小田急といえばロマンスカーというぐらい、その名称は全国的にも有名な存在です。
これまでに多くの車両がデビューし、役目を終えて引退してきましたが、攻めた設計をすることも多いためか、時代に翻弄される車両が多い印象です。

形式ごとにそんな要素を振り返っていく企画ですが、今回は10000形(HiSE)を取り上げます。
ハイデッカーを採用したHiSEですが、結果的にはそれが引退を早める結果となりました。

ハイデッカーを採用した前面展望車

開業60周年を記念し、1987年にデビューしたのがHiSEというロマンスカーで、カラーリングが大胆に変更された車両となっています。
この時期は通勤型車両として1000形もデビューしており、車両面で小田急が新時代に入りつつある頃だったといえるでしょう。

HiSEは、3100形(NSE)からの流れを受け継いだ最後のロマンスカーとなっており、続く各形式は独自路線を歩んでいくこととなりました。
50000形(VSE)はどうなのかといえば、伝統を継承しつつ昇華させた車両という印象で、独自路線の究極系だったように思います。

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11両編成の連接車とされ、前面展望席を備えたHiSEですが、最大の特徴は流行でもあったハイデッカーを採用したことでした。
7000形(LSE)と比較した場合、床面の高さは41cmも高く、各ドアにはバスの出入口にあるような階段が設けられています。

既に伝統となっていた前面展望席については、運転席を下にするといった設計にはせず、その部分だけを通常の高さとしました。
どの座席でも車内からの眺望を楽しめる、そんなロマンスカーが登場したといえます。

バリアフリーが当たり前の時代へ

数年後に20000形(RSE)が登場し、最新型だった期間が短いHiSEでしたが、30000形(EXE)をイメージリーダーに起用した失敗を経て転機が訪れます。
登場から年数が経ってから、再度イメージリーダーに起用されるという異例の展開だったものの、同時に引退へのカウントダウンが静かに始まっていました。

HiSEが活躍した1990年代は、社会にバリアフリーが根付いていく時代だったように思います。
車両面での対応も広がりつつあった時代ですが、その少し前に登場したのがHiSEという車両でした。
流行を取り入れたハイデッカーは、バリアフリー化と逆行する構造であり、まさに時代に翻弄されるロマンスカーとなってしまいます。

車いすを利用する方の乗車において、車内に階段がある構造は厳しいものがあり、現場での苦労もかなりあったようです。
そして、HiSEにとって致命傷になったのが、2000年に施行された交通バリアフリー法であり、リニューアルの際にバリアフリー化を図ることが義務付けられてしまいました。

床の高さが低い部分がある先頭車を活用したり、大規模な改造をすることは可能だったと思いますが、小田急はHiSEを早期に引退させる道を選びます。
VSEが登場したことで、2005年には2編成が廃車となり、長野電鉄に譲渡されました。

残った2編成は活躍を続けましたが、2011年と2012年に廃車となり、デビューから約25年でHiSEは小田急線上から姿を消します。
一方で、長野電鉄に譲渡された車両は現在も活躍を続けており、早期に廃車となった編成のほうが長生きするという、若干皮肉な結果となりました。

おわりに

約25年に渡って活躍したHiSEですが、約16年で廃車となった編成もあります。
短命に終わって惜しまれたVSEが記憶に新しいものの、それよりも短命な編成があったという事実に、少し驚いてしまうのは私だけでしょうか。