全線を10両の優等列車が走るようになり、近年は固定編成化も一層進んでいる小田急。
かつては急行が途中駅で分割併合を行う路線として有名でしたが、現在はロマンスカーで見られるのみとなってしまいました。

そんな小田急の分割併合ですが、急行が主に行っていた駅は、時期によって変化しています。
昔は今のように列車種別が多くなかったこともあり、別料金がかかる特急を除外した場合、長距離の利用者にとっては急行が第一の選択肢だったことになります。
まだホームが短い駅が多くあった時代、急行といえば相模大野駅での分割併合でした。
前の6両が急行の箱根湯本行き、後ろの4両が急行の片瀬江ノ島行きといったもので、相模大野駅はひっきりなしに電車が切り離されたり、繋げられている状態だったことになります。
ラッシュ時等を中心に、分割併合は本厚木駅等でも行われていましたが、中心となるのは相模大野駅というのが基本でした。
相模大野駅が中心になるのは、行先が異なる列車を繋いでいるためですが、結果的に4両で走る急行が設定されるため、そこに関する利用者からの評判はよくなかったように思います。
さらに、途中駅で二手に分かれて進むため、乗り間違いもそれなりに発生してしまい、案内の充実だけでは限界もあったことから、改善策が模索されていきます。
急行から4両をなくし、乗り間違いを防止するために行われたのが、同一方面の列車で分割併合を行うようにする変更です。
小田原線と江ノ島線の急行は繋がず、どちらも6両が急行として走るようにし、切り離された4両は同じ方向に各駅停車として走るか、一旦入庫するという運用に変わりました。
方面別の分割併合に変わり、小田原線の列車は相模大野駅で行う必然性がなくなったため、1992年からは海老名駅が中心地となります。
できるだけ10両で走らせる区間を増やすことや、海老名検車区が隣接していて運用しやすいためだと思いますが、最初は違和感がありました。
海老名駅での分割併合は10年ほど続きましたが、2002年からは新松田駅へと変わります。
全線10両化により、運転できる区間が広がったことで実現したもので、4両は小田原駅との間を各駅停車として走るため、かなり使いやすいダイヤとなっていました。
しかし、このパターンでの運行期間は意外と短く、2008年に分割併合の大半が廃止され、小田急の急行は新たなステージへと入っていくこととなります。
当たり前だった時代は遠い過去となっていますが、今もつい昨日のことのように感じるのは私だけでしょうか。
かつては急行が途中駅で分割併合を行う路線として有名でしたが、現在はロマンスカーで見られるのみとなってしまいました。

そんな小田急の分割併合ですが、急行が主に行っていた駅は、時期によって変化しています。
長く続いた相模大野駅での分割併合
現在は快速急行を補完する列車種別となった急行ですが、かつては小田急の優等列車における中心的存在でした。昔は今のように列車種別が多くなかったこともあり、別料金がかかる特急を除外した場合、長距離の利用者にとっては急行が第一の選択肢だったことになります。
まだホームが短い駅が多くあった時代、急行といえば相模大野駅での分割併合でした。
前の6両が急行の箱根湯本行き、後ろの4両が急行の片瀬江ノ島行きといったもので、相模大野駅はひっきりなしに電車が切り離されたり、繋げられている状態だったことになります。
ラッシュ時等を中心に、分割併合は本厚木駅等でも行われていましたが、中心となるのは相模大野駅というのが基本でした。
相模大野駅が中心になるのは、行先が異なる列車を繋いでいるためですが、結果的に4両で走る急行が設定されるため、そこに関する利用者からの評判はよくなかったように思います。
西へと移っていった分割併合を行う駅
4両と6両を繋いで10両にする以上、相模大野以西で4両の急行が生まれてしまう状況でしたが、異なる行先の列車をまとめて走らせるため、やむを得ない事象となっていました。さらに、途中駅で二手に分かれて進むため、乗り間違いもそれなりに発生してしまい、案内の充実だけでは限界もあったことから、改善策が模索されていきます。
急行から4両をなくし、乗り間違いを防止するために行われたのが、同一方面の列車で分割併合を行うようにする変更です。
