小田急といえばロマンスカーというぐらい、その名称は全国的にも有名な存在です。
これまでに多くの車両がデビューし、役目を終えて引退してきましたが、攻めた設計をすることも多いためか、時代に翻弄される車両が多い印象です。
形式ごとにそんな要素を振り返っていく企画ですが、今回は10000形(HiSE)を取り上げます。
ハイデッカーを採用したHiSEですが、結果的にはそれが引退を早める結果となりました。
この時期は通勤型車両として1000形もデビューしており、車両面で小田急が新時代に入りつつある頃だったといえるでしょう。
HiSEは、3100形(NSE)からの流れを受け継いだ最後のロマンスカーとなっており、続く各形式は独自路線を歩んでいくこととなりました。
50000形(VSE)はどうなのかといえば、伝統を継承しつつ昇華させた車両という印象で、独自路線の究極系だったように思います。

11両編成の連接車とされ、前面展望席を備えたHiSEですが、最大の特徴は流行でもあったハイデッカーを採用したことでした。
7000形(LSE)と比較した場合、床面の高さは41cmも高く、各ドアにはバスの出入口にあるような階段が設けられています。
既に伝統となっていた前面展望席については、運転席を下にするといった設計にはせず、その部分だけを通常の高さとしました。
どの座席でも車内からの眺望を楽しめる、そんなロマンスカーが登場したといえます。
登場から年数が経ってから、再度イメージリーダーに起用されるという異例の展開だったものの、同時に引退へのカウントダウンが静かに始まっていました。
HiSEが活躍した1990年代は、社会にバリアフリーが根付いていく時代だったように思います。
車両面での対応も広がりつつあった時代ですが、その少し前に登場したのがHiSEという車両でした。
流行を取り入れたハイデッカーは、バリアフリー化と逆行する構造であり、まさに時代に翻弄されるロマンスカーとなってしまいます。
車いすを利用する方の乗車において、車内に階段がある構造は厳しいものがあり、現場での苦労もかなりあったようです。
そして、HiSEにとって致命傷になったのが、2000年に施行された交通バリアフリー法であり、リニューアルの際にバリアフリー化を図ることが義務付けられてしまいました。
床の高さが低い部分がある先頭車を活用したり、大規模な改造をすることは可能だったと思いますが、小田急はHiSEを早期に引退させる道を選びます。
VSEが登場したことで、2005年には2編成が廃車となり、長野電鉄に譲渡されました。
残った2編成は活躍を続けましたが、2011年と2012年に廃車となり、デビューから約25年でHiSEは小田急線上から姿を消します。
一方で、長野電鉄に譲渡された車両は現在も活躍を続けており、早期に廃車となった編成のほうが長生きするという、若干皮肉な結果となりました。
短命に終わって惜しまれたVSEが記憶に新しいものの、それよりも短命な編成があったという事実に、少し驚いてしまうのは私だけでしょうか。
これまでに多くの車両がデビューし、役目を終えて引退してきましたが、攻めた設計をすることも多いためか、時代に翻弄される車両が多い印象です。
形式ごとにそんな要素を振り返っていく企画ですが、今回は10000形(HiSE)を取り上げます。
ハイデッカーを採用したHiSEですが、結果的にはそれが引退を早める結果となりました。
ハイデッカーを採用した前面展望車
開業60周年を記念し、1987年にデビューしたのがHiSEというロマンスカーで、カラーリングが大胆に変更された車両となっています。この時期は通勤型車両として1000形もデビューしており、車両面で小田急が新時代に入りつつある頃だったといえるでしょう。
HiSEは、3100形(NSE)からの流れを受け継いだ最後のロマンスカーとなっており、続く各形式は独自路線を歩んでいくこととなりました。
50000形(VSE)はどうなのかといえば、伝統を継承しつつ昇華させた車両という印象で、独自路線の究極系だったように思います。

11両編成の連接車とされ、前面展望席を備えたHiSEですが、最大の特徴は流行でもあったハイデッカーを採用したことでした。
7000形(LSE)と比較した場合、床面の高さは41cmも高く、各ドアにはバスの出入口にあるような階段が設けられています。
既に伝統となっていた前面展望席については、運転席を下にするといった設計にはせず、その部分だけを通常の高さとしました。
どの座席でも車内からの眺望を楽しめる、そんなロマンスカーが登場したといえます。
バリアフリーが当たり前の時代へ
数年後に20000形(RSE)が登場し、最新型だった期間が短いHiSEでしたが、30000形(EXE)をイメージリーダーに起用した失敗を経て転機が訪れます。登場から年数が経ってから、再度イメージリーダーに起用されるという異例の展開だったものの、同時に引退へのカウントダウンが静かに始まっていました。
HiSEが活躍した1990年代は、社会にバリアフリーが根付いていく時代だったように思います。
車両面での対応も広がりつつあった時代ですが、その少し前に登場したのがHiSEという車両でした。
流行を取り入れたハイデッカーは、バリアフリー化と逆行する構造であり、まさに時代に翻弄されるロマンスカーとなってしまいます。
車いすを利用する方の乗車において、車内に階段がある構造は厳しいものがあり、現場での苦労もかなりあったようです。
そして、HiSEにとって致命傷になったのが、2000年に施行された交通バリアフリー法であり、リニューアルの際にバリアフリー化を図ることが義務付けられてしまいました。
床の高さが低い部分がある先頭車を活用したり、大規模な改造をすることは可能だったと思いますが、小田急はHiSEを早期に引退させる道を選びます。
VSEが登場したことで、2005年には2編成が廃車となり、長野電鉄に譲渡されました。
残った2編成は活躍を続けましたが、2011年と2012年に廃車となり、デビューから約25年でHiSEは小田急線上から姿を消します。
一方で、長野電鉄に譲渡された車両は現在も活躍を続けており、早期に廃車となった編成のほうが長生きするという、若干皮肉な結果となりました。
