旧型車両からモーター等を流用し、近代的な車体と吊り掛けモーターの組み合わせが特徴だった小田急の4000形。
後に2400形のモーターを流用して高性能化されますが、いつの時代も小田急の中では異端車的存在でした。

そんな4000形ですが、同一編成内で複数の台車を履いていることも特徴の一つでした。
なぜ形式内で台車が混在することになったのでしょうか。
そこで、1985年より高性能化と冷房化をセットにした大改造が行われ、同時に編成も小田急の標準である4両と6両に組み替えられることとなります。
高性能化に合わせ、一部の機器等については新製されていますが、極力使えるものは使う方針となっており、編成や車両によって異なるものが使われるケースがありました。
機器以外の部分では、車両によって台車が異なるのが4000形の特徴で、小田急では珍しく出自の異なる台車が混在する結果となっています。
4000形が履いていた台車は、TS-814、TS-818、TS-826の3種類で、基本的に住友金属工業の台車を採用する当時の小田急において、東急車輛製造の台車を履く珍しい存在です。
台車の差異は電動車かどうかの違いが基本で、デハがTS-826を履き、クハがTS-814かTS-818を履いていました。
背景には、製造当初に履いていたパイオニア台車の存在があり、それを淘汰したことが台車の混在に繋がっています。
4000形は3両編成で登場し、当初は4001Fから4022Fまでの66両が造られました。
利用者の増加で編成が長くなってくると、奇数を編成単位とした4000形は、8両編成が組めないという弱点を抱えることとなり、その解決策が必要となります。
そこで、2両単位である1800形と編成を組ませることで、8両として仕立てることになり、ラッシュ時の優等列車等に投入されました。
4000形が優等列車に投入された背景には、高性能車に比べて加速性能が劣りつつも、収容力があったことが関係していたものと思われます。
しかし、1800形との併結は4000形の運命を大きく変え、パイオニア台車の特性に起因する脱線事故が連続して発生したことから、この運用は中止となりました。
その後、4000形は中間車を増備して一部の編成を5両化しますが、その際に造られたのがTS-814とTS-818の二つの台車でした。
中間車の増備時に、脱線の原因となったパイオニア台車は採用されず、クハは新製のTS-814に履き替えが行われ、外したものが中間車に流用されます。
TS-818については、流用する台車が足りなかったことから、中間増備車の4両だけが履いていました。
パイオニア台車の完全淘汰は、4000形の高性能化時に行われ、その際にTS-826が新たに造られています。
こうして4000形からパイオニア台車はなくなりますが、結果として3種類の台車が混在する状況が発生しました。
他形式とは乗り心地が異なっており、今でも忘れられない面白い存在の車両でした。
後に2400形のモーターを流用して高性能化されますが、いつの時代も小田急の中では異端車的存在でした。

そんな4000形ですが、同一編成内で複数の台車を履いていることも特徴の一つでした。
なぜ形式内で台車が混在することになったのでしょうか。
高性能化後の4000形が履いていた様々な台車
小田急の営業用車両としては、最後の吊り掛け駆動車となっていた4000形ですが、他の車両と性能が異なっていたことから、徐々に使いにくい存在となってきました。そこで、1985年より高性能化と冷房化をセットにした大改造が行われ、同時に編成も小田急の標準である4両と6両に組み替えられることとなります。
高性能化に合わせ、一部の機器等については新製されていますが、極力使えるものは使う方針となっており、編成や車両によって異なるものが使われるケースがありました。
機器以外の部分では、車両によって台車が異なるのが4000形の特徴で、小田急では珍しく出自の異なる台車が混在する結果となっています。
4000形が履いていた台車は、TS-814、TS-818、TS-826の3種類で、基本的に住友金属工業の台車を採用する当時の小田急において、東急車輛製造の台車を履く珍しい存在です。
台車の差異は電動車かどうかの違いが基本で、デハがTS-826を履き、クハがTS-814かTS-818を履いていました。
台車の種類はなぜ増えてしまったのか
引退までを3種類の台車で過ごした4000形ですが、そもそも製造時から履いていたものは一つも残っていませんでした。背景には、製造当初に履いていたパイオニア台車の存在があり、それを淘汰したことが台車の混在に繋がっています。
4000形は3両編成で登場し、当初は4001Fから4022Fまでの66両が造られました。
利用者の増加で編成が長くなってくると、奇数を編成単位とした4000形は、8両編成が組めないという弱点を抱えることとなり、その解決策が必要となります。
