小田急の本線として、1927年4月1日に全線が一気に開業した小田原線。
小田原線内にある魅力的な駅の数々について、小田急小田原線全駅ガイドでは、駅ごとの特徴やデータをまとめています。
対岸に稲田多摩川(現在の登戸)駅が設置されることになったため、地名の和泉を加えた駅名とされたものです。
新宿駅を出てから、東京都内を走ってきた小田急は、和泉多摩川駅の先で多摩川を渡って神奈川県に入ります。
東京都内としては和泉多摩川が一旦最後の駅となりますが、小田急は町田市や多摩市に入るため、再び東京都には戻ります。
狛江地区が複々線化された際、小田原寄りの終端が和泉多摩川駅で、緩行線と急行線に分岐するポイントが設けられていました。
高架化後のホームは8両分しかありませんでしたが、後に延長されて10両分となっています。
将来的に10両分とする前提ではありましたが、よく見ると後からホームを延長した痕跡があり、工事の歴史を今に伝える駅といえるでしょう。
駅名の読み方:いずみたまがわ
副駅名:-
旧駅名:-
駅番号:OH17
開業日:1927年4月1日
所在地:東京都狛江市東和泉四丁目2番1号
キロ程:14.4km
停車する列車種別:準急・各駅停車
改札口の数:2
ホームの形態:2面4線
ホームの長さ:10両分
番線数:2
上屋の配置:全体
駅の分類:停留場
引き上げ線の有無:なし
留置線の有無:なし
折り返しの可否:不可
小田原線内にある魅力的な駅の数々について、小田急小田原線全駅ガイドでは、駅ごとの特徴やデータをまとめています。
和泉多摩川駅の概要
小田急の開業時に設けられた駅で、元々は多摩川という駅名になる予定でした。対岸に稲田多摩川(現在の登戸)駅が設置されることになったため、地名の和泉を加えた駅名とされたものです。
新宿駅を出てから、東京都内を走ってきた小田急は、和泉多摩川駅の先で多摩川を渡って神奈川県に入ります。
東京都内としては和泉多摩川が一旦最後の駅となりますが、小田急は町田市や多摩市に入るため、再び東京都には戻ります。
狛江地区が複々線化された際、小田原寄りの終端が和泉多摩川駅で、緩行線と急行線に分岐するポイントが設けられていました。
高架化後のホームは8両分しかありませんでしたが、後に延長されて10両分となっています。
将来的に10両分とする前提ではありましたが、よく見ると後からホームを延長した痕跡があり、工事の歴史を今に伝える駅といえるでしょう。
和泉多摩川駅のデータ
駅名:和泉多摩川駅名の読み方:いずみたまがわ
副駅名:-
旧駅名:-
駅番号:OH17
開業日:1927年4月1日
所在地:東京都狛江市東和泉四丁目2番1号
キロ程:14.4km
停車する列車種別:準急・各駅停車
和泉多摩川駅の構造
駅舎のタイプ:高架駅改札口の数:2
ホームの形態:2面4線
ホームの長さ:10両分
番線数:2
上屋の配置:全体
駅の分類:停留場
引き上げ線の有無:なし
留置線の有無:なし
折り返しの可否:不可
和泉多摩川駅の写真

コメント
コメント一覧 (7)
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
神奈川県側にはかつての稲田多摩川(現・登戸)ぐらいしかないようですが、何か理由があるのかな?とちょっと気になりました。
ワタシダ
が
しました
さらに余談ながら、京王相模原線で多摩川を渡る直前の駅、京王多摩川駅は支線から開業した経緯があり、戦後しばらく経ってここから相模原線が延伸されていきました。そのため相模原線でも調布から京王多摩川だけは加算運賃が元々設定されていません。
ワタシダ
が
しました
それはともかく、下り線側にかつては砂利取りの引き込み線があったようです。ホームの裏側もそうだったかもしれませんが、今マンションが建っているあたりが、確か団地のような建物で、その前庭がそれっぽく開けていたのを思い出します。
下り方先頭近くに臨時改札口があり、朝夕は硬券の乗車券を売っていました。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました