小田急としては製造両数が多く、主力車両として活躍してきた1000形と3000形。
1000形は半数が廃車となってしまいましたが、どちらも時代を象徴する車両となっています。

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そんな1000形と3000形ですが、対照的な車両でありながら密接な関係にある形式です。
両形式の深い縁について、過去から現在までを見てみたいと思います。

運用のパズルを組み立てた両形式

バリエーションが豊富で、千代田線への乗り入れも行ったマルチな車両である1000形に対して、3000形は小田急線内での運用を基本とした設計とされました。
車両のコンセプトや、使われ方という面で対照的でもある両形式ですが、3000形の登場当初から密接な関係となっています。

登場時の事情により、1000形は4両の編成が多く、3000形は6両の編成が多い状況となりました。
1000形が登場した時期は、近郊区間の各駅停車を8両化する対応が行われており、3000形は6両の車両を大量に置き換える必要があったことが、このような状況となった背景です。

近郊区間の各駅停車といえば、1000形の4両同士を繋いだ8両が定番でしたが、3000形の8両固定編成を増備することで、運用上の置き換えが行われました。
この置き換えによって1000形の4両は編成を解かれ、10両で走る急行等の増結用として使われることになります。
10両の6両側は3000形というケースが多くあったため、結果的に1000形と3000形はペアを組む機会に恵まれ、銀色の車体で揃った編成としておなじみでした。

相棒としての長きに渡る活躍

通勤型車両による分割併合が終焉に向かい、8000形のリニューアルが進められると、10両は極力同一形式で組む方針がとられました。
同一形式のほうが性能が揃い、走行時の衝動を少なくできることから、このような方針になったものと思われます。

1000形も極力同一形式での編成とされましたが、4両の編成数が多いという事情から、一部は3000形と組んで使われる状況が継続しました。
両形式の4両と6両における偏りが、相棒として活躍することに繋がっていたことになります。

1000形の4両がリニューアルされた後も、その相棒は引き続き3000形が努めました。
数は少なくなりましたが、現在も1000形と3000形のペアは発生している状況で、長年に渡る相棒としての関係は、もうしばらく見られそうです。

おわりに

登場から現在まで、10両を組むことが多い1000形と3000形ですが、今後は単独で使う方向にシフトしつつある状況です。
繋ぐための装備が取り外された編成が増えてきましたが、10両で走る姿はいつまで見ることができるのでしょうか。