1000形の未更新車が廃車されたことで、小田急では見ることができなくなった方向幕を装備した車両。
回転しながら表示を変えるシーンに遭遇すると、少し得した気分になったものです。

そんな小田急の方向幕ですが、行先についてはどのような順番となっていたのでしょうか。
前面と側面で異なる順番についても、合わせて確認してみたいと思います。
初期においては手回し式となっており、乗務員がハンドルを使ってコマを変える必要があり、労力が必要なものでした。
その後、9000形が登場時から自動化された状態とされ、乗務員室内から設定をすることで、自動的に指定のコマへと変わるようになります。
自動化後はコマの順番が固定され、時期によって表記や駅が異なるケースはあるものの、基本の順番は変わりませんでした。
以下は前面行先幕における、最終的な順番をまとめたものです。
・新宿
・代々木上原
・経堂
・成城学園前
・向ヶ丘遊園
・新百合ヶ丘
・唐木田
・相模大野
・相武台前
・海老名
・本厚木
・秦野
・新松田
・小田原
・箱根湯本
・新百合ヶ丘 / 多摩センター
・多摩センター
・藤沢
・片瀬江ノ島
・箱根湯本 / 片瀬江ノ島
・小田原 / 片瀬江ノ島
・団体専用
・試運転
・回送
・町田
・長後
・伊勢原
・綾瀬
・大和
・代々木公園
・明治神宮前
・霞ケ関
・湯島
・北千住
新宿を起点として、路線図と同じような順番で並んでいますが、途中に回送等が挟まっていることが特徴です。
これは追加されたコマが後ろに入っていることによるもので、千代田線内の駅が最後の追加だったことを意味します。
時期によって表記は変わっており、昔は駅名が短縮表記されていた駅もありました。
後半のコマは入っていない車両もあり、全てを解き明かすのは簡単ではありません。
側面という特性から、自動であることが前提となっており、手動だった車両は存在しません。
面白い点としては、前面とコマの順番が大きく異なっていることで、共通点はありませんでした。
以下は側面行先幕における、最終的な順番をまとめたものです。
・藤沢 / 片瀬江ノ島
・新松田 / 小田原
・新百合ヶ丘 / 多摩センター
・新宿 / 向ヶ丘遊園
・成城学園前
・長後
・秦野
・伊勢原
・海老名
・相武台前
・新百合ヶ丘
・多摩センター
・経堂
・向ヶ丘遊園
・町田
・相模大野
・藤沢
・片瀬江ノ島
・新宿
・箱根湯本
・小田原
・新松田
・本厚木
・代々木上原
・綾瀬
・回送
・団体専用
・試運転
・唐木田
・大和
・代々木公園
・明治神宮前
・霞ケ関
・湯島
・北千住
起点には折り返し運転用のコマが配置されましたが、正式に使用された時期はなかったようです。
その後は、真ん中に向かって使用頻度が高い駅となっていく順番で、幕を沢山回さなくて済むようにしたものと思われます。
前面と側面で順番が異なるようになったのは、登場した時期が違うことに由来します。
素直に並べた前面に対して、側面は運用上のメリットを重視したものと思われ、ややこしい状態が生まれました。
こうして前面と側面の順番が異なる状態となったわけですが、今は一瞬で表示が変わってしまうようになり、少し寂しい時代になったようにも思います。
回転しながら表示を変えるシーンに遭遇すると、少し得した気分になったものです。

そんな小田急の方向幕ですが、行先についてはどのような順番となっていたのでしょうか。
前面と側面で異なる順番についても、合わせて確認してみたいと思います。
前面行先幕におけるコマの順番
小田急における行先幕は、2220形が貫通扉の下部に初めて採用し、それ以降に登場する車両に装備されるようになります。初期においては手回し式となっており、乗務員がハンドルを使ってコマを変える必要があり、労力が必要なものでした。
その後、9000形が登場時から自動化された状態とされ、乗務員室内から設定をすることで、自動的に指定のコマへと変わるようになります。
自動化後はコマの順番が固定され、時期によって表記や駅が異なるケースはあるものの、基本の順番は変わりませんでした。
以下は前面行先幕における、最終的な順番をまとめたものです。
・新宿
・代々木上原
・経堂
・成城学園前
・向ヶ丘遊園
・新百合ヶ丘
・唐木田
・相模大野
・相武台前
・海老名
・本厚木
・秦野
・新松田
・小田原
・箱根湯本
・新百合ヶ丘 / 多摩センター
・多摩センター
・藤沢
・片瀬江ノ島
・箱根湯本 / 片瀬江ノ島
・小田原 / 片瀬江ノ島
・団体専用
・試運転
・回送
・町田
・長後
・伊勢原
・綾瀬
・大和
・代々木公園
・明治神宮前
・霞ケ関
・湯島
・北千住
新宿を起点として、路線図と同じような順番で並んでいますが、途中に回送等が挟まっていることが特徴です。
これは追加されたコマが後ろに入っていることによるもので、千代田線内の駅が最後の追加だったことを意味します。
時期によって表記は変わっており、昔は駅名が短縮表記されていた駅もありました。
後半のコマは入っていない車両もあり、全てを解き明かすのは簡単ではありません。
側面行先幕におけるコマの順番
行先幕は前面のみという状況が長く続きましたが、5000形の6両が増備の途中で側面にも採用し、これもまたその後の標準装備となっていきます。側面という特性から、自動であることが前提となっており、手動だった車両は存在しません。
面白い点としては、前面とコマの順番が大きく異なっていることで、共通点はありませんでした。
以下は側面行先幕における、最終的な順番をまとめたものです。
・藤沢 / 片瀬江ノ島
・新松田 / 小田原
・新百合ヶ丘 / 多摩センター
・新宿 / 向ヶ丘遊園
・成城学園前
・長後
・秦野
・伊勢原
・海老名
・相武台前
・新百合ヶ丘
・多摩センター
・経堂
・向ヶ丘遊園
・町田
・相模大野
・藤沢
