世の中に衝撃を与えた3000形(SE)の登場から70年近くが経ち、様々な車両が小田急ロマンスカーの歴史を彩ってきました。
今までに登場した車両には、それぞれに違ったコンセプトが存在しますが、時代の変化はいつも激しく、多かれ少なかれそういった面に翻弄されています。

時代に翻弄された要素を形式ごとに紹介するシリーズですが、今回は3100形(NSE)をピックアップします。

17年間も最新型となったNSE

画期的な車両となったSEを進化させ、前面展望席を備えたロマンスカーとして、1963年にNSEがデビューしました。
編成も長くなり、20m車の7両編成に相当する11両編成の連接車とされ、増加を続けるロマンスカーの利用者に対応することとなります。

当時のロマンスカーは、新宿から小田原までを60分で走ることを目標とし、NSEもそれに対応する高速性能を有する車両とされました。
最終的には合計7編成が増備され、歴代のロマンスカーで最多となる77両の勢力を誇ります。

特急用の車両は10年もすれば陳腐化する、SEの設計時にはそのような思想があった時代ですが、NSEは17年間も大きな改造を行うことなく、最新型のロマンスカーであり続けました。
背景には、想定を超える沿線人口の増加があり、増え続ける通勤や通学の需要への対応が優先され、新しいロマンスカーどころではなくなってしまったのです。
ダイヤは過密化を続け、新宿から小田原までを60分で運転するどころか、スピードダウンを余儀なくなれてしまいました。

高速走行を重視したNSEは、加速性能に優れているとはいえず、過密ダイヤに合った車両ではありません。
NSEの登場から17年後の1980年に、ようやく7000形(LSE)という後輩がデビューしますが、加速性能を重視した設計に変わりました。

時代に合わなくなっても続いた活躍

LSEの登場により、最新型の座を降りたNSEですが、17年もの歳月は車両を陳腐化させるには十分な時間でした。
一方で、まだSEが残っているような状況下でNSEを置き換える選択肢もなく、1984年からは車体修理によって内外装の一新が図られることとなります。

御殿場線への乗り入れという他の車両とは違う役割を持つSEに対して、NSEはLSEと並ぶ箱根特急の主役でした。
10000形(HiSE)の登場後には、ようやく主力感がなくなっていきますが、手動扉で加速性能が劣るNSEは、途中駅停車が多い列車には本来マッチせず、時代に合わない古い車両という面が目立つようになります。

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ロマンスカーの日常利用へのシフトが本格化する頃、30000形(EXE)によってNSEは置き換えられます。
登場後にダイヤの過密化が一気に進んだNSEは、本来の高速性能をほとんど活かせず、複々線化工事が盛んに行われる中での引退となりました。

おわりに

登場後に路線の状況が大きく変わり、列車の合間を必死に走り抜けることとなったNSE。
活躍期間は長かったものの、無理をして時代に合わせ続けた車両だったのかもしれません。