箱根登山電車初の冷房車として、1989年に登場した2000形。
登場時は小田急の10000形(HiSE)に準じたカラーリングでしたが、何度かの変更を行いつつ、現在の標準はアレグラ号と同様になっています。

そんな2000形ですが、意外にも他の車両から台車を流用した編成が存在します。
台車流用車はどの車両で、どういった経緯でそうなったのでしょうか。
最初の2本は2両編成で登場しましたが、後に中間車を増備して3両編成化され、最終的に合計は9両となっています。
1990年代の箱根登山電車において、2000形は新型車両として代表形式となりますが、2004年には2両編成化という不思議な事象が発生します。
これは1000形の冷房化に伴う対応で、補助電源装置の容量が大きい2000形の中間車を組み込み、経費の削減が図られました。
中間車を供出したことで、2000形は第1編成と第2編成が2両、第3編成だけが3両という陣容になりましたが、1000形に組み込まれた車両も編入はされていません。
第2編成のクモハ2003とクモハ2004が該当し、現在までそのままの状態で活躍を続けてきました。
流用された台車については、モハ2形の111号と112号が装備していたものです。
1980年代の後半以降にカルダン駆動化された際、この2両は台車を新製していますが、5年も経たずに廃車となってしまい、その際に取り外した台車を2000形に流用しました。
廃車と新製は1991年であり、流用したことを物語ります。
台車が流用されたことは確実ですが、モーターについては確定的な情報が見つけられませんでした。
カルダン駆動化後のモハ2形と、2000形のモーターは同じ形式ではありませんが、数年で廃棄されたとは考えにくく、実際のところはどうなのでしょうか。
出力はどちらも95kWとなっているため、そのまま使っていると考えるのが自然ですが、真相が気になるところです。
更新も行われていることから、今後もまだまだ元気に活躍することになりそうです。
登場時は小田急の10000形(HiSE)に準じたカラーリングでしたが、何度かの変更を行いつつ、現在の標準はアレグラ号と同様になっています。

そんな2000形ですが、意外にも他の車両から台車を流用した編成が存在します。
台車流用車はどの車両で、どういった経緯でそうなったのでしょうか。
1990年代の代表形式となった2000形
2000形は1989年にデビューした車両で、1997年までに3編成が増備されました。最初の2本は2両編成で登場しましたが、後に中間車を増備して3両編成化され、最終的に合計は9両となっています。
1990年代の箱根登山電車において、2000形は新型車両として代表形式となりますが、2004年には2両編成化という不思議な事象が発生します。
これは1000形の冷房化に伴う対応で、補助電源装置の容量が大きい2000形の中間車を組み込み、経費の削減が図られました。
中間車を供出したことで、2000形は第1編成と第2編成が2両、第3編成だけが3両という陣容になりましたが、1000形に組み込まれた車両も編入はされていません。
2000形に存在する台車流用車
最終的に合計9両となった2000形ですが、その中に2両だけ他の車両から台車を流用した車両が存在します。第2編成のクモハ2003とクモハ2004が該当し、現在までそのままの状態で活躍を続けてきました。
流用された台車については、モハ2形の111号と112号が装備していたものです。
1980年代の後半以降にカルダン駆動化された際、この2両は台車を新製していますが、5年も経たずに廃車となってしまい、その際に取り外した台車を2000形に流用しました。
廃車と新製は1991年であり、流用したことを物語ります。
台車が流用されたことは確実ですが、モーターについては確定的な情報が見つけられませんでした。
カルダン駆動化後のモハ2形と、2000形のモーターは同じ形式ではありませんが、数年で廃棄されたとは考えにくく、実際のところはどうなのでしょうか。
出力はどちらも95kWとなっているため、そのまま使っていると考えるのが自然ですが、真相が気になるところです。
おわりに
箱根登山電車の近代化に貢献し、現在も主力として活躍する2000形。更新も行われていることから、今後もまだまだ元気に活躍することになりそうです。
コメント
コメント一覧 (8)
小田原乗り入れの復活するのは如何でしょうか?
ワタシダ
が
しました
2003-2004号ですがモーターはTDK8150を新製し、111、112号廃車発生品は104-106号の台車更新時に使われました。
100形用TDK8180と2000形用TDK8150は、外観が同じでも制御回路の違いから端子電圧が異なり共用できないのが理由です。
ワタシダ
が
しました
この2000形以降、2014年にアレグラ号こと3000形が登場するまで新型車両の登場に25年のブランクがあったことから、箱根登山線ではその間において部品などを新しいものに交換してまで自社の車両を長く大切に使い続けたことが窺えますね。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました