横浜市営地下鉄の延伸が予定され、実現すれば今後大きな変化があると予想される小田急の新百合ヶ丘駅。
近年はあまり動きがありませんでしたが、地質調査を行っている場所があり、何もしていないということではないようです。

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接続先として発展が見込まれる新百合ヶ丘駅ですが、かつては川崎縦貫高速鉄道という未成線の計画がありました。
実現せず迷走した川崎縦貫高速鉄道ですが、新百合ヶ丘駅は昔から振り回され続けているようにも思います。

長年実現しなかった川崎縦貫高速鉄道

横浜市営地下鉄の接続が話題の中心となり、既に過去のできごととして忘れられつつありますが、新百合ヶ丘駅には川崎縦貫高速鉄道の接続計画が存在しました。
川崎市営地下鉄と表現したほうが、イメージしやすい方もいるかもしれません。

川崎縦貫高速鉄道は、1960年代に構想が浮上した鉄道です。
都市交通審議会が1966年に出した答申では、川崎市内を縦断する地下鉄として計画され、大師河原から百合ヶ丘までを結ぶものとされました。
百合ヶ丘駅の開業は1960年のことで、待避線の設置が可能な構造とされる等、将来的な発展が見込まれていたことがうかがえます。

1974年に新百合ヶ丘駅が開業することに合わせ、北側の終点に関しては変更が発生し、百合ヶ丘駅への接続計画はなくなりました。
しかし、新百合ヶ丘駅への接続もスムーズには進まず、今度は武蔵野南線を旅客線化し、新百合ヶ丘駅から繋がる路線を整備する計画に変化します。
1992年の段階では、川崎駅から京浜急行の大師線に乗り入れる計画となり、1960年代の構想とはかなり異なってきました。

色々と構想が変化した川崎縦貫高速鉄道ですが、国鉄の分割民営後には武蔵野南線の旅客化が否定される方向となり、またしても進まなくなってしまいます。
川崎市はそれでも諦めず、川崎縦貫高速鉄道はさらに迷走していくこととなりました。

計画の変更が続いた川崎縦貫高速鉄道

武蔵野南線の旅客化が見通せなくなり、1990年代の後半には新百合ヶ丘から川崎までを新線で整備するという方向に変わります。
遠回りをして、最初の構想に戻ったようにも感じる流れで、30年という時間だけが過ぎてしまいました。

新線の方向で動き始めると、今度は小田急も川崎縦貫高速鉄道の話題に巻き込まれます。
1990年代の終わりには、多摩線との相互直通運転が構想され、小田急との協議も行われますが、進展せずに終わりました。

その後、2000年代には小田急との相互直通運転計画が再び浮上しますが、これは建設費の圧縮を狙ったものでした。
新百合ヶ丘は小田急の駅を利用、車両基地も唐木田を活用するというもので、小田急にとってプラスになるのかは、かなり怪しい内容だったように思います。
さらに、大師線との相互直通運転も検討材料となっており、素人目に見ても実現できるとは思えないような計画となってきていました。

そんな中でも、着工に向けて歩みを進めてはいたものの、ルート変更等の迷走が続いた結果、計画はやがて後退を始めます。
最終的には、2018年に廃止が正式決定され、川崎縦貫高速鉄道は未成線となりました。

おわりに

川崎縦貫高速鉄道が新百合ヶ丘駅に接続する計画により、振り回される側となった小田急ですが、2019年以降は横浜市営地下鉄の接続が話題です。
こちらも計画どおりに進んでいるようには見えず、またしても振り回されるだけで終わってしまわないか、利用者の1人としては今後の動向が気になってなりません。