新松田駅付近にある連絡線を通り、小田急からJR東海の御殿場線に乗り入れるふじさん号。
ディーゼルカーを使用して1955年から乗り入れが始まり、現在は60000形(MSE)がその役目を担っています。
長年に渡って行われている御殿場線との直通運転ですが、JR東海の車両が小田急に乗り入れていた時期がありました。
まるで新幹線のような姿だった371系について、当時を思い出してみたいと思います。
運行形態の変更に合わせ、小田急は20000形(RSE)を、JR東海は371系をそれぞれ製造し、乗り入れも沼津駅まで延長されることとなります。
371系は基本的な仕様をRSEと合わせた車両で、中間に2両のダブルデッカー車を組み込んだ7両編成とされています。
RSEとの違いで目立つのは、ハイデッカーを採用していないことと、車体に新幹線の100系を思わせるカラーリングを採用したことで、小田急線内では圧倒的に異彩を放っていました。
あさぎり号として走行した371系は、警笛の音色に特徴があったため、小田急線内ではそれだけで接近に気付いたことを思い出します。
特徴的なカラーリングだったことにより、小田急線内を新幹線が走っていたと、勘違いした人がいたともいわれており、ロマンスカーとは違う個性が輝く車両でした。
その背景としては、運用が固定されていたことがあげられ、午前中か午後の遅い時間に小田急線内を走っていたことから、私が行動する時間とは異なっていました。
見方を変えると、狙うことは簡単だったことになりますが、当たり前に走っている存在はあまり意識しないため、撮った写真はそこまで多くありません。
1編成しかなかったため、検査時等はRSEでの代走となってしまうこともあり、偶然見かけることは少なかったことを覚えています。
外見が違うので当然かもしれませんが、371系は他の小田急の車両とは異なるオーラを放ち、側面の大きな窓が際立っていました。
そんな車両が風を切って小田急線内を走るわけですから、新幹線に見えたのは当然のことなのかもしれませんね。
371系が走っていた頃のような黄金期は再来しないでしょうが、現在のふじさん号がよい方向に進んでいくことを願うばかりです。
ディーゼルカーを使用して1955年から乗り入れが始まり、現在は60000形(MSE)がその役目を担っています。
長年に渡って行われている御殿場線との直通運転ですが、JR東海の車両が小田急に乗り入れていた時期がありました。
まるで新幹線のような姿だった371系について、当時を思い出してみたいと思います。
1編成のみが在籍した371系
小田急の車両のみで行われていた御殿場線への乗り入れは、1991年から相互直通運転へと変更されました。運行形態の変更に合わせ、小田急は20000形(RSE)を、JR東海は371系をそれぞれ製造し、乗り入れも沼津駅まで延長されることとなります。
371系は基本的な仕様をRSEと合わせた車両で、中間に2両のダブルデッカー車を組み込んだ7両編成とされています。
RSEとの違いで目立つのは、ハイデッカーを採用していないことと、車体に新幹線の100系を思わせるカラーリングを採用したことで、小田急線内では圧倒的に異彩を放っていました。
あさぎり号として走行した371系は、警笛の音色に特徴があったため、小田急線内ではそれだけで接近に気付いたことを思い出します。
特徴的なカラーリングだったことにより、小田急線内を新幹線が走っていたと、勘違いした人がいたともいわれており、ロマンスカーとは違う個性が輝く車両でした。
意外と遭遇しなかった371系
小田急線内で1編成のみという存在は、東京メトロの06系等もありましたが、371系は意外と遭遇しない車両だった印象があります。その背景としては、運用が固定されていたことがあげられ、午前中か午後の遅い時間に小田急線内を走っていたことから、私が行動する時間とは異なっていました。
見方を変えると、狙うことは簡単だったことになりますが、当たり前に走っている存在はあまり意識しないため、撮った写真はそこまで多くありません。
1編成しかなかったため、検査時等はRSEでの代走となってしまうこともあり、偶然見かけることは少なかったことを覚えています。
外見が違うので当然かもしれませんが、371系は他の小田急の車両とは異なるオーラを放ち、側面の大きな窓が際立っていました。
そんな車両が風を切って小田急線内を走るわけですから、新幹線に見えたのは当然のことなのかもしれませんね。
おわりに
MSEの片乗り入れに戻り、御殿場線への乗り入れは今も続いています。371系が走っていた頃のような黄金期は再来しないでしょうが、現在のふじさん号がよい方向に進んでいくことを願うばかりです。
コメント
コメント一覧 (19)
沼津まで直通で行けたのが懐かしいです。
ワタシダ
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活躍中ですね
ワタシダ
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ワタシダ
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RSEの3色LEDだと視認性はいいけど、文字のみなので味気ないのが………
京王も字幕式は7000系のコルゲート帯車の一部しか残ってないので、まれに「快速」表示が見られるとちょっと得した気分になります
2000系に置き換わるまで堪能しますかね
ワタシダ
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あと、朝イチの371系で運転の
あさぎり2号というと、沼津の桃中軒謹製の駅弁
港あじ寿司の輸送というのがありましたね。
この列車で輸送した駅弁を各ロマンスカーに積み込むので
新宿駅10時20分以降のロマンスカーの車内販売で販売するという旨の文字が、ロマンスカーの車内販売の案内に載っていた記憶があり
今でいう、JR東日本のはこビュンのハシリみたいなこともしてました
ワタシダ
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狙い目は2階建て車の1階の一人がけ席。
普通席ながら2階のグリーン車と同じシートピッチで、2+1の3列席だったので、一人がけ席はグリーン車並みにゆったり座れました。
懐かしいですね。
ワタシダ
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2社で3本保有の2運用
小田急側が1本多く持ち3編成という体制でしたね
この相互乗り入れ体制前の SSE片乗り入れ時代は
車両だけでなく小田急の乗務員がそのまま御殿場まで直通で運転していた と聞いたことがあったような…
また片乗り入れ体制に戻った現在
乗務員の片乗り入れ も復活?
ワタシダ
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初代3000形の片乗り入れから、沼津延長運転に合わせた車両一新の一環として登場しましたが、当時はJR東海側もかなり気合を入れていたことがうかがえます。
私は結局引退まで乗れずしまいでしたが、富士急に譲渡され姿を変えてまだ現役ですので、いつか乗りに行きたいと思います。
ちなみにRSEがホームライナーなどの間合い運用までは代走しなかった理由は、371系が1本しかない故に後々の車両使用料相殺のための精算運転が不可能だったからでしょうね。
ワタシダ
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試運転で入ったという記事を読んだことがあるような、ないような… 記憶違いかな?
ワタシダ
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在来線車両でコレはエモい(笑)
ワタシダ
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なので必ず都心に出た日は夕方の7号で帰るパターンでしたね
ワタシダ
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昔何らかの理由で371系の代走にRSEが入っていたのでホームライナーにRSEが充当されるかもしれないと仕事終わりに新幹線に乗って浜松まで行き、ホームライナーを待ち構えたのですが急行用の165系が代走しており膝から崩れ落ちたのを覚えています。
ツイッターどころかagui netもマイナーだった時の良き思い出です。
(生方良雄さんも同じ経験をされたのを知ったのは20年後の話です。)
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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