レジャーの多様化等により、昔に比べて数を減らした遊園地。
現在も小田急沿線ではよみうりランドが運営を続けていますが、かつては自社でも遊園地を保有しており、向ヶ丘遊園という駅名はその名残となっています。

そんな小田急の遊園地ですが、座間遊園という幻の計画が過去にありました。
花と緑の遊園地と呼ばれ、自然豊かな環境が特徴でしたが、2002年に営業を終了しています。
そんな小田急が第二の遊園地として計画したのが、今回の本題である座間遊園の存在です。
向ヶ丘遊園とは異なり、計画だけで実現することはありませんでしたが、新座間として開業した現在の座間駅が、1937年に駅名を座間遊園に改めています。
先行して駅名を改め、郊外に第二の遊園地を造ろうとした小田急でしたが、戦時体制へと移行していく中で計画は頓挫し、1941年には駅名も座間へと再度改称されてしまいました。
駅名として残ることもなかった座間遊園でしたが、小田急は1974年に御殿場ファミリーランドを開園し、場所を変えて第二の遊園地自体は実現しています。
しかし、建設に向けて用地の確保等は進められており、駅名変更をして備えたことからも、本気で造ろうとした時期はあったのでしょう。
座間遊園の建設予定地は、座間駅の東側一帯だったようで、広大な土地も買収されていました。
そんな土地も計画の頓挫に合わせて売却され、座間遊園は幻となります。
ちなみに、座間遊園の構想自体は小田急の開業前からあったようで、実現していたら駅周辺の歴史は大きく異なっていたかもしれません。
座間遊園の歴史を伝えるものとして、記念碑があったようですが、行方不明になったといった情報が出てきます。
今もあるのか、それともなくなってしまったのか、情報の少なさもあって謎は深まるばかりでした。
向ヶ丘遊園、御殿場ファミリーランドも閉園してしまい、小田急が遊園地を運営していたという事実さえ、遠い過去のこととなってしまいました。
現在も小田急沿線ではよみうりランドが運営を続けていますが、かつては自社でも遊園地を保有しており、向ヶ丘遊園という駅名はその名残となっています。

そんな小田急の遊園地ですが、座間遊園という幻の計画が過去にありました。
実現しなかった第二の遊園地
1927年に開業した小田急は、同時に向ヶ丘遊園を造りました。花と緑の遊園地と呼ばれ、自然豊かな環境が特徴でしたが、2002年に営業を終了しています。
そんな小田急が第二の遊園地として計画したのが、今回の本題である座間遊園の存在です。
向ヶ丘遊園とは異なり、計画だけで実現することはありませんでしたが、新座間として開業した現在の座間駅が、1937年に駅名を座間遊園に改めています。
先行して駅名を改め、郊外に第二の遊園地を造ろうとした小田急でしたが、戦時体制へと移行していく中で計画は頓挫し、1941年には駅名も座間へと再度改称されてしまいました。
駅名として残ることもなかった座間遊園でしたが、小田急は1974年に御殿場ファミリーランドを開園し、場所を変えて第二の遊園地自体は実現しています。
謎が多い座間遊園
戦前のことであり、混乱の世の中だった時期でもあるためか、座間遊園については情報がほとんどありません。しかし、建設に向けて用地の確保等は進められており、駅名変更をして備えたことからも、本気で造ろうとした時期はあったのでしょう。
座間遊園の建設予定地は、座間駅の東側一帯だったようで、広大な土地も買収されていました。
そんな土地も計画の頓挫に合わせて売却され、座間遊園は幻となります。
ちなみに、座間遊園の構想自体は小田急の開業前からあったようで、実現していたら駅周辺の歴史は大きく異なっていたかもしれません。
座間遊園の歴史を伝えるものとして、記念碑があったようですが、行方不明になったといった情報が出てきます。
今もあるのか、それともなくなってしまったのか、情報の少なさもあって謎は深まるばかりでした。
おわりに
駅名にまでなりながらも、戦前に頓挫してしまった座間遊園の計画。向ヶ丘遊園、御殿場ファミリーランドも閉園してしまい、小田急が遊園地を運営していたという事実さえ、遠い過去のこととなってしまいました。
コメント
コメント一覧 (13)
もしかすると、周辺の施設の防諜の意味から、わざと駅名変更したのではとも思えます。というのは、隣接の現相武台前駅が、士官学校前から旧座間駅を経て相武台前に変更しているためで、何か関係がありそうにも思えます。
ちなみに相武台という地名は、昭和天皇の命名だそうです。
小田急二十五年史にも記述が無いか見てみますが…。記録は本当に少ないですね。
ワタシダ
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所々に、東屋も建てらたとも書かれています。
同書には昭和15年に撮られた写真も添えられ、子どもたちに囲まれて「座間遊園地記念碑・利光鶴松書」と書かれた大きな碑が写っています。
碑は天台線(座間駅から東へ向かう道)を上っていった小高い松林の中に建てられていたが、現在はないと書かれています。
ワタシダ
が
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関東の他路線では、京成谷津遊園が昭和の終盤に閉園になっています。最寄駅は、遊園地が在った頃は谷津遊園駅の名で特急も停車しましたが、閉園後は谷津駅と改称されて特急通過となり、今では普通しか停まらなくなりました。
ワタシダ
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ただ作られていたら座間に急行が停車するという世界線もあり得ましたね。
昔は相武台前に急行が臨時停車した時間帯があったそうですから分割併合を行っていた時期は今でいう赤丸急行の路線図内の赤丸が相模大野―小田原間の9駅に存在(史実は5駅)する可能性もあったと思うと面白いです。
ワタシダ
が
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現在座間は南関東の物流の拠点として発展しつつあり、街の発展の方向性もまた多様化していますので、遊園地のような「目玉商品」に頼る時代でもないのかもしれません。
ワタシダ
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ワタシダ
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ただ、時代の流れによる変化でレジャーの多様化が進み、利用客数の減少による閉園はどのみち避けられなかったでしょう(さやま遊園も閉園後は大阪狭山市に駅名改称されたのに対してみさき公園は現在も駅名はそのままで、小田急の向ヶ丘遊園と似たようなケースが生じとります。座間遊園の駅名も大阪狭山市の流れで現在の(というか史実と同じ)駅名に改称されたりして?)。
ワタシダ
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ワタシダ
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