そこで、2両単位である1800形と編成を組ませることで、8両として仕立てることになり、ラッシュ時の優等列車等に投入されました。
4000形が優等列車に投入された背景には、高性能車に比べて加速性能が劣りつつも、収容力があったことが関係していたものと思われます。
しかし、1800形との併結は4000形の運命を大きく変え、パイオニア台車の特性に起因する脱線事故が連続して発生したことから、この運用は中止となりました。
その後、4000形は中間車を増備して一部の編成を5両化しますが、その際に造られたのがTS-814とTS-818の二つの台車でした。
中間車の増備時に、脱線の原因となったパイオニア台車は採用されず、クハは新製のTS-814に履き替えが行われ、外したものが中間車に流用されます。
TS-818については、流用する台車が足りなかったことから、中間増備車の4両だけが履いていました。
パイオニア台車の完全淘汰は、4000形の高性能化時に行われ、その際にTS-826が新たに造られています。
こうして4000形からパイオニア台車はなくなりますが、結果として3種類の台車が混在する状況が発生しました。
おわりに
最初から最後まで、小田急の中では異質な台車を履いて活躍した4000形。他形式とは乗り心地が異なっており、今でも忘れられない面白い存在の車両でした。
コメント
コメント一覧 (13)
軸バネ省略で摺動部が無く軽量で保守も楽 とかで
井の頭ではステンレス車体共々3000型に導入したものの
動力台車としては問題あり とされて
動力台車だけ振り替えられ
クハはPⅢ モハはTS となっていましたね
(後の増備車からは全車TS台車)
4000型と1800型との異形式併結時に起きたという脱線事故
加減速性能の差とか車体重量の差 というなら理解も納得もしやすいけれど
中止の理由として決定的だったのが
4000型はPⅢ台車だったため なんですか?
ワタシダ
が
しました
P-III706台車(704も同様)の特徴としては、ダイレクトマウントの空気バネとそれに付随するボルスターアンカーの位置を下げ気味にするため、台車枠を「上向きカッコ形」に曲げた形状としていることが挙げられます。これは他のそれまでのパイオニア台車には無い特徴で意欲作と言えそうです。
全体としてパイオニア台車の評価として、ディスクブレーキは意外と車輪踏面の汚れを呼ぶので、別途車輪踏面清掃装置が必要になったり(踏切が通過途中で上がるため、京王ではシンナーで車輪を拭くなどという模型のようなことをしていた由)、軸バネがゴムロールなことと、アメリカバッド社の源設計に対して、狭軌に採用するためもあって、本来インサイドフレーム(外側に向けて台車枠、車輪、ディスクブレーキの順)なのが、アウトサイドフレーム(同じく車輪、台車枠、ディスクブレーキの順)に設計変更されていることによる、台車本体のねじれ量の増大が特定条件での輪重抜けに影響するとのことで、少なくとも日本の鉄道には向かなかったのではと、過去の雑誌などでは言われていますね。
また京王3000系では、主電動機に振動が伝わり、整流などに影響するとかで、早期に電動車は台車交換を行っています。ビビリ振動特性が良くないようです。
後年の高性能化時に、Tc車にはTS814とTS818を流用し、不足分はTS814を新製の他、電動車はTS826を新製していますが、空気バネ部は元のパイオニア台車時代のものを流用し、ブレーキディスク本体も流用してうまくコストを下げています。
ワタシダ
が
しました
軸バネを廃止したのは弊害デカかったか…。
なおボルスタを廃止した「ボルスタレス台車」は、弊害そのものは全くないため現代でも広範に多用されています。
極限まで構成部品を少なくしたE231系の台車でさえ、軸バネはあります。
それにしても、ディスクブレーキが外側に剥き出しというと、相鉄8000&9000系が印象的…あれは直角カルダン駆動ですからね。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
まあ、この時代は各社似たようなものだったが。
趣味的には面白い形式だったかが。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
ディスクブレーキの露出した台車自体はパイオニア台車ではないものの小田急でも旧4000形でその後僅かに残り、相鉄でもディスクブレーキの露出した台車を9000系まで採用しとるなど、そのインパクトはなかなかのものでした。今後相鉄で8000系や9000系淘汰が進めば見納めとなるものと思われ、是非とも記録するなら今のうちといったところでしょうか。
ワタシダ
が
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ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました