路線の起点から離れていながら、小田急の中ではかなり利用者が多い町田駅。
JR東日本の横浜線に乗り換えることが可能で、少し離れている改札を足早に歩く人波がおなじみとなっています。

2023年度に明け渡してしまいましたが、町田駅は長年に渡って乗降人員が2位の駅でした。
中間駅の王者のような存在であったわけですが、そもそも初めて2位になったのはいつのことなのでしょうか。
乗り入れている路線が多いため、当然といえば当然ではありますが、多くの人々が終日に渡って行き交う駅となっています。
そんな小田急において、長年に渡って2位となっていたのが町田駅で、起点の新宿駅から30.8kmも離れていながら、線内有数の乗降人員を誇ってきました。
しかし、2023年度に代々木上原駅が逆転を果たし、現在は3位という状態になっています。
町田駅が3位以下になることは珍しく、2024年度以降の順位がどうなるのか、今後についても気になるところです。
最初から2位だったわけではないと思い、調べてみることにしました。
以下は1日平均乗降人員が2位の駅を年度別にまとめたもので、1位は全て新宿駅でした。
1927年:-
1928年:下北沢
1929年:下北沢
1930年:下北沢
1931年:下北沢
1932年:下北沢
1933年:下北沢
1934年:下北沢
1935年:下北沢
1936年:下北沢
1937年:-
1938年:下北沢
1939年:下北沢
1940年:下北沢
1941年:下北沢
1942年:下北沢
1943年:-
1944年:-
1945年:-
1946年:下北沢
1947年:下北沢
1948年:下北沢
1949年:下北沢
1950年:下北沢
1951年:下北沢
1952年:下北沢
1953年:下北沢
1954年:下北沢
1955年:下北沢
1956年:下北沢
1956年:下北沢
1957年:下北沢
1958年:下北沢
1959年:下北沢
1960年:下北沢
1961年:下北沢
1962年:下北沢
1963年:下北沢
1964年:町田
1965年:町田
1966年:町田
1967年:町田
1968年:町田
1969年:町田
1970年:町田
1970年までの結果を見てみましたが、結果はこのようになりました。
主要な駅しかデータがないものの、それ以外の駅が2位になっているとは考えにくいため、順位自体は正しいものと思われます。
戦争が激化した時期のデータが抜けているという点が、妙に生々しく感じられました。
さて、結果を見れば分かるとおりで、町田駅が2位になったのは1964年のことでした。
元々は下北沢駅が強く、1933年に帝都電鉄(現在の京王井の頭線)が開業するのも納得の結果ですが、その不動の地位を町田駅が奪ったことになります。
町田駅の利用者が爆発的に増えるのは1960年代で、急速に住宅が開発された時期と重なっていました。
ベッドタウンとして開発が進み、周辺の人口が急激に増加したことで、下北沢駅を抜いていった構図となっています。
このまま順位が入れ替わって定着するのか、今後の推移にも要注目ですね。
JR東日本の横浜線に乗り換えることが可能で、少し離れている改札を足早に歩く人波がおなじみとなっています。

2023年度に明け渡してしまいましたが、町田駅は長年に渡って乗降人員が2位の駅でした。
中間駅の王者のような存在であったわけですが、そもそも初めて2位になったのはいつのことなのでしょうか。
乗降人員の2位が定位置だった町田駅
小田急で最も利用者が多い駅といえば、世界有数のターミナル駅としても名を連ねる新宿駅です。乗り入れている路線が多いため、当然といえば当然ではありますが、多くの人々が終日に渡って行き交う駅となっています。
そんな小田急において、長年に渡って2位となっていたのが町田駅で、起点の新宿駅から30.8kmも離れていながら、線内有数の乗降人員を誇ってきました。
しかし、2023年度に代々木上原駅が逆転を果たし、現在は3位という状態になっています。
町田駅が3位以下になることは珍しく、2024年度以降の順位がどうなるのか、今後についても気になるところです。
町田駅が2位になったのはいつなのか
町田駅といえば、不動の2位ぐらいのイメージがありますが、そもそも乗降人員が2位になったのはいつなのでしょうか。最初から2位だったわけではないと思い、調べてみることにしました。
以下は1日平均乗降人員が2位の駅を年度別にまとめたもので、1位は全て新宿駅でした。
1927年:-
1928年:下北沢
1929年:下北沢
1930年:下北沢
1931年:下北沢
1932年:下北沢
1933年:下北沢
1934年:下北沢
1935年:下北沢
1936年:下北沢
1937年:-
1938年:下北沢
1939年:下北沢
1940年:下北沢
1941年:下北沢
1942年:下北沢
1943年:-
1944年:-
1945年:-
1946年:下北沢
1947年:下北沢
1948年:下北沢
1949年:下北沢
1950年:下北沢
1951年:下北沢
1952年:下北沢
1953年:下北沢
1954年:下北沢
1955年:下北沢
1956年:下北沢
1956年:下北沢
1957年:下北沢
1958年:下北沢
1959年:下北沢
1960年:下北沢
1961年:下北沢
1962年:下北沢
1963年:下北沢
1964年:町田
1965年:町田
1966年:町田
1967年:町田
1968年:町田
1969年:町田
1970年:町田
1970年までの結果を見てみましたが、結果はこのようになりました。
主要な駅しかデータがないものの、それ以外の駅が2位になっているとは考えにくいため、順位自体は正しいものと思われます。
戦争が激化した時期のデータが抜けているという点が、妙に生々しく感じられました。
さて、結果を見れば分かるとおりで、町田駅が2位になったのは1964年のことでした。
元々は下北沢駅が強く、1933年に帝都電鉄(現在の京王井の頭線)が開業するのも納得の結果ですが、その不動の地位を町田駅が奪ったことになります。
町田駅の利用者が爆発的に増えるのは1960年代で、急速に住宅が開発された時期と重なっていました。
ベッドタウンとして開発が進み、周辺の人口が急激に増加したことで、下北沢駅を抜いていった構図となっています。
おわりに
長年に渡って2位を維持した町田駅ですが、その座を代々木上原駅に明け渡すこととなりました。このまま順位が入れ替わって定着するのか、今後の推移にも要注目ですね。
コメント
コメント一覧 (8)
ワタシダ
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尤も当時の川崎市内区間は西生田を出ると柿生まで駅がないような山の中でしたが……
ワタシダ
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町田周辺が急速に発展したのは、新宿から急行で30 分という「近さ」が大きな理由だったと書かれていましたね。
ワタシダ
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関西人さんが書かれているように当時は国鉄横浜線原町田駅は離れていました。多分今ミーナがあるあたりになると思います。小田急百貨店やツインズなどの商業施設も1970年代後半から1980年代初めの開業です。当時の横浜線は72系が中心でぼろい印象でしたし、原町田周辺は単線(調べてみたら、長津田―原町田の複線化は1979年、駅名が変わって町田―淵野辺間は1980年)で本数が少なかったですね。
「小田急の町田駅が乗降人員で初めて2位になったのはいつなのか」というこのページのタイトルを見た時、1970年代終わりか1980年代初めだろうと想像して読み始めて1964年と知って驚きました。
ワタシダ
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ワタシダ
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2023年度に3位になったのは相鉄の埼京線乗り入れ・新横浜線開業による東横線乗り入れやコロナ禍による利用客数減少が挙げられたものの、減少幅は他の駅と比べて最小限に留まっとるようです。今後果たして再び2位の座を奪還することができるのか、それとも代々木上原にその座を譲るのか、その動向は如何に…?
ワタシダ
が
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ワタシダ
が
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