数多くの形式がこれまでに登場し、小田急のブランド価値向上に貢献してきたロマンスカー。
利用者のニーズに応えるため、攻めた設計を行うことが多いロマンスカーですが、それが起因となって時代に翻弄されることも多いといえるでしょう。

20191109_01

どのロマンスカーにも、多かれ少なかれそういった要素があるため、形式ごとに振り返っていきたいと思います。
初回となる今回は、名車と呼ばれる3000形(SE)について、翻弄された歴史を振り返ります。

耐用年数を10年としたSE

ロマンスカーの元祖は、1949年に登場した1910形といわれています。
後に格下げされ、通勤型車両として余生を過ごしていますが、SEはこのようなことを想定せず、生涯を特急型車両として過ごす前提で設計されました。

SEの開発には山本利三郎氏が関わっていますが、有名な言葉が残されています。
それは「特急車は10年もすれば陳腐化する」というもので、SEは長く使うことを前提とせず、耐用年数は10年とされました。
10年という耐用年数が、具体的に何を指すのかは分かりませんが、普通の車両のように長くは使わない、少なくともそういった意味はあったのだろうと思います。

1957年に営業運転を開始したSEは、鉄道ファンからの注目は当然のことながら、利用者にも驚きをもって迎えられました。
流線形の車両自体がほとんどないような時代であり、ロマンスカーの発展を加速させていくこととなります。

鮮烈なデビューを飾ったSEでしたが、最新型でいられた期間は長くなく、1963年には3100形(NSE)が登場しました。
山本利三郎氏が残した言葉のとおり、SEは10年も経たずに陳腐化のスタートを切り始めたことになります。

想定を超えて使われたSE

NSEの登場後も活躍を続けたSEですが、10年が過ぎた頃に行われたのは、国鉄の御殿場線に乗り入れるための大改造でした。
耐用年数とされた10年を超え、SEは目的を変えて使われることになりましたが、再デビューが1968年だったことを踏まえれば、想定どおりの時期に一度引退したといえるのかもしれません。

フロントデザインを大きく変更し、あさぎり号としての活躍を始めたSEでしたが、結果的に1991年まで定期運行されました。
手を入れつつではあるものの、耐用年数を10年としていた車両は、35年に迫るほどの期間に渡って活躍を続けたことになります。

SEが長く活躍することになった背景には、爆発的に増えていく沿線人口により、輸送力増強に追われてしまったことや、国鉄側の事情であさぎり号に使用する車両を変えられず、やむを得ず使い続けたという点があげられるでしょう。
前者は新しいロマンスカーどころではなかったということ、後者は変えたくても変えられなかったということ、明らかに陳腐化していることは分かっていながらも、使い続けるしかなかった車両でした。

おわりに

本来であれば、50000形(VSE)のように引退することが、SEでは想定されていたといえます。
結果的に長い活躍となったSEですが、それが幸せなことであったのかについては、見方によって意見が分かれるかもしれませんね。