小田原線と江ノ島線の急行は繋がず、どちらも6両が急行として走るようにし、切り離された4両は同じ方向に各駅停車として走るか、一旦入庫するという運用に変わりました。
方面別の分割併合に変わり、小田原線の列車は相模大野駅で行う必然性がなくなったため、1992年からは海老名駅が中心地となります。
できるだけ10両で走らせる区間を増やすことや、海老名検車区が隣接していて運用しやすいためだと思いますが、最初は違和感がありました。
海老名駅での分割併合は10年ほど続きましたが、2002年からは新松田駅へと変わります。
全線10両化により、運転できる区間が広がったことで実現したもので、4両は小田原駅との間を各駅停車として走るため、かなり使いやすいダイヤとなっていました。
しかし、このパターンでの運行期間は意外と短く、2008年に分割併合の大半が廃止され、小田急の急行は新たなステージへと入っていくこととなります。
おわりに
かつては急行の定番であり、趣味的にも面白い面が多かった分割併合。当たり前だった時代は遠い過去となっていますが、今もつい昨日のことのように感じるのは私だけでしょうか。
コメント
コメント一覧 (22)
ずっと「前4両急行箱根湯本 後6両急行江ノ島」じゃなかったですかね?
ワタシダ
が
しました
レアな運用で4000形5両の各駅停車を2本つないで相模大野から5+5の10両急行になるものがありました。
ワタシダ
が
しました
1998年に相模大野駅改良工事が完成してロマンスカーの一部が相模大野停車になりロマンスカー小田原方面と片瀬江ノ島方面の分割併合は相模大野になり、町田ー相模大野間の続行運転は解消されました。
ワタシダ
が
しました
大和や長後で待ち合わせする各停よりも編成が短くなる逆転現象も発生。
平日の江ノ島線急行は殆どが6両だったと記憶している。
新宿発車時、前6両急行相模大野行き(相模大野から各停片瀬江ノ島行き)後4両相模大野止まりはレアだった。
ワタシダ
が
しました
相模大野から前6両だけ本厚木行として運転し4両は相模大野止まりの分割準急も平日にありましたね。
ワタシダ
が
しました
そのまま上りの4番線に入線して海老名始発の急行新宿行になってました。7〜10号車の位置に停車をし、後ろ6両の急行新宿行を待ってました。後ろ6両が少しずつ前へ動きながらその4両に連結すると扉が開き、降りる人、前4両に移動する人がいて大混雑でした。これを自分だけでしょうが、海老名増結ということで、海老増(えびぞう)、海老名止まりは海老止め(えびどめ)と呼んでました。
前4両の位置に早く並べば座れるし、海老名止まりに座れば寝過ごすことはないし、海老名住民にとってはとても便利で華やかな時期でありました。
ワタシダ
が
しました
過去に急行は相模大野、海老名、本厚木、秦野で分割併合が行われていましたが、秦野は後ろ4両をそのまま各停にすればいいとして海老名はどうやって後ろ4両を回送していたんですかね?
(2012年改まで終電の急行小田原行は海老名で後ろ4両を切り離し、本厚木から各駅に停車していた記憶があります。)
ワタシダ
が
しました
10両化後も2400形や2200系列だけで組成すると、大型の9両分位しかないインチキ10両もありました。(そう呼んでいたのは私だけですが)
ワタシダ
が
しました
そんな分割併合なき現在、2022年のダイヤ変更で日中時間帯を中心に復活した6両急行がやたらと叩かれとるのもかつての分割併合が盛んやった時代を彷彿とさせますね(ライバルの湘南新宿ラインでは高崎線・宇都宮線系統を中心に現在も籠原や小金井で分割併合を行っとる列車がありますが、こればかりはこれら以北のホーム有効長が短い関係で致し方ないと言えばそれまででしょう)。
ワタシダ
が
しました
ダイヤ作る側も運用面でかなり苦労したんじゃないでしょうか。
新松田での分割併合運用は今の町田始発の赤丸急行・混雑解消の需要にピッタリ合ってるような気がします。
まあ、車両の関係でしたくても、もうできないのが現実ですが。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました