小田急で最多の両数を誇り、全線を走り回っている3000形。
短期間に大量増備が行われた形式ですが、登場初期はマイナーチェンジが多く、バリエーションが豊富な形式でもあります。

そんな3000形の中で、前期型と呼ばれる12編成については、前面の帯が太い姿で登場しました。
後に細い帯へと変更されていますが、各編成が太帯で走った期間はどれぐらいだったのでしょうか。
最初からハイペースで増備されたわけではなく、2001年度は4編成の導入となっており、2003年度の初頭にかけて初期車と呼ばれる12編成が造られています。
車体や機器の構成に異なる点が多い初期車ですが、元々は外見にも大きな違いがあり、前面には太い帯が配されていました。
しかし、6両の3263F以降と、同時期に登場した8両については、前面の帯が細いものへと変わり、見た目の印象が大きく変わることとなります。
帯を変更した点については、京浜東北線に似ているといわれるのを嫌った、仕様が違うから外見で分かるようにしたといったような説がありましたが、最終的に全編成が細帯化されたことで、後者の説は否定されました。
帯の変更は2004年3月に行われ、短期間で全12編成の姿が変化しているため、太帯と細帯の並びは貴重なものとなっています。
新しい編成ほど短いのは容易に想像できますが、実際にはどうだったのでしょうか。
以下は各編成が営業運転を開始した月をまとめたもので、括弧内は太帯で走った期間です。
3251F:2002年2月(2年1ヶ月)
3252F:2002年2月(2年1ヶ月)
3253F:2002年2月(2年1ヶ月)
3254F:2002年3月(2年)
3255F:2003年2月(1年1ヶ月)
3256F:2003年2月(1年1ヶ月)
3257F:2003年3月(1年)
3258F:2003年3月(1年)
3259F:2003年5月(10ヶ月)
3260F:2003年5月(10ヶ月)
3261F:2003年6月(9ヶ月)
3262F:2003年6月(9ヶ月)
営業運転を開始した月については、一部に推定を含みます。
また、期間は日の概念を考慮していないため、若干の誤差がある点はご容赦下さい。
まとまって登場した2次車については、全体的に走行期間が短めですが、2003年度に竣功した編成は特に短いのが目立ちます。
長くても2年程度だったことを踏まえれば、太帯の写真があまり残っていないのも納得ですね。
低コストで再現することが可能なため、小田急さんにおかれましては、是非リバイバルをお願いしたいところです。
短期間に大量増備が行われた形式ですが、登場初期はマイナーチェンジが多く、バリエーションが豊富な形式でもあります。

そんな3000形の中で、前期型と呼ばれる12編成については、前面の帯が太い姿で登場しました。
後に細い帯へと変更されていますが、各編成が太帯で走った期間はどれぐらいだったのでしょうか。
太帯から細帯に変化した12編成
従来の車両とは異なる部分が多く、小田急ファンに衝撃を与えた3000形は、2001年度に登場しました。最初からハイペースで増備されたわけではなく、2001年度は4編成の導入となっており、2003年度の初頭にかけて初期車と呼ばれる12編成が造られています。
車体や機器の構成に異なる点が多い初期車ですが、元々は外見にも大きな違いがあり、前面には太い帯が配されていました。
しかし、6両の3263F以降と、同時期に登場した8両については、前面の帯が細いものへと変わり、見た目の印象が大きく変わることとなります。
帯を変更した点については、京浜東北線に似ているといわれるのを嫌った、仕様が違うから外見で分かるようにしたといったような説がありましたが、最終的に全編成が細帯化されたことで、後者の説は否定されました。
帯の変更は2004年3月に行われ、短期間で全12編成の姿が変化しているため、太帯と細帯の並びは貴重なものとなっています。
各編成が太帯で走った期間
3000形が太帯で走った期間はそれほど長くありませんが、編成によっても差があります。新しい編成ほど短いのは容易に想像できますが、実際にはどうだったのでしょうか。
以下は各編成が営業運転を開始した月をまとめたもので、括弧内は太帯で走った期間です。
3251F:2002年2月(2年1ヶ月)
3252F:2002年2月(2年1ヶ月)
3253F:2002年2月(2年1ヶ月)
3254F:2002年3月(2年)
3255F:2003年2月(1年1ヶ月)
3256F:2003年2月(1年1ヶ月)
3257F:2003年3月(1年)
3258F:2003年3月(1年)
3259F:2003年5月(10ヶ月)
3260F:2003年5月(10ヶ月)
3261F:2003年6月(9ヶ月)
3262F:2003年6月(9ヶ月)
営業運転を開始した月については、一部に推定を含みます。
また、期間は日の概念を考慮していないため、若干の誤差がある点はご容赦下さい。
まとまって登場した2次車については、全体的に走行期間が短めですが、2003年度に竣功した編成は特に短いのが目立ちます。
長くても2年程度だったことを踏まえれば、太帯の写真があまり残っていないのも納得ですね。
おわりに
短期間で姿を変え、3000形における幻のような姿となってしまった太帯。低コストで再現することが可能なため、小田急さんにおかれましては、是非リバイバルをお願いしたいところです。
コメント
コメント一覧 (7)
現在は更新車に電連を撤去し完全6両固定編成化した編成も登場しましたが、もし更新しても電連を存置したままにする編成も残すのであれば、その識別のためにその編成のみ太帯にしても良いと思います(西武6000系で地下鉄非対応車に識別のための黄線を貫通扉部分に追加した編成がありますが、これに類似した施策です)。
ワタシダ
が
しました
しかし3000形、前面の鋼製部分を取り替えることで貫通化が容易に行える構造にした説…名鉄5000系がまさしくそうなんですね。仙石線向けに製造中のE131系も、プレスリリースなどの前面形状見た感じ、貫通化改造を想定した準備構造になるんですかね…。
ワタシダ
が
しました
結果的には短命に終わった3000形前面の太帯ですが(私自身も上京した時期の関係で残念ながら現物を見たことはありません)、写真や資料などで見ると同じく短命に終わった南海2000系の濃淡緑帯(関西空港開港に向けたCI導入で現在の青とオレンジの帯になりましたが、7000系列や1521系の濃淡緑塗装が京阪一般色と紛らわしいとの理由でこの帯を纏ったカラーリングに変更されたとの説もあります)を思い出しますね。
ワタシダ
が
しました
デザイン的には209のほうが丸っこくて愛嬌がありますね。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました