2018年のダイヤ改正以降、全てが東京メトロの千代田線に乗り入れる列車とされ、行く方面を分かりやすくした小田急の準急。
このタイミングで停車駅にも変更が発生し、従来の準急を通勤準急に変更し、準急は停車駅を増やした列車とされました。

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そんな小田急の準急と通勤準急ですが、まるで歴史が繰り返すかのような、意外な関係がありました。

準急と通勤準急のはじまり

小田急における準急の歴史は、1946年に始まりました。
1946年はまだ終戦から間もない時期で、復興に向けて優等列車が復活しつつある時期でした。

設定当初の停車駅は、新宿、下北沢、経堂、成城学園前、登戸で、そこから先は各駅停車となっています。
運転開始当初の段階で、その後にも繋がる準急の原型ができていました。

1951年になると、準急の停車駅には変化が生じます。
成城学園前以西を各駅に停車するという変更で、通過運転をする区間が短縮されました。
しかし、1960年には喜多見から和泉多摩川を通過する通勤準急が設定され、どこかで見たような流れが過去にも発生していたことになります。

通勤準急の設定により、通過運転を行う区間を時間帯によって変えた小田急でしたが、その期間はあまり長く続いていません。
1964年には通勤準急を準急に統合し、再び登戸以東を通過運転するようになり、結局元に戻ってしまいました。
この時期には快速準急という種別も登場しますが、列車の特性はどちらかというと急行に近く、今回は割愛します。

準急の安定期を経て現在へ

安定期に入った準急ですが、停車駅については若干の変化が生じました。
まず、1972年に停車駅を複雑化するパターンがスタートし、朝のラッシュ時に経堂駅を通過する列車が設定されます。

経堂駅はこの頃から調整弁のように使われ、両数や時間帯で停車するかどうかが変化し、かなり長くその時期が続くこととなりました。
両数の増加に合わせて、年々停車する列車は減少しますが、高架化後にホームが長くなると、そこからは増加傾向となっていきます。

比較的大きな変化としては、千代田線との直通運転に絡むものがありました。
千代田線が代々木公園駅まで開通したことに合わせ、1974年からは暫定的に代々木八幡駅が停車駅となります。

1978年に千代田線が全通したことに合わせ、代々木八幡駅への停車は中止、代々木上原駅が停車駅となり、相互直通運転も始まりました。
朝のラッシュ時には、千代田線に乗り入れる特殊な準急が設定され、生田から百合ヶ丘までを通過する列車だったことから、スキップ準急と呼ばれるようになります。
1990年に廃止されるまで、朝の名物列車となっていました。

その後は、経堂駅に絡む細かい変化を除けば、停車駅については動きがない時期が続きます。
大きな変化は複々線が完成した2018年で、元々の準急と停車駅が変わらない通勤準急が設定され、準急は千歳船橋、祖師ヶ谷大蔵、狛江を停車駅に加えました。

ここで現代に追いつきますが、2025年のダイヤ改正においては、準急の停車駅に喜多見と和泉多摩川が追加されました。
振り返ってみれば、成城学園前以西が各駅停車という準急、通過運転を行う区間が長いのが通勤準急という、かなり昔に戻ったような図式になっています。

おわりに

歴史は繰り返すといいますが、小田急における準急はまさにそんな存在なのかもしれません。
設定されているダイヤに合わせ、調整弁のように使われている種別であり、また変化するタイミングがありそうですね。