5000形が2019年度に登場し、8000形や1000形の置き換えが進められている小田急。
昔に比べれば置き換えはスローペースですが、従来車の数は確実に減っており、世代交代が進んでいることを実感します。
長期間に渡って通勤型車両の廃車がなかったこともあり、世代交代には少なからずショックを受けている面もありますが、このような安定期は過去にも存在しました。
2回あった安定期について、背景も踏まえて振り返ってみたいと思います。
当たり前のことながら、長年の使用により車両は老朽化するため、定期的なリフレッシュが不可欠となります。
そんな小田急において、通勤型車両のまとまった廃車がない時期は、平成の初期に発生します。
1989年に2400形の2483Fが廃車になって以降、8両固定編成化等で余剰になった2600形の一部を除き、2000年に2600形の2666Fが廃車となるまで、約11年間に渡って編成単位での廃車がありませんでした。
廃車がないとはいっても、新車の増備は断続的に行われており、1000形や2000形がこの時期は純増を続けています。
各駅停車の8両化や、全線の10両化に向けて、車両の増加が続いている時期でした。
この頃に車両の置き換えがなかった背景には、昭和の終わりに中型車を一掃したことが関係しています。
冷房化を早期に進めることや、車両の収容力を最大化することを目的として、中型車には車齢が30年に達することなく、早期に廃車された編成が多く存在しました。
その反動として、大型車が長く活躍した面があり、3000形の大量増備へと繋がっていきます。
この時期の小田急が、複々線化事業に集中していた点も、古い車両を大切に使うことに関係していたといえます。
世間は大不況ということもあり、車両への投資は極力抑えられていました。
理解できないほどのペースで3000形が増備され、その後は4000形へと移行し、気付けば置き換え対象は5000形にまで及ぶこととなります。
年々数を減らした5000形は、2012年に5063Fが廃車となり形式消滅しました。
ここからが第2次の安定期であり、通勤型車両は編成単位での廃車がない状態となります。
事故を除く編成単位での廃車は、2020年に1000形の1081Fが置き換えられるまでなく、中間車の2両を残したとはいえ、やはりショックは大きいものでした。
第2次については、約8年という期間で第1次よりは短いものの、安定した状態が長く続いたことになります。
背景は第1次の時と似ており、何らかの事情で経年よりも早く5000形が廃車となったことから、リニューアルを徹底的に行った8000形が長く活躍することとなりました
この時期は、複々線化の仕上げである下北沢の地下化が進められており、そのような事情も車両計画に影響を及ぼしたのでしょう。
今後は極力定期的に車両を置き換えるものと思われ、このような安定期はなかなかないかもしれませんね。
昔に比べれば置き換えはスローペースですが、従来車の数は確実に減っており、世代交代が進んでいることを実感します。
長期間に渡って通勤型車両の廃車がなかったこともあり、世代交代には少なからずショックを受けている面もありますが、このような安定期は過去にも存在しました。
2回あった安定期について、背景も踏まえて振り返ってみたいと思います。
第1次通勤型車両安定期
開業当時の車両が活躍していた昭和30年代頃までを別にすれば、数年のブランク程度はありつつも、通勤型車両は常に置き換えが行われてきました。当たり前のことながら、長年の使用により車両は老朽化するため、定期的なリフレッシュが不可欠となります。
そんな小田急において、通勤型車両のまとまった廃車がない時期は、平成の初期に発生します。
1989年に2400形の2483Fが廃車になって以降、8両固定編成化等で余剰になった2600形の一部を除き、2000年に2600形の2666Fが廃車となるまで、約11年間に渡って編成単位での廃車がありませんでした。
廃車がないとはいっても、新車の増備は断続的に行われており、1000形や2000形がこの時期は純増を続けています。
各駅停車の8両化や、全線の10両化に向けて、車両の増加が続いている時期でした。
この頃に車両の置き換えがなかった背景には、昭和の終わりに中型車を一掃したことが関係しています。
冷房化を早期に進めることや、車両の収容力を最大化することを目的として、中型車には車齢が30年に達することなく、早期に廃車された編成が多く存在しました。
その反動として、大型車が長く活躍した面があり、3000形の大量増備へと繋がっていきます。
この時期の小田急が、複々線化事業に集中していた点も、古い車両を大切に使うことに関係していたといえます。
世間は大不況ということもあり、車両への投資は極力抑えられていました。
第2次通勤型車両安定期
2600形の廃車が本格的にスタートしてからは、今までが嘘のように車両が置き換えられていきました。理解できないほどのペースで3000形が増備され、その後は4000形へと移行し、気付けば置き換え対象は5000形にまで及ぶこととなります。
年々数を減らした5000形は、2012年に5063Fが廃車となり形式消滅しました。
ここからが第2次の安定期であり、通勤型車両は編成単位での廃車がない状態となります。
事故を除く編成単位での廃車は、2020年に1000形の1081Fが置き換えられるまでなく、中間車の2両を残したとはいえ、やはりショックは大きいものでした。
第2次については、約8年という期間で第1次よりは短いものの、安定した状態が長く続いたことになります。
背景は第1次の時と似ており、何らかの事情で経年よりも早く5000形が廃車となったことから、リニューアルを徹底的に行った8000形が長く活躍することとなりました
この時期は、複々線化の仕上げである下北沢の地下化が進められており、そのような事情も車両計画に影響を及ぼしたのでしょう。
おわりに
勝手に第1次と第2次を定義してしまいましたが、ハイペースでの置き換えを行うと、どうしてもその反動が生じてしまうようです。今後は極力定期的に車両を置き換えるものと思われ、このような安定期はなかなかないかもしれませんね。
コメント
コメント一覧 (8)
ワタシダ
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3000形6連2両を8連に組み換えて10連化すれば新車製造を削減できますし4両を箱根口の運用に回すこともできると思います。
ワタシダ
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8252fは1983年登場で現役のみならずサステナ車の最有力候補。
リニューアル工事の規模の違いが在籍年数にいかに影響を及ぼしたかが分かる。
第2次安定期の功労者は間違いなく小田急顔に次ぐ古参者(車?)の8000形の大規模な時間と金をかけたリニューアル工事。
ワタシダ
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JRを除くと同じ規模で急ピッチに置き換えられた会社は珍しいのではないでしょうか
ワタシダ
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ところで前5000の早期廃車は抵抗制御車であったことと、5200の防錆の問題から考えれば理解できると思います。
ワタシダ
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それだけ、2400/2600と5000/8000の段差が大きい
ワタシダ
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旧5000形が小田急で引退した頃には京王も6000系や3000系の引退で2018年まで廃車の動きがありませんでしたが、周辺の各社は車両面で新旧交代が盛んに行われとりました。東京メトロでも千代田線は16000系の増備が数年で再開されましたし、有楽町線は副都心線開業に向けた対応が一段落してから車両面の変化はなかったものの東横線乗り入れ対応が急がれるなど慌ただしい時期が続きました。
この慌ただしい時期は小田急も例外ではなく、車両の増備や置き換えによる新旧交代がなかった頃は複々線化に向けた対応が急がれており、そこも車両面の動きと何かしら関係しとると言えそうです(1990年代はロマンスカーの置き換えによる新旧交代はありましたが、2010年代はそれすらありませんでした。後者の時期こそやはり複々線化に向けた対応で如何に小田急が慌ただしかったかを物語っとると言えるでしょう)。
ワタシダ
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ワタシダ
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