4両と6両の編成を繋ぎ、10両で運行するスタイルが標準だった小田急。
小田原方に6両、新宿方に4両を繋ぐのが基本組成でしたが、かつては使うことがない小田原方の先頭車にも、電気連結器が設けられていました。

昔は逆10両と呼ばれる組成が存在し、小田原方の電気連結器はその名残でしたが、撤去までにはタイムラグがあり、やや謎を残しています。
年々激化するラッシュ時の混雑に対して、切り札としての編成長が10両だったことになりますが、乗客の増加はその後も続いたため、複々線化も含めた対応に迫られることになります。
10両での運行が始まった当時、箱根登山線には6両の入線ができませんでした。
このような事情により、小田原方には2400形の4両、新宿方には4両や6両を繋ぐ列車が多数あり、10両になる場合は逆10両を構成していました。
逆10両という呼び方がいつ頃登場したのかは定かではありませんが、1982年に大型車の6両が箱根登山線に入線できるようになると、6両は小田原方が定位置となります。
しかし、運用の都合からか逆10両の列車自体はその後も残り、珍しい存在として注目されることとなりました。
細々と残っていた逆10両ですが、1995年のダイヤ改正をもって消滅したようで、6両の小田原方にある電気連結器は無用の長物と化してしまいます。
使われることがなくなった電気連結器は、なぜかその後も存置された状態が続きますが、2005年頃から本格的な撤去が行われるようになりました。
使わなくなったものは、比較的早々に撤去してしまう傾向がある小田急ですが、電気連結器についてはやや例外といえます。
真っ先に浮かぶ理由としては、やはり復活の可能性を考え、とりあえずは残しておいたというところでしょうか。
保守費用はかかりますが、撤去したものを再び取り付けることを考えると、とりあえず残していた可能性は考えられます。
分割併合が行われていたため、イレギュラーが発生した場合に備えていた可能性もあります。
何らかの事情で列車の順序が逆になってしまった場合、とりあえずそのまま併合して逆10両とすれば、1本の列車として走らせることは可能です。
分割時は発車順序が変わってしまいますが、ダイヤ乱れの抑制という面では意味があるように思います。
電気連結器の本格的な撤去に先立ち、2001年に登場した3000形においては、製造時から小田原方の装備が省略されました。
この頃には、逆10両を復活させる可能性を含めてなくなっていたといえますが、だからこそ2005年まで撤去が始まらなかったのは謎といえます。
使わないものを10年近くも存置していたのは、小田急の歴史上において比較的珍しいだけに、今となっては不思議でしかありませんね。
動き出すと徹底しているという点においては、小田急らしい動きだったともいえそうです。
小田原方に6両、新宿方に4両を繋ぐのが基本組成でしたが、かつては使うことがない小田原方の先頭車にも、電気連結器が設けられていました。

昔は逆10両と呼ばれる組成が存在し、小田原方の電気連結器はその名残でしたが、撤去までにはタイムラグがあり、やや謎を残しています。
逆10両の消滅と電気連結器の撤去
小田急で10両編成の運行が始まったのは、1977年のことでした。年々激化するラッシュ時の混雑に対して、切り札としての編成長が10両だったことになりますが、乗客の増加はその後も続いたため、複々線化も含めた対応に迫られることになります。
10両での運行が始まった当時、箱根登山線には6両の入線ができませんでした。
このような事情により、小田原方には2400形の4両、新宿方には4両や6両を繋ぐ列車が多数あり、10両になる場合は逆10両を構成していました。
逆10両という呼び方がいつ頃登場したのかは定かではありませんが、1982年に大型車の6両が箱根登山線に入線できるようになると、6両は小田原方が定位置となります。
しかし、運用の都合からか逆10両の列車自体はその後も残り、珍しい存在として注目されることとなりました。
細々と残っていた逆10両ですが、1995年のダイヤ改正をもって消滅したようで、6両の小田原方にある電気連結器は無用の長物と化してしまいます。
使われることがなくなった電気連結器は、なぜかその後も存置された状態が続きますが、2005年頃から本格的な撤去が行われるようになりました。
タイムラグの理由を考える
逆10両の消滅と、電気連結器の撤去には10年ほどのタイムラグがあることになりますが、その理由はどこにあったのでしょうか。使わなくなったものは、比較的早々に撤去してしまう傾向がある小田急ですが、電気連結器についてはやや例外といえます。