おわりに
約25年に渡って活躍したHiSEですが、約16年で廃車となった編成もあります。短命に終わって惜しまれたVSEが記憶に新しいものの、それよりも短命な編成があったという事実に、少し驚いてしまうのは私だけでしょうか。
コメント
コメント一覧 (36)
長野電鉄を利用させて頂きますが
特急料金100円支払い
いつも利用させて頂いております。
ワタシダ
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ただでさえ、小田急系掲示板メディアは荒れやすいので、Aguiも結局ID制になりましたし。
単発ハンネがたくさん湧くのも、結局ただの荒しですから。
ワタシダ
が
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ワタシダ
が
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ワタシダ
が
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車両更新時期を迎え「交通バリアフリー法」への対応が避けられなくなったこと(新製は1987年〜1991年頃のため法の不遡及の原則により猶予されていましたが、車両更新時には対応改造が必須となります)で残寿命を考慮した上で置き換えを決断したものと思われます。推測ですが、恐らく更新工事を実施したところで長距離運用の多いロマンスカーの特性を考慮すると残寿命は10年程度と見られ、やはり新製した方が長期的には安上がりとなるという判断でしょう。これは東急が8500系の更新を中止し5000系の新造に至った経緯と似ていると思います。
また上の方で何やら盛り上がっておりますが…確かに何時ぞや、わざと事前に連絡せずに対応準備する隙を与えずに突然車椅子でレストランに行き、そのレストランの対応が悪いなどと主張した活動家のような輩も確かにいます。しかし大多数の障害者は「たまたま障害があるだけの普通の人」であり、彼らにも列車旅を楽しむ権利ならありますし、営業側としても割引制度で健常者ほどの利益は出せなくても、新しい客層の開拓とリピーターの創出にある程度貢献することが期待されますし、設備上や人員上困難などやむを得ない理由を除き、いたずらに排斥するのもいかがなものかと思います。
ワタシダ
が
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ワタシダ
が
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車体傾斜装置や高い位置の空気バネなどを備えた特殊な台車を用いるVSEと異なり、NSEから実績のある「普通の」連接台車ですので、登場時期がもう少し遅ければ「VSEより長生きした」世界線も考えられるので少々残念ではあります。
長電ではまだまだ活躍して欲しいですね。
ワタシダ
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しかし、その後本格化したバリアフリー法では、トイレまでシームレスに移動できないとダメということになり、RSEも車内専用の特注?車いすまで用意しましたが、結局多額の改造費をかけて法に合わせるより、抵抗制御でもある(これ結構重要だったもよう)ので、廃車したほうが得策という結論になったようです。
国土交通省の指導により、車体を大きく改造するとか、リニューアルするとかの際には、バリアフリー対応が必須となったため、通勤形も車いすスペースの増設などが行われています。
長野電鉄に譲渡された編成は、2編成で一次車と二次車が1編成ずつなので、運転台下のドア寸法のわずかな違いが、今も見られると思います。
ワタシダ
が
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好きな車両だったし。
今どうこう言ってもしょうがないけど、
全車両でバリアフリー化工事しないといけなかったのかな?
例えば3号車だけ改造工事してバリアフリー対応号車として走らせるとか、
それじゃダメだったのかな?
小田急っていろいろと残念ですよね。
バリアフリーに引っかかってRSEとHiSEが早期引退。
連接台車に対応しきれなくなりVSEが早期引退。
洒落たことしたせいで短命に終わってしまって。
それを反省したのがGSEなんだろうけど。
ワタシダ
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それはさておき、HiSEやRSEは現在も一部車両が譲渡され活躍しているので小田急時代に改造して何とかならなかったのか?と思うこともありました。
ただ、HiSEは連接車なので早かれ遅かれ引退を余儀なくされることにはなっていたのでしょうね。
ワタシダ
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因みにHi-SEは、車体側面にイタリアの国旗をイメージしたラッピングがされたイタリアントレインと運行された事があります(パスネットの絵柄になりました)。
ワタシダ
が
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そうした面では両形式よりも先輩であるLSE2編成が小田急に残ったとは言え、先に廃車となった2編成とともに譲渡されずに廃車となってしまったのは何とも皮肉な結果やったと思います。それでもロマンスカーミュージアムに他の歴代ロマンスカーとともに保存されており、今もなお様々な世代に愛されとることを物語っとりますね。
ワタシダ
が
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通勤車はともかく小田急の中で少数派のハイデッカーの特急車両にまで杓子定規にバリアフリーを適用させる必要なんてなかったと思います。
(正直障害者の方がハイデッカーを避けて乗れと思いました)
あのキリッとした顔が好きでした。
ワタシダ
が
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