1960年に営業運転を開始し、小田急に本格的な高性能車の時代をもたらした2400形。
小田急2400形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
その第1編成が2451Fで、年が明けた1960年より営業運転を開始しています。
1次車として登場した2451Fは、2次車以降の編成と車体の外板と屋根板の厚さが異なり、前者は1.6mm、後者は1.2mmと薄く造られました。
経済性を重視したさらなる軽量化が目的でしたが、2次車以降は一般的な厚さに変更されています。
編成に固有の特徴はなく、変化は形式全体に行われた改造等によるものが中心です。
最終的には2600形の中型車版といった外見になり、比較的整ったスタイルとなっていました。
1979年以降に小規模な車体の修繕を行っていますが、その後の活躍期間は短く、想定よりも廃車が早まっている印象です。
各駅停車から急行まで、大型車との併結も行いつつ幅広い運用で活躍しました。
2400形としては真っ先に廃車となり、1985年に姿を消しています。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
※左側が新宿方
デハ2401:1次車
デハ2402:1次車
クハ2452:1次車
デハ2401:日本車輌製造
デハ2402:日本車輌製造
クハ2452:日本車輌製造
デハ2401:1959年12月21日
デハ2402:1959年12月21日
クハ2452:1959年12月21日
デハ2401:1985年4月16日
デハ2402:1985年4月16日
クハ2452:1985年4月16日

写真提供:小田急指令掛川様
小田急2400形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
2451Fの概要
ABFM車に続く高性能車として、1959年の終わりに2400形が登場しました。その第1編成が2451Fで、年が明けた1960年より営業運転を開始しています。
1次車として登場した2451Fは、2次車以降の編成と車体の外板と屋根板の厚さが異なり、前者は1.6mm、後者は1.2mmと薄く造られました。
経済性を重視したさらなる軽量化が目的でしたが、2次車以降は一般的な厚さに変更されています。
編成に固有の特徴はなく、変化は形式全体に行われた改造等によるものが中心です。
最終的には2600形の中型車版といった外見になり、比較的整ったスタイルとなっていました。
1979年以降に小規模な車体の修繕を行っていますが、その後の活躍期間は短く、想定よりも廃車が早まっている印象です。
各駅停車から急行まで、大型車との併結も行いつつ幅広い運用で活躍しました。
2400形としては真っ先に廃車となり、1985年に姿を消しています。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
編成表
クハ2451-デハ2401-デハ2402-クハ2452※左側が新宿方
製造区分
クハ2451:1次車デハ2401:1次車
デハ2402:1次車
クハ2452:1次車
製造所
クハ2451:日本車輌製造デハ2401:日本車輌製造
デハ2402:日本車輌製造
クハ2452:日本車輌製造
竣功日
クハ2451:1959年12月21日デハ2401:1959年12月21日
デハ2402:1959年12月21日
クハ2452:1959年12月21日
廃車日
クハ2451:1985年4月16日デハ2401:1985年4月16日
デハ2402:1985年4月16日
クハ2452:1985年4月16日
2451Fの写真

写真提供:小田急指令掛川様
コメント
コメント一覧 (4)
箱根湯本急行の主力が長かったですが、湯本に大型6両で入るようになってから、当時の大型化・冷房化の流れの中であっという間に消えて行った感じでした。
ABFM車が富士急を中心に地方私鉄に多数譲渡されたのに対してHE車は特殊な構造もあって譲渡ゼロでした。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
軽量化を意図した鋼製車体に青い座席にシンプルな貫通型前面形状など‥‥(笑)
ワタシダ
が
しました