・片瀬江ノ島
・新宿
・箱根湯本
・小田原
・新松田
・本厚木
・代々木上原
・綾瀬
・回送
・団体専用
・試運転
・唐木田
・大和
・代々木公園
・明治神宮前
・霞ケ関
・湯島
・北千住
起点には折り返し運転用のコマが配置されましたが、正式に使用された時期はなかったようです。
その後は、真ん中に向かって使用頻度が高い駅となっていく順番で、幕を沢山回さなくて済むようにしたものと思われます。
前面と側面で順番が異なるようになったのは、登場した時期が違うことに由来します。
素直に並べた前面に対して、側面は運用上のメリットを重視したものと思われ、ややこしい状態が生まれました。
おわりに
基本的な順番が変わらなかったことには理由があり、小田急は異形式での併結を日常的に行っていたことから、各車両の行先幕も仕様を合わせる必要があり、途中でコマの順番を変えるのが困難だったのでしょう。こうして前面と側面の順番が異なる状態となったわけですが、今は一瞬で表示が変わってしまうようになり、少し寂しい時代になったようにも思います。
コメント
コメント一覧 (19)
昔のサボだと例えば急行 箱根湯本-新宿 の裏面が急行 新宿-箱根湯本 のように海側山側それぞれ差し替えられるようになっていましたが、幕はどうなっていたのでしょうか?
もしかして9000の準急 綾瀬-本厚木 は海側でも使われていた?決め手となる画像見つけられず…
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
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ワタシダ
が
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車庫には入らず、本厚木始発の各停小田原行きになるために小田原方面へ出発していってました。
ワタシダ
が
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綾瀬以外の千代田線内の幕はかなり後、1000形が朝ラッシュ時に『綾瀬~霞ヶ関』の運用に入るようになった頃に追加されたようで、2001年に綾瀬~北千住を終日運休して行われた工事の際には、1000形による北千住行きは黒幕でした。
5200形が新製された時の『鉄道ファン』誌に掲載された指令器の写真には綾瀬は無かったと記憶しております。
ワタシダ
が
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ワタシダ
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ただ種別幕のほうは形式ごとに差異があり、「多摩急行」は1000形だけに入っていたようです。
なお、1000形のうち10両固定90番台と1081Fは幕検知装置が他形式はもちろん1000形の地上専用車とも異なるようで相互に互換性がなく、幕破損時は英字表記のない旧幕に一時的に交換されたこともありました。
ワタシダ
が
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方向幕の操作例として、「急行 新宿」から折返し「急行 箱根湯本・江ノ島」の場合。
左側が新宿方4両・右側が小田原方6両の側面行先幕で、小田原方乗務員室から車掌が操作する手順です。
方向幕司令器の画像があれば、参照しながらだと分かりやすいかも。
まず上り新宿方面に走行中。
←【新 新 新 新】+【新 新 新 新 新 新】
南新宿駅通過監視後、直ちに操作。
前面は「箱根湯本・江ノ島」にセットして<起動>。
側面はひとまず「江ノ島」にセットして<起動>。
←【江 江 江 江】+【江 江 江 江 江 江】
動作中ランプが消灯したら、<自車>に切り替え「箱根湯本」セットで<起動>。
←【江 江 江 江】+【湯 湯 湯 湯 湯 湯】
動作中ランプが消灯したら、忘れずに<全車>に戻す。
まあ、これらの操作は現実的には、新宿到着案内放送をしながらになります。
新宿到着後、折返しの際に側面方向幕も確認。
…といった具合です。
なので、側面行先の順位が「新宿」を挟んで「箱根湯本」と「江ノ島」などが近接しているのは、理にかなっているのです。
あと、分割時の放送の際に<自車><他車><一斉>を切り替える取扱がありますが、それについてはまた機会がありましたら。
ワタシダ
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因みに4257fは旧4000形引退までの3か月間、小田原方先頭行先表示がずっと旧幕だったようです。(原因不明)
ワタシダ
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当時多摩線の一期開業予定が黒川だった名残でしょうか。
ワタシダ
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分割併合が多い小田急やったからこそ、他の事業者と異なり種別と行先の幕を分けとったことで操作をスムーズにする意図があったといえるでしょう。東武6050系のように車内にも行き先表示器があると尚嬉しいところですが、デザインやコスト面を考慮するとそう簡単には行かなかったのかもしれませんね。
ワタシダ
が
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ワタシダ
が
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ワタシダ
が
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