真っ先に浮かぶ理由としては、やはり復活の可能性を考え、とりあえずは残しておいたというところでしょうか。
保守費用はかかりますが、撤去したものを再び取り付けることを考えると、とりあえず残していた可能性は考えられます。
分割併合が行われていたため、イレギュラーが発生した場合に備えていた可能性もあります。
何らかの事情で列車の順序が逆になってしまった場合、とりあえずそのまま併合して逆10両とすれば、1本の列車として走らせることは可能です。
分割時は発車順序が変わってしまいますが、ダイヤ乱れの抑制という面では意味があるように思います。
電気連結器の本格的な撤去に先立ち、2001年に登場した3000形においては、製造時から小田原方の装備が省略されました。
この頃には、逆10両を復活させる可能性を含めてなくなっていたといえますが、だからこそ2005年まで撤去が始まらなかったのは謎といえます。
使わないものを10年近くも存置していたのは、小田急の歴史上において比較的珍しいだけに、今となっては不思議でしかありませんね。
おわりに
長年に渡って残しておきながら、撤去の開始から数年で、使う機会がない全ての編成から外されてしまいました。動き出すと徹底しているという点においては、小田急らしい動きだったともいえそうです。
コメント
コメント一覧 (15)
他社事例で時系列もズレますが、青梅線から南武線に転属したナハN36編成も、電連もドア開閉ボタンも残したまま、たんに使用停止扱いとしてそのまま運用についています。
逆に4連の方は4+4で各停運用につくことがよくありますので、理由は明確ですね。
ワタシダ
が
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混雑は新宿側車両ほど酷いので
本来(?)ならデッドスペースとなる運転室同士が向き合う併結位置を
新宿側から数えて4・5両目とするより
逆10 と呼ばれる6・7両目とする方が利にかなっていたのですよね
分割編成も実質10両固定化して分割運用を無くした時に
なぜ小田原方6+新宿方4と前夜までの繋ぎ方ののままとしたのかがむしろ謎…
もしかしたら 小田原方4+新宿方6の逆10状態を定位に変えるか なんていう構想も実はあったとか?
ただ3000の6連がそれを許さない仕様で登場してきた頃には下火となっており
その後には完全消滅
そして全検周期に既存車も撤去を…
なんていう流れも想像できる
ワタシダ
が
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これにより富士急の女性専用車が廃止されました。
ワタシダ
が
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小田急としても分割併合を廃止するか否かで社内で揉めていた時期だと思うので再び取り付けるときの手間を考えて残したのではと思います。
因みに2600形は逆10両が禁止されていたことで有名ですが、ダイヤ乱れでやむを得ない時は逆10両が組成されたことが少なくとも1回あったようです。
(そもそも逆10両を完全に禁止していたのなら小田原方の連結器を何故設置していたか謎)
ワタシダ
が
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この新宿折り返し下りが前4両急行小田原行きになる運用があり、大野から本厚木が地獄だった。いま赤丸急行の混雑文句言っている人に乗せてあげたいくらいに。
ワタシダ
が
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ワタシダ
が
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小田急の場合は混雑具合を考慮して小田原方に6両、新宿方に4両という編成構成になったのではないかとも考えられ、同一形式で組んだ場合に新宿方から車両番号が大きくなるよう付番方法も分かりやすく考慮されとるとも言えそうですね。
ワタシダ
が
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一度も見る事も案内放送を聞く事も無かったのが残念でした
ワタシダ
が
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ワタシダ
が
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ワタシダ
が
しました