御殿場線との相互直通運転用として登場し、2012年に現役を引退した小田急の20000形(RSE)。
ハイデッカーやダブルデッカーを備える魅力的な車両でしたが、結果的にそれが引退を早めることになってしまいました。

ロマンスカーとしては久々に前面展望席がない車両となったRSEですが、それをカバーするような配慮がされていました。
1963年に登場した3100形(NSE)で初めて採用して以降、長年に渡ってロマンスカーのシンボルとなってきました。
御殿場線に乗り入れを行うために登場したRSEは、JR東海との協定により前面展望席を採用しませんでしたが、それは3000形(SE)以来34年ぶりのことでした。
その車両同士が交代したというのは、今思えば印象的なできごとだったようにも思います。
前面展望席以外にも、伝統の連接構造を採用しなかったというような変化があり、車体のカラーリングを含めてRSEはやや異質な存在でした。
しかし、ハイデッカーやダブルデッカーの採用により、車両としてのクオリティーはとても高く、他の車両にはない魅力があったともいえます。
10000形(HiSE)に続きハイデッカーを採用し、床面が高い位置にあったRSEは、その構造を先頭車でも活かすことで、前面展望席とは異なる価値を追加していたのです。

HiSEは前面展望席部分の床面を下げていましたが、RSEはそのままの高さで乗務員室の後ろまで展開し、高い位置からの眺望が楽しめるようになっていました。
大きな曲面ガラスの採用からも、眺望を楽しめるようにといった配慮がうかがえるほか、乗務員室との仕切もガラスを中心に構成され、クリアな視界が広がるようになっています。
眺望をよくする要素には、運転席の位置も関係していました。
乗務員室は床面が通常の位置まで下げられており、乗客の視界を遮らなかったため、仕切りがあることを除けば、通常とは異なる高さにある前面展望席だったともいえそうです。
上から運転シーンも見ることができたため、通常とは違った楽しみ方ができるロマンスカーでもありました。
バリアフリーの問題さえクリアすれば、現代でも通用しそうな構造のようにも思いますが、再びこのスタイルのロマンスカーが登場するようなことはあるのでしょうか。
ハイデッカーやダブルデッカーを備える魅力的な車両でしたが、結果的にそれが引退を早めることになってしまいました。

ロマンスカーとしては久々に前面展望席がない車両となったRSEですが、それをカバーするような配慮がされていました。
34年ぶりに登場した前面展望席がない車両
現代では70000形(GSE)のみとなり、少々寂しい状況となってしまいましたが、小田急のロマンスカーといえば、前面展望席というイメージは今でも根強くあります。1963年に登場した3100形(NSE)で初めて採用して以降、長年に渡ってロマンスカーのシンボルとなってきました。
御殿場線に乗り入れを行うために登場したRSEは、JR東海との協定により前面展望席を採用しませんでしたが、それは3000形(SE)以来34年ぶりのことでした。
その車両同士が交代したというのは、今思えば印象的なできごとだったようにも思います。
前面展望席以外にも、伝統の連接構造を採用しなかったというような変化があり、車体のカラーリングを含めてRSEはやや異質な存在でした。
しかし、ハイデッカーやダブルデッカーの採用により、車両としてのクオリティーはとても高く、他の車両にはない魅力があったともいえます。
配慮されていた先頭車からの眺望
パステルカラーの目立つ車体で、唯一無二の存在でもあったRSEですが、前面展望席がないというハンデを逆手に取り、違った魅力がある構造となっていました。10000形(HiSE)に続きハイデッカーを採用し、床面が高い位置にあったRSEは、その構造を先頭車でも活かすことで、前面展望席とは異なる価値を追加していたのです。

HiSEは前面展望席部分の床面を下げていましたが、RSEはそのままの高さで乗務員室の後ろまで展開し、高い位置からの眺望が楽しめるようになっていました。
大きな曲面ガラスの採用からも、眺望を楽しめるようにといった配慮がうかがえるほか、乗務員室との仕切もガラスを中心に構成され、クリアな視界が広がるようになっています。
眺望をよくする要素には、運転席の位置も関係していました。
乗務員室は床面が通常の位置まで下げられており、乗客の視界を遮らなかったため、仕切りがあることを除けば、通常とは異なる高さにある前面展望席だったともいえそうです。
上から運転シーンも見ることができたため、通常とは違った楽しみ方ができるロマンスカーでもありました。
おわりに
伝統の構造とは違っていたものの、RSEの先頭部には違った魅力が詰まっていました。バリアフリーの問題さえクリアすれば、現代でも通用しそうな構造のようにも思いますが、再びこのスタイルのロマンスカーが登場するようなことはあるのでしょうか。
コメント
コメント一覧 (14)
特急あさぎりの沼津乗り入れでJR371系に合わせてダブルデッカーを入れたようです。
ロマンスカーでダブルデッカーが付いていたのは後にも先にもこのRSEだけだと思います。
RSEはあさぎり号とはこね号が主な運用でしたがホームウェイで多摩線や江ノ島線にも入線してました。
ワタシダ
が
しました
運転席の右脇に大きな切り替えレバーがあり、切り替えると直列段しか入らないように見えたのですが…。
ワタシダ
が
しました
ダブルデッカー車こそ消滅してしまいましたが、今でも富士急線で乗ることは出来るので、機会を見つけて乗りに行きたいです。
ワタシダ
が
しました
HiSEは展望席部分はハイデッカーになっていない構造なので、その部分を車椅子対応とし、4連化のうえ長野電鉄への譲渡が実現しています。小田急で早期引退したのはトイレがハイデッカーに掛かってしまったからですね。
VSEは展望席を復活させ、バリアフリーにも徹底的に対応したのに、特殊機構が多く、アルミかつ複雑な車体が改造を困難にし、また早めの引退となりましたね…。
ワタシダ
が
しました
フジサン特急で第2の人生を歩んでいるので、乗りに行きたいです。
外観は凄くお洒落だったと思います
ワタシダ
が
しました
私が現役だった平成初期、明けの仕業で71あしがら→8はこねの往復というのがありまして。
喜多見を朝ラッシュ前に出庫して回送、新宿1番線で8:50までしばらく小休止。
乗務員はその時間を利用して、箱根そばで朝メシを済ませたりしてました。
そういえばRSEは、自動放送を初めて備えた車両でした。
71あしがらなら「0171」とか設定しておくと、あとは自動で案内してくれるので、
車掌の肉声案内は、到着時刻の案内などの補足だけでした。
グリーン車を自社線内では「スーパーシート」と呼んでいたのも懐かしいです。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
トンネルが少ないのであまり切断した記憶も無いので良い思い出しかなかったです。
JRのE655に乗った時にも同じ設備がありました。
大きなテレビとは画面の大きさではなく、当時のテレビは分厚い、より大きく見えたという意味です。
携帯でいろいろな映像が見られる昨今、今後こんな設備は二度と見られないのでしょうね、
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました