型車と異なるものの、結果的に大窓タイプとなっています。
このような時系列だったことから、2600形の2666Fまでが小窓の種別幕という状態になりました。
おわりに
16編成だけ存在した小窓の種別幕は、2600形の冷房化時に改造されたことで、徐々に姿を消していきます。最後まで残ったのは2652Fで、1981年度の冷房化により小窓の種別幕は消滅しました。
コメント
コメント一覧 (12)
ワタシダ
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同じ小田急顔車でも、少しずつ「進化」はしていたということでしょうか。
ワタシダ
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冷房化率もトップの京王とともに、他私鉄を大きくリードしていたことも、誇らしく思いました。
それから、これは記憶違いかもしれませんが、正面中央の行き先表示幕が黒地に白文字に変わったのも冷房改造と同時に行なわれたように覚えています。
ワタシダ
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鋼製なのでこうした改造は比較的容易でしょう(といいつつ、この程度の改造ならステンレス車でも可能、なぜなら南海6000系も原型では前面行先表示幕がなかったのが後年穴開けて設置されたので(笑))。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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