携帯電話が爆発的に普及し、電話は個人単位で持つものという時代になりました。
家にいる時は固定電話、外では公衆電話を使うという日常は、気付けば遠い過去のこととなりつつあります。

公衆電話といえば、昔は駅に沢山並んでいたものですが、車内においては特別な存在でした。
小田急ではロマンスカーの車内に設置されていましたが、登場したのはいつのことだったのでしょうか。

LSEに初めて設置された公衆電話

鉄道の車内における電話の設置は、1950年代以降に近鉄等で実現しつつも、本格的に普及するのは1980年代の後半のことでした。
背景には自動車電話の登場等があげられ、技術の進歩が設置のハードルを下げたといえます。

20180929_01

小田急においては、7000形(LSE)に設置されたのが始まりで、1986年10月4日より使用が開始されました。
車両が登場した段階では設置されておらず、運用開始後に追加設置されたということになります。

公衆電話が最初に設置された編成は7003Fで、後に他の編成にも波及していきました。
設置場所は3号車の売店付近であり、当然ながら発信することしかできなかったものの、箱根登山線内でも使用可能で、小田急線内においてはロマンスカーならではのサービスとして運用されていきます。

ロマンスカーに設置された公衆電話の終焉

LSEで公衆電話を設置して以降、小田急では10000形(HiSE)、20000形(RSE)、30000形(EXE)と、後継のロマンスカーが採用を続けていきました。
しかし、2004年に登場した50000形(VSE)では設置が見送られ、携帯電話の普及により時代は確実に変化していきます。

その後に登場したロマンスカーにおいても、公衆電話が設置されることはなく、世の中における電話の文化は確実に変化していました。
一方で、元々設置されていた車両については運用が継続され、車両によってあったりなかったりという状態が続くこととなります。

そのような状況に変化があったのは2012年のことで、NTTドコモがmovaのサービスを終了することに伴い、列車電話と呼ばれるサービスは新幹線を除いて終了しました。
小田急では2011年にHiSEとRSEが形式消滅し、公衆電話を設置している車両自体が少なくなっていましたが、翌年には他の車両も終焉を迎えたことになります。

おわりに

携帯電話が普及していない時代、外で使う電話といえば公衆電話でした。
有料特急等に限られ、設置されている車両は限定的でしたが、それが価値のあるサービスだったということが、便利になった現代としては信じられませんね。