遊園地への入園客を輸送することを主目的として、向ヶ丘遊園駅から向ヶ丘遊園正門駅までを結んでいたモノレール線。
小田急が運行した唯一のモノレールですが、車両の老朽化をきっかけに廃線となり、後を追うように遊園地の向ヶ丘遊園も閉園してしまいました。

廃線後に橋脚等は撤去されてしまいましたが、今も廃線跡にはモノレールが存在した証が残されています。
遊園地の向ヶ丘遊園までを結ぶ路線で、総延長は1.1kmしかありませんでしたが、アトラクションの一部とも表現できるような楽しさがあったように思います。
モノレールのルートは、向ヶ丘遊園駅を出発してから「向ヶ丘遊園駅菅生線」に沿って進み、稲生橋交差点付近からは「二ヶ領用水」と並行していました。
最終的には、閉園後にオープンした藤子・F・不二雄ミュージアムの手前付近でカーブし、「府中街道」を超えて向ヶ丘遊園正門駅へと至ります。
遺構と呼べるようなものはなくなってしまいましたが、モノレールが走っていた場所は遊歩道等になっているため、不自然な空間が歴史を伝えている状態です。
廃止から年数が経過した現代においては、こんな場所をモノレールが走っていたとは、やや信じられない気もしてきます。
粋な計らいにも感じるそれらの証について、見ていくこととしましょう。

ルート上の地面を見ると、所々にこのようなプレートがあります。
かつて橋脚が存在した地点に設けられているもので、振られていた番号がプレートに刻まれています。
訪問時は時間が限られていたため、全てを探すようなことはできませんでしたが、宝探しに近い楽しさがありそうです。

ばら苑アクセスロードとなった付近には、このような場所が設けられました。
緑が生い茂ってしまったため、現代においては分かりにくくなっていますが、橋脚をモチーフにしたモニュメントが設置されています。
過去の歴史を知らなければ、何も感じずに通り過ぎてしまいそうですが、そこをモノレールが走っていたという証は、今もさりげなく残されていました。
時間がある時に、改めてゆっくり廃線跡を辿ってみたいと思いました。
小田急が運行した唯一のモノレールですが、車両の老朽化をきっかけに廃線となり、後を追うように遊園地の向ヶ丘遊園も閉園してしまいました。

廃線後に橋脚等は撤去されてしまいましたが、今も廃線跡にはモノレールが存在した証が残されています。
向ヶ丘遊園モノレール線のルート
現在は駐輪場となっていますが、向ヶ丘遊園駅の南口には、かつてモノレールの駅がありました。遊園地の向ヶ丘遊園までを結ぶ路線で、総延長は1.1kmしかありませんでしたが、アトラクションの一部とも表現できるような楽しさがあったように思います。
モノレールのルートは、向ヶ丘遊園駅を出発してから「向ヶ丘遊園駅菅生線」に沿って進み、稲生橋交差点付近からは「二ヶ領用水」と並行していました。
最終的には、閉園後にオープンした藤子・F・不二雄ミュージアムの手前付近でカーブし、「府中街道」を超えて向ヶ丘遊園正門駅へと至ります。
遺構と呼べるようなものはなくなってしまいましたが、モノレールが走っていた場所は遊歩道等になっているため、不自然な空間が歴史を伝えている状態です。
廃止から年数が経過した現代においては、こんな場所をモノレールが走っていたとは、やや信じられない気もしてきます。
モノレールが存在した証
廃線後に橋脚等は撤去されてしまったものの、ルート上にはモノレールが存在した証を見ることができます。粋な計らいにも感じるそれらの証について、見ていくこととしましょう。

ルート上の地面を見ると、所々にこのようなプレートがあります。
かつて橋脚が存在した地点に設けられているもので、振られていた番号がプレートに刻まれています。
訪問時は時間が限られていたため、全てを探すようなことはできませんでしたが、宝探しに近い楽しさがありそうです。

ばら苑アクセスロードとなった付近には、このような場所が設けられました。
緑が生い茂ってしまったため、現代においては分かりにくくなっていますが、橋脚をモチーフにしたモニュメントが設置されています。
過去の歴史を知らなければ、何も感じずに通り過ぎてしまいそうですが、そこをモノレールが走っていたという証は、今もさりげなく残されていました。
おわりに
当時の遺構はほぼなくなり、存在自体が忘れられつつある向ヶ丘遊園モノレール線。時間がある時に、改めてゆっくり廃線跡を辿ってみたいと思いました。
コメント
コメント一覧 (10)
向ヶ丘遊園駅管内、新百合ヶ丘駅管内の分割の御祝会を向ヶ丘遊園内の和食の食事処でした時に、乗車しました。
その後、多客時にモノレールの駅に応援勤務をしました。モノレールの乗客は遊園地の他、バスより安いので、向ヶ丘遊園正門駅
周辺の住民も利用していました。
向ヶ丘遊園地が閉鎖しなく、モノレールは健在であれば、向ヶ丘遊園駅を橋上駅舎にしてモノレールを駅の上に延長するようでした。
この事業は、まぼろしに終わりました。
現在向ヶ丘遊園跡地に日帰り入浴施設を建設しています。コロナの影響で開業が大幅に遅れています。コロナが無ければ、既に開業
しています。向ヶ丘遊園駅名が向ヶ丘湯苑駅なるか、そのままか分かりません。
ワタシダ
が
しました
南口でした
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
夏だったので、同行者に「下を走るバスなら冷房付きなのに」と愚痴を言われながら。
定期点検で運休したら、走行部分に亀裂が発見されたとかで、直すと費用がかなりかかるからと廃止を選択したんだったと思います。
ワタシダ
が
しました
結局、乗らずじまいでした。
ワタシダ
が
しました
遊園地に行って、帰りにボウリングなんかしていると、もう電車終わっているという(笑)。
片道100円、往復160円で、往復券を買うのですが、たいてい帰り分が無駄になるという…。
ドリームランドのモノレールは、運行していたときは朝から夜まで運行していたようですが、あっちは2編成があり、連結運転が考慮されていたり、信号機があるのに票券閉塞とか今ひとつよくわからないモノレールでした。
小田急線の六会か長後への延長計画があり、六会への延長では路線図面も残っていますが、デルタ線で大船から六会への直通を考えた形跡があり、もし実現していたら、向ヶ丘遊園との関係などどうなっていたか、いろいろ考えられますね。
ワタシダ
が
しました
昭和43年頃、まだ就学前でしたが、家族で向ヶ丘遊園地に行った時に乗りました。
短い距離ながらのワクワク感は、眼下に花の大階段が見えた時に頂点に達しました。
今思うことは、箱根旅行の往路でロマンスカーに乗って気分高揚し、帰りもロマンスカーで余韻に浸るのと同じ様に、向ヶ丘遊園地とモノレールも切っても切れない関係、無くてはならない存在だったということです。
そんな遊園地もモノレールも過去のものになってしまいました。本当に残念です。
ワタシダ
が
しました
同線の廃止で私の小田急全線完乗達成と言う苦い思い出となりました。
ワタシダ
が
しました
廃止から四半世紀近くが経過した現在、当時の面影はほとんど残っとりませんが、藤子・F・不二雄ミュージアムやバラ苑への徒歩アクセスルートとしてある程度機能しとる面もありますので、天気が良ければ運動がてら向ヶ丘遊園駅から徒歩でミュージアムやバラ苑、生田緑地を散策がてらモノレール跡地巡りをしてみるのもなかなか乙なものですね。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました